都筑大介 ひなたやま徒然草 1
某月某日 変人の冬
平成十四年、午(うま)年を、ボクは気持ち新たに迎えることが出来た。
三が日は朝風呂をつかい、女房殿が支度してくれたおせち料理に舌鼓をうちながら御酒を愉しみ、酔いがまわるとひと眠りした。松の内は、起きては食べ、食べては寝る、ぐうたらな日々を過ごした。晩酌が心地好く胃の腑に沁みた。気持ちが変わると酒の味も変わる。「おいおい、どこが“気持ち新た”なんだ?」と訝(いぶか)るむきもございましょうが、これがボク流なので、ご勘弁を……。
松飾りを仕舞ってから数日、ボクは酒を断った。血中のアルコール濃度が低下するにつれて頭の回転もよくなってくる。それでは…と創作アイデアを書き溜めてあるノートを読み返している最中に永田町のドタバタ劇を見て、ボクは腹が立った。
アフガニスタン復興支援会議に参加を予定していたNGO代表の一人が、会議の直前になって外務省から参加を拒否された。ジャパン・プラットホーム及びピースウインズ・ジャパンという二つの団体の代表をしている大西健丞さんがその人だが、その彼が参加拒否に至る裏話をマスコミに暴露したことが騒ぎの発端である。
会議の前日に外務高官から電話で、
「大西くんが朝日新聞の“ひと欄”で『お上の言うことはあまり信用しない』と語ったことに鈴木さんが激怒している。電話して謝ってくれ」と言われたという。
鈴木さんというのは鈴木宗男衆院議員のことである。理不尽な話だと思った彼はその要請を無視し、その結果会議から締め出された。
それを知った田中真紀子外務大臣は野上外務次官に、「職を賭しているのか!」と、迫って、大西さんの会議への二日目からの参加を認めさせた。この問題が二十四日の衆院予算委員会で取り上げられる。
野党の追及に田中外相は鈴木議員の関与を次官から聞いたと答弁。当の鈴木議員は全面否定し、外相は嘘をついていると決めつけた。次官も、外相に鈴木議員の名前を言った憶えはない、鈴木議員の関与もない、と外相答弁に疑義を挟み、「言った言わない」の“藪の中”状態が出来(しゅったい)した。翌二十五日。田中外相は自民党国対委員長から予算委員会での発言の撤回を迫られた。が、これを拒否。報道陣を前に、自分は嘘を言っていないと訴えて涙をこぼした。
そして二十九日。中東アフリカ局長が「大臣が言われた通りかと思います」と答弁し、予算委員会は紛糾した。この一連の経過の中で、小泉内閣の主役たちはそれぞれ実に特徴的なコメントをした。
・福田官房長官「外務大臣の勘違いではないですかね」
・小泉総理大臣「涙は女の最大の武器といいますからね。泣かれると男は誰も太刀打ちできないでしょう」
・塩川財務大臣「野上が悪い、野上次官を辞めさせるしかないがな。局長を辞めさせるのは可哀相やし、真紀子は何も悪い事しとらんしな」
しかし、日付が三十日に変わってまもなく、田中外相は更迭され、野上次官は任を解かれ、鈴木議員は自ら議院運営委員長の職を辞した。
小泉総理はこれを“三方一両損の大岡裁き”になぞらえ、苦渋の選択だったと言いつつも胸を張って見せた。
が、ボクの眼には、奇妙キテレツな解決に映った。
“ケンカ両成敗”とか“三方一両損”というのは、要するに“なあなあ”で曖昧に事を収める日本古来の決着のつけ方である。悪くない方も罰される。仮にも構造改革を標榜する総理大臣のとる方法ではない。
しかも、冷静に見れば実質的に罰を与えられ損をしたのは田中真紀子ひとり。鈴木宗男は自民党内で“真紀子おろし”の功労者扱いされ、野上次官は表面的には閑職に移ったものの役所内での待遇に変化はない。広い執務室も秘書も運転手つきの専用車も今まで通りである。だから余計に腹が立った。
鈴木宗男が大西さん排除を外務省に指示したことは疑いようがない。大西証言がそれを裏付けている。彼にはわざわざ嘘をつく必要もなければ嘘をついて得することもない。外務官僚の過剰反応という見方も出来ないではないが、仮にそうであったとしても、そうさせたのは鈴木宗男本人である。つまりは関与している。
では、外務官僚たちが支えるべき大臣を貶(おとし)めてまで鈴木宗男を利したのはなぜか?
