都筑大介 ひなたやま徒然草 

  大したことではない?






 このところずっと、ボクは怒っている……。
「ひとを小バカにした」北朝鮮のやり方には勿論のこと、日本政府の対応にも腹を立てている。
 十二月八日水曜日。先の日朝実務者協議の際に北朝鮮側が提供した「横田めぐみさんの遺骨」とされる骨をDNA鑑定した結果、その骨は二人の別人のものであり、横田めぐみさんのものではないことが判明した。また、「松木薫さんの可能性がある」という遺骨も別人のものであることが判明した。

 鑑定結果を発表した細田官房長官は、「先方の調査が真実ではなかったと断じざるを得ない。極めて遺憾(いかん)だ。厳重に抗議するとともに真相究明を迫りたい。このような状況ではさらなる支援を行うことは難しい。日朝間の交渉に非常に大きな障害が出ている」とコメントしながらも、経済制裁に踏み切るのかという質問には、「証拠品として提出された他の物も精査した上で検討することになると思う」と答えをボカした。

 二年前に交わされた平壌宣言は、『(拉致問題を含む)日朝間の諸問題の解決に誠意を持って取り組む』ことをうたっている。しかし、今回の北朝鮮側の対応で、彼らが誠意を持って取り組んでいないことは明白だ。

 与党自民党の武部幹事長は、「(北朝鮮を)ならず者国家と言う人もいるが、まさにそういうやり方だ」と憤(いきどお)って見せ、安倍幹事長代理は、「(二度目の小泉訪朝となった五月に)金正日総書記が『白紙に戻して調査させる』と約束した結果がこれでは交渉する意味がない」と声を荒げた。

 小泉首相はというと、「虚偽の資料を出してきたことは極めて遺憾だ」としながらも、「対話と圧力の両面を考えて交渉を続けないといけない。拉致家族の皆さんのためにもここで打ち切ってはいけない」と沈着冷静なコメントをし、怒りの欠片も見せなかった。
 記者団からの「対話はもう十分したのではないか?」という質問に、「まだまだ足りませんよ。平壌宣言の精神にのっとって誠意ある対応を求めていきます」と、経済制裁にはあくまで慎重な、まるで北朝鮮を擁護(ようご)しているような姿勢を示した。

 また、外務省首脳は「実務者協議を打ち切るというのはシンプルな答えだが、それでは何も出てこない。少なくとも、もう一回は実務者協議をやる」と言い、
 首相周辺は「経済制裁をやれば日朝協議は途絶え、再開に数年は要する」と制裁へと盛り上がる世論を牽制(けんせい)し、
 自民党総裁派閥の幹部は「経済制裁をすれば、北朝鮮は間違いなくそれを口実に核開発問題をめぐる六者協議に出てこなくなる」と制裁発動にブレーキをかける発言をした。

 この政府と自民党の反応を見ていて、ボクはいわゆる『デキレース』の匂いを強く感じた。
 つまり、世論を意識して「憤って見せる係」と北朝鮮に配慮して「慎重論を述べる係」が決まっていて、それぞれが自分の役割を演じているように思えてならないのだ。
 武部幹事長が自分をサプライズ起用してくれた小泉さんに逆らうはずはない。
 経済制裁発動に関する急先鋒のような安倍晋三さんにしても、表面はともかく、本気で小泉さんと闘う意志はなさそうだし、制裁を求める世論の「ガス抜き役」をやっているようにしかボクには見えない。

 とするとやはり政府と自民党の本音は、赤字国債の発行額を30兆円以下に抑えるという選挙公約を守れなかったときに小泉首相が「その程度の公約が守れなくても、大したことはない」と言ったのと同じで、
「日朝国交正常化という大事業を成し遂げるためには、拉致被害者救出など大したことではない」ということになる。

 確かに五人の拉致被害者とその家族を取り戻したのは小泉さんである。
 しかし、
 二年前の突然の訪朝は衆議院選挙の前であり、
 曽我さん一家のインドネシアでの再会は参議院選挙の前、
 今回の発表も自衛隊のイラク派遣延長を閣議決定する前日だった……。
 小泉政権が拉致問題を国内政治に利用してきたこともまた明らかな事実である。

 支持率低下中だった小泉首相は運良く金正日から拉致被害者五人帰国というプレゼントをされた、そして五人の帰国で拉致問題に幕引きをしようという密約があったのだとボクは思っている。
 なぜなら、
 自国民を拉致されるという主権侵害をされながら怒りもしないし、
 もっと大勢が拉致されている情報や証拠が沢山ありながら、拉致被害者の追加認定をしない。
 五人の帰国者から詳細な事情聴取をした形跡がないし、ジェンキンスさんから突っ込んだ情報を聴取する予定も組まれていない。

