都筑大介 ひなたやま徒然草 


      愚人(ぐじん)の秋か?







 つい先日ボクは野暮用で大阪へ行ってきた。その昔仕事の関係でしばらく暮らしていたこともあって、ボクは大阪事情に結構詳しいつもりである。なのにいつも何か新鮮な驚きのようなものを持ち帰らされる。特に中高年のご婦人方は行く度にボクの眼を点にしてくれる。オバハンと呼ばれる彼女たちの思考回路に、東京のオバサンたちとは異なる、ある種の独創性をボクは感じてしまうのだ。で……今回は、買い物帰りの道端でシャベクリまわる、そのオバハン会話を収録してみた。

         *

「奥さん。そやけどイチローくんて、すごい子やねぇ。世界一ぎょうさんヒット打ちはったんやて」
「ほんますごいわ。うちもあの子がオリックスにいてる頃からのファンやさかい、そらもう、ゴッツウ嬉しいわ」
「それに引き換え日本の野球のまぁなんとつまらんこと……。試合より選手のストの方が話題になるんやもんね。球団の偉いさんたちがおろおろしてるの見ながらうちの亭主が怒ってたわ、『ワシの楽しみを取るようなことしくさって、このドアホが……』言うて」
「巨人のナベツネオーナーでっしゃろ? 『たかが選手』いうて、古田さんを小バカにしたんは……。何様のつもりかいな、あのジイさん」
「長いこと無いんやないの、ああいうヒトは」
「そやろか? 悪いヤツほど長生きする言うやない? なかなか死なへんのとちがう?」
「そうかも知れへんねぇ。元気そうやもん、いつ見ても……。そうそう、元気いうたらお宅のおじいちゃん、ほんまに元気やねぇ。幾つにならはったん?」
「中曽根さんと同い年の八十八やと思うわ。元気なんはええねんけど……」
「ええねんけど……て奥さん。お宅のおじいちゃん、どないかしはったん?」
「それがね奥さん。気色(きしょく)悪いのよこの頃……。自分の孫やのに、うちの娘を見る眼つきが妙にいやらしいのよ。間違えた振りしてしょっちゅう風呂場のぞくし……。昔は優しい働き者のお舅(しゅうと)さんやったのに変ったわぁ。ほんまサプライズ!」

「サプライズいうたら奥さん。小泉さんも変ったんのとちがう? 自民党をぶっ壊す言うさかい期待してたんやのに、壊れたんは野中さんが辞めはった橋本派だけで、自民党は前とちっとも変わってへんのとちがう? これ、インチキやわ」
「そやねぇ。うちもそない思うわ」
「道路公団の民営化も『看板かけ替えただけやないか!』言うてうちの亭主が怒ってたわ。そやのに今度は郵政民営化でしょ? 拉致問題、どないする気やろか?」
「支援室の中山さんが辞めはって、外務省の斉木さんも転勤らしいやないの。小泉さん、もう投げ出してしもたんやろか? そやったら、横田さんも有本さんもかわいそうやなぁ」
「うちの亭主、『投げ出したんやない。元々その気がなかったんや!』言うて、怒ってたわ」
「よう怒る人やね、お宅の旦那さん……」

         *

 いやはや実に面白い会話でありますな、というのはすべてボクの創り話。大阪へも行っておりません。多分大阪のゴッツウ元気なオバハンたちは今頃こんな会話をしているんじゃなかろうかと、想像をたくましくして書いてみた次第です。

 しかし、小泉さんは拉致問題をどうするつもりなのだろうか? 改造内閣の顔ぶれを見る限りすでに情熱を失っていると思うのはボクだけだろうか? 地村さんや蓮池さんの子供が帰ってきて、曽我さんの娘さんとジェンキンスさんが帰ってきたことで拉致問題は終ったあるいは終ったことにしたい、と考えているように思えてならない。

 十月十八日。アメリカのブッシュ大統領は「北朝鮮人権法案」に署名した。議会が成立させたこの法案は、北朝鮮に拉致された日韓両国の市民に関する情報の公開とその市民の故国への帰還を北朝鮮政府に求め、あわせて人権の尊重や信教の自由を確立することを要求している。また、日本人拉致問題の解決を含めた北朝鮮の人権問題が改善しない限りアメリカは人道支援以外の援助をしないと決め、北朝鮮と人権問題を協議する大統領特使のポストを新設。北朝鮮からアメリカへの亡命者にも門戸を開いている。さらに、北朝鮮の人権状況の改善を目指して活動している国際NGOなどに四年間で二千万ドル(約二十二億円)拠出することも決めた。

 これを受けた町村外務大臣は、「日本人拉致に言及している点は評価できる」と、まるで他人事のようなコメントをした。小泉さんはというと、いまだに何ら正式コメントは出していない。オリンピックでの金メダルラッシュやイチローのメジャー最多安打更新の時には饒舌(じょうぜつ)だった小泉さんが、他国に拉致された自国民の件になると寡黙(かもく)になる。不思議である。
 不思議といえば、小泉さんは在日北朝鮮人の団体である朝鮮総連が催した記念式典に総理大臣祝辞を贈っている、朝鮮総連のメンバーが日本人拉致に深く関与していた疑いがあるにも関わらず……だ。多分、五月の訪朝のお礼をしたつもりだったのだろうが、日本人を拉致誘拐するような国の出先機関におもねるとはまさに奇々怪々だ。「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし!」と格好よく叫んでいた日々はまるで幻だったようにかすんでいる。

