都筑大介 ひなたやま徒然草 2

     某月某日 スノーブラック





 このごろボクは妙だ。妙に怒りっぽくなっている……。
 幅の狭い道ですぐ目の前を行く車がノロノロ走っていると、ウインドウを閉め切った車の中で「とろとろしてないで、もっと速く走れよ!」と声を荒げる。ご機嫌よろしく居酒屋で一杯やっていても、隣のテーブルに座った若者たちが奇声を上げれば、頭の中で「静かにしねーとブン殴るぞ!」と叫ぶ。

 それやこれやで些(いささ)か気になって、つらつらぐうたら、その原因を考えていたらあることに思い当たった。
 ボクの心の奥の方に長い間押し込められていた自我の一部が、ボクに断りもなく勝手に「もういいだろう」と決めて、シャシャリ出て来ている。そう思いついた。
 頑固で我が儘でへそ曲がりのボクでも、サラリーマンの頃はそれなりに辛抱をしてきた。同期の連中や先輩諸氏の耳に触れると嘘つき呼ばわりされそうだが、何とでも、言いたい向きには言わせておこう。
 おっ、ボクも
齢(よわい)を重ねて角(かど)がとれてきた。
 ……ん? てぇことは、怒りっぽくなったのは
年齢(とし)のせいかも知れない。なるほど、その可能性の方が高そうだ。ま、どうでもいいか、そんなことは。とにかくボクは今日もまた腹を立てている。


 かのグリム童話は、ストーリーのあちこちに残酷で非道なシーンが織り込まれているために、“血と恐怖のコレクション”と呼ばれているらしい。
 グリム童話の「白雪姫」をそういう視点で描いた「スノーホワイト」というハリウッド映画がある。ボクの好きな演技派女優・シガニー・ウィーバーが嫉妬に狂う恐ろしい継母(ままはは)を演じているのだが、そのシガニーを美しい白雪姫が殺してしまう。心優しいはずの白雪姫は狡猾で自分本位な少女として描かれている。
 つい最近ボクは、この作品をレンタルビデオで観て、物事には必ず表と裏があることを再認識した。そして、シガニーを可哀相に思った。役の上のこととはいえ、好きな女が殺されるのは悲しい。

 ボクがシガニーの死を大袈裟に悲しんだ数日後だった、雪印食品の不正行為が発覚したのは……。
 関西ミートセンターが、BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)対策として政府が打ち出した疑惑牛肉買い取り制度を悪用し、安い輸入牛を国産牛の箱に詰め替えるという姑息な手段で過剰在庫の処分と差額稼ぎをしていたのだ。いやはや、“白雪姫と七人の小人(こびと)たち”ならぬ“雪印と八人の小人(しょうじん)たち”には驚ろかされた。余りの非道(ひど)さに心が冷え、頭に血が上った。しかも、日を追って不心得者の数が増えていくではないか……。

 この事件は雪印から在庫保管を委託されていた倉庫会社の経営者によって告発された。雪印食品の経営陣は、センター長が独断でやったことだと釈明した。が、ボクはおかしいと思っていた。案の定、関東ミートセンターや他の事業部でも同じ不正行為をしており、本社のデリカハム&ミート事業本部の部長が関与していた。つまりは会社ぐるみだった訳だ。
 親会社の雪印乳業が返品された牛乳を加工乳に混入して出荷し、一万四千人もの食中毒を出したのは一昨年のことである。それからまだ間がないのに、今度は子会社の雪印食品が補助金詐取である。もう、「なんてことしやがる!」や「許せねー!」は通り越して、「情けない、馬鹿、ド阿呆、死ね!」と言いたくなる。スノーブランドも泥にまみれて真っ黒である。