鈴木宗男は、いわば唯一の外交族議員であるらしい。外務政務次官や官房副長官を務め、自民党の外交部会長として外務省の予算獲得に尽力し、ODA予算の配分を牛耳ってきた。
また、外務官僚たちは、どうせ短期間で交代する大臣はお飾りでよい、馬鹿な政治家たちに外交はできない、国の外交は自分たちプロの手に任せておけばよい、というエリート意識に凝り固まった集団としての共同幻想を抱いている。
だから、利用できる鈴木宗男との関係は温存しておいても、外務省改革を唱えて省内の恥部をほじくり返す田中真紀子を早く追い出したい。それが彼らの本音だろう。外交機密費問題や在外公館での不祥事隠蔽やODA疑惑などがその背景にある。彼らは国益ではなく省益を守ろうとして今回の挙に出た。そうとしかボクには考えられない。彼らは狡猾(こうかつ)に立ち回ったのだ。
一方、永田町の変人・小泉純一郎は、「構造改革なくして景気回復なし! 私が自民党をブチ壊す!」と叫んで総理総裁となった。彼に期待し、痛みはあっても彼の改革路線を応援しようと思っていたのはボクだけではなかろう。しかし、田中真紀子更迭を聞いてボクは彼の改革路線も怪しいものだと考え始めた。去年の秋から抵抗勢力との妥協の匂いが濃くなったように感じていたが、この人事は明らかに抵抗勢力との妥協の産物である。田中真紀子は彼の改革政権のエンジンだった筈である。そのエンジンを切り離したということは方針の転換が図られたということを意味している。
そう考えて彼の総理就任後の施策を振り返ってみると、疑念を喚起する材料に事欠かない。
“国債発行は三十兆円以下“という公約は守られているように見えるが、国債の償還原資であるNTT株を売却して補正予算を組んだのでは国債を発行したのと大差ない。特殊法人の民営化も抵抗勢力との妥協による“なし崩し”か“先送り”がほとんどであり、けんか腰の発言を繰り返しても、落ち着き先を見ると“デキレース”と思しきことが目立つ。
小泉は「変人の変は変革の変だ。永田町の常識は世間の非常識でもある。私が自民党を変えてみせる」と大見得を切ったが、この頃の彼の背後には青木幹雄・野中広務・森喜朗たち密室談合組の影がちらつく。彼もやはり永田町の泥水にどっぷり浸かっている一人と思わざるを得ない。その証拠に抵抗勢力の牙城である橋本派や江藤・亀井派が一気に活力を取り戻している。
ボクが思うに、小泉純一郎は、たまたま唯我独尊(ゆいがどくそん)の変わり者ではぐれ狼的存在だったから、旧い自民党的体質を色濃く持っていても汚れた金に手を染めなかった、否、そういう機会がなかったのだろう。それが幸いして清潔なイメージを持たれ、田中真紀子という人気者の応援団長を得た。彼は、閉塞状態に辟易としていた庶民に“彼に任せれば流れが変わる”という幻想を抱かせることに成功した。しかし、権力の椅子に座り慣れてくると、口うるさい応援団長は不要になったらしい。
ここに彼の実体が垣間見える。我々庶民が期待した改革は遅々として進まず、景気は浮揚せず、凋落(ちょうらく)著しかった自民党だけが妙に元気になった。抵抗勢力と戦うだの自民党を壊すだのというのは眼眩ましに過ぎず、最初からデキレースだったのだ。そう考えると妙に腑に落ちるのはボクだけだろうか? 評論家の佐高信さんが今回の外相更迭劇を「小泉さんの国民に対する裏切りが始まった」と評していたのもうなずける。
この騒ぎの表舞台に顔を出しているのに目立たない人物が一人いる。福田康夫内閣官房長官である。
彼の父が真紀子の父である故田中角栄に煮え湯を呑まされ続けた故福田赳夫である故か、彼の様子には“真紀子憎し”がちらちらする。また、外交機密費の官邸への上納問題が二人の関係をギスギスさせているようでもある。
前者は個人感情の問題だが、後者の方は政治家として相当深刻な問題だとボクは思う。
自民党は、平成五年八月に細川連立政権の誕生で下野したが、約一年後に旧社会党と手を結んで政権に返り咲いた。それ以降に官房長官を務めた代議士で今なお現役なのは、橋本派の村岡兼造・野中広務・青木幹雄に森派の中川秀直・福田康夫の五人である。外交機密費上納が明らかになると、小泉は困らなくても彼らは困る。官邸と抵抗勢力が手を結ぶ理由がここにもある。惚(とぼ)けた味わいのスポークスマンぶりで結構人気がある福田だが、真紀子更迭に一枚噛んだのは間違いない。相当な曲者だ、小泉シーザーのブルータスになる可能性もある、とボクは思う。