 ことほど左様に小泉さんには日朝国交正常化が第一で拉致問題はどうでもいいと思っている節が感じられてならない。太平洋戦争が終結して早くも六十年。この間、吉田茂がサンフランシスコ講和条約を結んで日本の独立性を一歩進め、岸信介が日米安全保障条約を固め、佐藤栄作が沖縄返還を実現し、田中角栄が日中国交回復をやり遂げた。だから、「今度は俺が日朝国交正常化をやって歴史に小泉の名前を残すんだ!」とばかりに策を弄(ろう)しているとしかボクには見えない。政治家がやるべきことに真正面から取り組んで懸命に努力した結果を待つというのならまだしも、政治家個人の栄誉のために国民を犠牲にすることなど愚の骨頂(こっちょう)ではないか。

 国を動かしている政治家がやるべきことは何よりも先に国民の生命と財産を守ることだ。日本国憲法にはそれが規定されている。にも関わらず、小泉総理大臣殿は残る拉致被害者十人の安否には関心がなさそうである。拉致被害者の実数は二百人とも四百人とも言われている。脱北者の証言などから明らかに北朝鮮に拉致されたと判断できる特定失踪者の拉致被害者認定も、政府はしようとしない。アメリカが北朝鮮担当の大統領特使を新設したのに、当事国である日本の政府内に拉致問題を担当する大臣はいない。経済制裁の発動も渋っている……。
何かおかしい。我々庶民には見えないところで裏取引がされているような……、そんな気がボクはしてならない。

 そういえば、故人となった金丸元自民党副総裁が朝鮮総連経由で金日成から届けられたと思しき、刻印のない純金の延べ棒をいっぱい隠していたことを思い出した。思い出したといえば二年前、小泉さんの最初の訪朝の時に金正日から贈られた飛行機いっぱいのマツタケ。あのマツタケは誰が食ったんでしょうかね。


 小泉さんはパフォーマンス政治家だったんだと、この頃ボクは実感している。
「構造改革なくして景気回復なし!」
「変わらない自民党は私が壊して見せます!」
「派閥人事はやらない。誰を大臣にするかは、適材適所に自分が決める」
「感動した! 痛みに耐えてよく頑張った!」
 こんな風に言っていたころはボクも騙されていたような気がします。変人小泉さんに好感を持っていました。ところが、
「この程度の公約が守れなかったって大したことではない」
「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」
「大量破壊兵器がないことを自ら証明しなかったイラクのフセイン大統領が悪いのであって、アメリカのイラク攻撃は間違いではない」
 最近は、自分の立場と判断を正当化する言葉がどんどん出て来る。

 沖縄の米軍ヘリコプター墜落事故の時には夏休み中であることを理由に県知事と会わない、新潟で大地震が勃発しても東京国際映画祭の会場にとどまって非常事態対策本部にも入らず、執務場所の総理官邸に戻ったのは翌日曜日の夜。小泉さんの防災担当大臣への指示で対策本部が設置されたのは地震が発生してから十時間後だし、小泉さん自身は休日には仕事をしない主義らしい。


 やっぱりおかしい。小泉さんが変人と呼ばれその変人振りが評価されたのは、過去の永田町政治とは違った手法で国を動かそうとしたゆえであって、おかしな行動をするだけの変人になってしまっては政治家として愚人(ぐじん)と言うほかない。ボクはそう思う。

 不運にも今年は台風の当たり年。あちこちで大勢の被災者が苦しんでおられる。企業の業績が回復基調に入ったといっても情け容赦のないリストラをどんどん進めた結果として決算書の数字が良くなっただけであって個人消費全体はいまだにマイナスが続いている。そうそう、よくよく思い出してみると健康保険の本人負担率を一割から二割に上げたのは厚生大臣当時の小泉さん。総理大臣になってからは、健保の個人負担率を二割から三割に上げて介護保険料を新たに徴収することを決め、年金保険料率が年々上がるようにし、今度は所得税の定率減税と配偶者特別控除をなしにするつもりらしい。「私の在任中、消費税率は上げません!」と耳当たりのいいことを叫んでいるが、目立たず抵抗の少ないところで国民負担をどんどん増やしている、その国民は給料が減らされているのに……である。政府・省庁のリストラや経費節減は一向にすすまない。金食い虫の特殊法人はちっとも減らないし、高級官僚の天下りも前より増えている。

 どう考えてもおかしい。
衆議院議員の選挙が中選挙区の時代には選挙のたびに、小泉純一郎と書いてきた自分が哀しくなる。
「もう絶対に自民党に票はいれないからな!」
 そう言ってボクが怒っていると、女房殿が呆れ顔で言った。
「あなた、この頃よく怒るわねぇ」

                                           [平成十六年十月]