 大正十二(1923)年の関東大震災の折。政府は物資欠乏と価格高騰を回避するために乳製品の輸入関税免除を決めた。輸入品に対抗するためにメーカーは生産者乳価を引き下げ、生乳検査も厳しくした。そのために不合格乳が大量発生して、生産者は立ち行かなくなった。
 メーカーと生産者の利害は激しく衝突し、この事態を解決しようと、数人の酪農家が立ち上がった。それが雪印の前身・北海道製酪販売組合である。
 設立メンバーは、品質向上に腐心しながら販路を求めて全国行脚し、道内の小売店はそれこそシラミ潰しに廻った。組合製酪事業がいかに北海道酪農の振興に重要であるかを誠心誠意訴えて廻り基盤を堅固なものにした。
 そして昭和二十五
(1950)年。戦時中に官民合同会社だった北海道興農公社を経て、雪印乳業は誕生した。
 その後も今日に至るまで、幾つかの危機に直面している。誕生して間もない頃にはライバル会社から独占禁止法違反の疑いで提訴され、昭和三十年には集団食中毒事件を起こした。機械故障と停電事故が重なって学校給食用の脱脂粉乳に溶血性ブドウ球菌が繁殖したことが原因だった。
 しかし、その都度、雪印は素早い対応と誠心誠意の行動で乗り切ってきた。「品質によって失った信用は、品質によって回復する以外に道はない」という信念に基づいて努力を重ねた。結果、業界はもとより日本を代表する企業へと成長した。それが雪印である。

 しかるに、今日の体たらくはどうしたことか?
 健土健民(けんどけんみん)、すなわち「大地の恵みである牛乳と乳製品を通して健康で味わい豊かな食生活に貢献するとともにお客様と社会の役に立つことを誇りとする」という創業精神はどこへ消えてしまったのか?

 政府の責任も見逃せない。BSE対策が国際的課題になった1996年当時、農水省は「日本で起こることは考えられない」と嘯(うそぶ)いて、何の予防手段も講じなかった。昨年の夏から次々とBSEに罹った牛が発見されたが、いまだに感染経路は究明されていない。全頭検査以前の屠殺肉すべてを政府が買い上げるという、補助金バラマキをしただけである。
 しかも、政府の買い取り措置は、当初案では「屠畜証明書」の添付が必要条件になっていたのに、農水族議員のゴリ押しで「在庫証明書」だけでよくなった。農水官僚は、抜け穴が出来ることは承知の上で、わざわざ不正の温床をつくった。役所が不正に加担したと言っても決して過言ではなかろう。

 それにしても、“何をかいわんや”である。

 雪印食品はラベルを貼り替えて屠殺処理日を誤魔化し、品物の詰め替えをし、在庫記録を改ざんして水増し請求までしていた。北海道産を熊本産と偽って販売し、輸入牛を和牛と偽って沖縄のスーパーへ卸し、数年前に消費期限が切れていた補助対象外の在庫を国に買い取らせていた。ラベルの貼り替えによる産地や品種の誤魔化しは十数年前から日常的に行われていたことも明らかになった。チーズの輸入日改ざんなど牛肉以外でも似たような不正をしていたらしい。スノーは“ホワイト”ではなく“ブラック”だったのだ。
 今、全国のあらゆる店舗から、牛肉のみならず、スノーブランド商品が次々に姿を消していっている。親会社の雪印乳業では、前回の食中毒事件後にそれまでの六割になった牛乳の出荷がこの事件後は二割を下回るほどに落ち込んでいるという。雪印食品のみならず親会社の雪印乳業も併せて、雪印グループはマーケットから撤退して行くことになりそうだ。
“げに恐ろしきは小人(しょうじん)の浅知恵”か……。

しかし、どう考えても、雪印食品の経営陣はお粗末だ。
 センター長が勝手にやったという釈明が通らないと知ると、本社の担当部長の独断だったと前言を翻した。あくまで自分たちは知らなかった、実態を把握できなかったと、まるで他人事のような説明を続けた。疑惑を指摘された国会議員が、あれは秘書がやったことだと言うのとまったく同じだ。社長が引責辞任したといっても彼は会社を辞めた訳ではない。どうせ相談役あたりに収まって今まで通りの待遇を享受している筈である。これもまた、役職は離れても議員辞職はしない永田町の連中と一緒だ。

 ボクは経営陣がこの不正行為を知らなかった訳がないと思う。
 雪印ほどの大企業になれば相当進んだ情報管理システムを持っている筈である。日々の販売動向や在庫状況は、執務机の上のパソコンをチョイと操作するだけでたちどころに知ることが出来るようになっている筈である。もしもそうでないとすれば、街のコンビニにも及ばない貧困なシステムしか持っていないことになり、それこそ経営責任を問われる。