さてここで、鈴木宗男という人物についても考察してみたい。
彼は北海道比例区選出の議員である。北海道といえば故中川一郎を思い出す。
青嵐会(せいらんかい)という派閥横断組織をつくり、当時の田中派金権政治を打破しようと試みた。志半ばにして不慮の自殺をしてしまったが、北海のヒグマと呼ばれた風貌と行動力は永田町だけでなく庶民の耳目も集めていた。
鈴木宗男はその中川の秘書だった。
信頼が厚く重宝されてきたが、中川に無断でアングラマネーに手を出し、あろうことかそれを逆手にとって、中川に、自分の参院選出馬を認めさせようとした。中川の自殺はそれが原因だとも、中川は鈴木宗男に関係のある闇の組織に殺されたとも、巷間噂されている。中川の死後、鈴木宗男は参院選に打って出た。その資金は中川の金庫番の時に簿外に隠し置いたものらしい。
無所属議員の頃から権力の中枢にすり寄り、自民党に入党してからは、金丸信や小渕恵三や野中広務らに下僕のように尽くして頭を持ち上げてきた。それが鈴木宗男である。
現在の集金力は派閥領袖のそれを上回る。“利権あるところに宗男あり”で、政治家というより金に塗(まみ)れた政事屋と言った方がよかろう。今は抵抗勢力の走狗として改革の流れにことごとく竿をさして廻っている。
伸し上がるためなら何でもする。野心を叶えるために師を裏切り、覚えを良くするために実力者に尻尾を振る。その一方で弱い相手にはあたかも自分が全能者であるが如くに振舞う。声が大きい、しつこい、都合の悪いことは事実無根だと言い張る、相手の弱みにつけこんで脅す。厚顔無恥。傲慢。下品……。
これが大半の庶民が抱く彼のイメージだろうが、こういうタイプは概して小心なのである。小心であることは悪いことではない。むしろ、大それたことはせず他人様に迷惑をかけない慎ましさが微笑ましい。
しかし、小心者が金と欲に囚われると始末が悪くなる。自分の利益を最優先し、平気で他人を踏み台にする。保身のために嘘をつく。その嘘が一度通ると常習になる。嘘をついても構わないのだと開き直り、そのうち自分は嘘をついていないと信じるようになる。すべてを自分の都合の好いように正当化する人格障害の一つの典型である。
国会議員でありながら、国の将来にとって大切なことでも自分の利益にならなければやらない。というより、人格に障害があるから出来ないのだとボクは思う。彼が抱いている幻想を共有していると思しき政治家は多い。金権政治家と謗(そし)られた田中角栄にはまだ国家の未来を図る器量があった。鈴木宗男たちにはそれが欠けている。
それにしても……である。
これまでの日本経済の成長を実現してきた“官僚主導型の業界協調体制”はすでに時代遅れになっている。にも関わらず誰も、特に政治家と官僚は真剣に世の中を変革する気持ちになっていない。いまだに旧い慣習がまかり通り、悪しき人物がのさばる政治の貧困と官僚組織の腐敗には目を覆いたくなる。この現状を打破するには強力な破壊力を持つ政治家の台頭が望まれる。その意味で、田中真紀子には次の舞台が待っている。小沢一郎との競演が見られると面白い、と考えるのはボクだけだろうか?
腹立ち紛れに政治家や官僚を批判してきたが、もうお気づきのようにボクはこの稿で田中真紀子批判は一切していない。彼女にも責められるべき点が多々あるのにボクは責めていない。
なぜか?
理由はいたって単純。恥ずかしながら……彼女のファンなのです。
そのボクが見るに、田中真紀子は海千山千の野郎どもに寄ってたかって苛められているうちに頬の肉が削げ、どんどん綺麗になっていった。
更迭直前には凄絶なまでの美しさをボクは彼女に感じた。意気揚々と飛び回っている頃は、そうは感じなかったのに……である。
ということは、ボクの心を動かす女性美とは不遇に耐える健気さと哀れをもよおす風情に彩られている、ということになる。ボクは旧いタイプのナルシシストなのかも知れない。
何はともあれ、このことは口が裂けても女房殿には話すまいと心に誓った。
[平成十四年一月]
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