 つまり、彼らは知っていたとボクは確信する。
 偽りを意識すれば耐え難い苦痛を感じるから、事実とは明らかに違っていても自分たちが受け容れ易い根拠を、他の会社もやっていることだからという甘えを、意識の中核に持ってきていたのだとボクは思う。そして、社内で共同化された異常な感覚が彼らの日常感覚になっていたのだとボクは思う。
 彼らは決して経営者などではなく、先輩たちが苦労して作りあげた財産を食いつぶす“すねかじりサラリーマン”に過ぎない。今の日本はこのタイプが経営者面だけして何もしないから構造改革はすすまないのだ。政治家だって官僚だって同じである。ボクは思う。
 雪印食品の役員たちも、どうせ辞めるなら腹を括って、
「私たちは全部知っておりました。社員をあそこまで追い詰めたのは私たちの責任です。責任をとって役員全員が会社を辞めます。皆で検察庁へ出頭して事実を告白します」くらいのことを言えばよかったのに……と。
 素直に非を認めて「後のことは後輩たちに託したい」と言っていれば、まだ会社存続の目が残ったとボクは思う。

 さて、関西ミートセンター長と彼の部下たちに目を転じよう。

 はたして彼らはこの不正行為を……、
 自らすすんでやったのだろうか?
 嫌々ながら上の指示に従ったのだろうか?
 強制されて泣く泣くやったのだろうか?
 不正を不正と感じないほど良心が麻痺していたのだろうか?


 三代前のセンター長の頃から同じやり方で不正が行われていたというから、彼らの良心は麻痺していたのだと思う。
 飼いならされ、悪しき慣習に慣れていった雪印の社員たちは間違った伝統をつくりあげてしまった。リストラの嵐に怯えるがゆえに黒を白と言わざるを得なかった人、自己保身のために黒を白と言った人、良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれながら黒を白だと自分に言い聞かせていた人、不正行為を部下に強いても平気だった人もいたことだろう。
 しかし、悪事に手を染めたことだけは間違いない。それは厳然たる事実である。
苦境にあっても夢と希望を捨てず、苦しみぬいて、白く清らかなスノーブランドを築きあげてきた先達が草葉の陰で泣いている。否、怒っている、きっと……。

 組織の自我は多くの個人の自我を吸収して出来ている。その組織は個人の自我が組織の自我を超えることを許さない。
 これは悪しき全体主義に共通する現象である。日本でいえば戦前の大政翼賛会がよい例だろう。客観性と冷静さを失って、勝てるはずのない戦争へと突入していった。

 つまり、集団自体が密閉状態になっていると、外の世界が見えない。自分たちの行為を他の人たちのそれと相対比較できないから、つい極端な行動に走りがちになる。これは集団にとって大変危険なことなのだ。

 個人にとって危険なのは、権威への服従と感受性の欠如であろう。
 上の命令に無批判に服従する。上の命令なら悪いことでも残酷なことでも平気で実行してしまう。小心で職務に忠実な人間ほど相手の苦痛に対する感受性を欠いてしまうらしい。
 前の大戦時にナチスドイツや日本の関東軍が残酷なことを行ったのと上の言う通りにすることとは、一見すると違うようでも、自分自身の実感がない点では変わりがない。雪印では経営陣も社員も、皆揃って、犯罪行為の実感を抱くことなく、今回の事件を起こしたのだとボクは思う。


 ヒトは“不安な自由”か“息苦しい安定”かのどちらかを選ぶしかない。安定していて尚且つ自由である、ということは滅多にはない。彼らは息苦しくても安定している方を選択していたのだ、と思う。

 役所の連中も似たり寄ったりである。強欲で無責任な政治家が官僚たちを振り回す。振り回される被害者の立場を装って、自分たちの組織を守ることだけに腐心して、勝手なことをやっている。自分たちの不手際が原因で被害をこうむっている生産者や小売店や焼肉屋さんを救うことなどさらさら考えていない。

 ムカッ腹が立つ。腹を立てすぎて頭が痛くなってきた。ひと寝入りしよう。


                          [平成十四年二月]