 なんとしても北朝鮮との国交正常化をしたい小泉政権としては、詳しいことが表に出て北朝鮮が硬化すると困るのだろう。そうとしか思えない。
 ボクには、小泉政権には拉致被害に遭った方々や家族も含む国民に対する愛情が欠如しているように思えてならない。
 また、あんなに酷いことを平気でする国と今なぜ国交を結ばなければならないのか、それがわからない。金正日政権がつぶれて別の民主的な政権に代われば国交を結んでもいいが……。

 在野の専門家たちは口々に言っている。
「小泉首相が言っていた北朝鮮の『努力の跡』はどこに見られるのか。外交戦略が失敗したと言われても仕方がない。日本を甘く見ている北朝鮮に対して、政府は『主権侵害である。生存者を帰国させなければ経済制裁もありうる』とはっきり言うべきだ」
「あまりにもずさんな北朝鮮の対応に唖然とした。政府は北朝鮮側に、謝罪や事情説明のための特使派遣を要請し、このような事態を招いた担当者の処分を強く求めるべきだ」
「日本が北朝鮮からナメラレ切っているとしか言いようがない。小泉首相は『対話と圧力』と言い続けてきたが、一度たりと圧力をかけたことがあるのか」

 野党民主党も、岡田代表が「許しがたい。日朝が協議することに意味があるのかと思わせるようなひどい結果だ」とコメントし、鳩山元代表は、「期限を切って相手に要求を突きつけ、ちゃんとした回答が得られないなら制裁に踏み切るべきだ」と言っている。
 そして拉致被害者の家族は言う。
「私たち家族会はずっと経済制裁を求めています。問題は小泉首相が決断するかどうかです」
「小泉さん。あなたが裏で金正日と手を握っているのではないのなら、毅然とした決断をすべきです」

 今回の北朝鮮の虚偽行為によって小泉さんの面子は丸つぶれのはずだ。しかし小泉さんは、怒りの言葉はおろか、きつい言い回しもしない。
 外務省が厳重に抗議したといっても、北朝鮮の北京大使館は日本の公使に会うことも抗議文を受け取ることも拒否し、電話で抗議内容を聞いて「本国に伝える」とだけ答えたに過ぎない。
 日本政府はコケにされている。もうじき「日本の鑑定はデッチアゲだ」と開き直るに決まっている。
 それでも怒らないとしたら、経済制裁に踏み切って交渉断絶となれば日朝国交正常化をやり遂げようとしてきた小泉政権の自己否定につながるからに違いない。

 小泉さんは、「自分の栄誉を歴史に刻むことさえ出来れば、国民がどうなろうと大したことではない、と思っている」と言われても仕方がない。

 養老孟司さんの著作にベストセラーになった『バカの壁』という作品がある。養老さんはこの本の中でこんなことを述べている。
――「話せばわかる」というのは大嘘。話してもわからない。なぜならば、相手は、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断しているからである。また、「わかっている」という怖さがある。当たり前のことについてのスタンスがずれているのに、「自分は知っている。わかっている」と思い込んでいる。本当は何も分かっていない。――
 これが養老さん言うところの『バカの壁』である。

 今、日本にとっては、「経済制裁すれば宣戦布告とみなす」とブラフをかけてくる唯我独尊(ゆいがどくそん)金正日の『北朝鮮の壁』が立ちはだかっている。そして拉致被害者の家族や支援者とボクのように怒っている庶民にとっては、「私の任期中は消費税を上げません」と言いながら増税路線を突っ走り、国民の方を向いてくれそうにない『小泉の壁』が立ちはだかっている……。
 この頃ボクはそう思っている。

 前にも書いたが、衆議院議員の選挙がまだ中選挙区の時代に毎回「小泉純一郎」「自民党」と投票用紙に鉛筆を走らせてきた自分が哀しくなる。
 もうそろそろ総理大臣は他の人に代わってもらいたい。自民党もそろそろ政権与党の座を明け渡してもらいたい。
 それが今日現在のボクの正直な気持ちである。

「でも、小泉さんに代われる政治家がいないじゃないか」

 そう思う向きもあるだろうが、政府が無策で何もしなくても不況から立ち直ってくる日本経済の底力と太平洋戦争終結直後のあの貧困の奈落から這い上がってきた日本人の精神エネルギーを信じればいい。

誰が総理大臣になろうとそんなことは大したことではない!

 最後にもう一つ。
 横田めぐみさんの遺骨だ、松木薫さんの遺骨である可能性があるとして差し出された骨は多分、亡くなった北朝鮮の人の遺骨だろう。
 その人たちの個人の尊厳を、死者の魂を、金正日はじめ北朝鮮当局者はどう考えているのだろうか?

 今回の彼らの行為は死者の魂を冒涜(ぼうとく)するものであり、先祖崇拝を柱にした儒教の教えに最も背く行為に他ならない。
 
外道(げどう)、極悪非道(ごくあくひどう)、残虐(ざんぎゃく)、冷血(れいけつ)、奸悪(かんあく)、卑劣(ひれつ)……。彼らにはどんなひどい言葉を浴びせかけても許されるはずだ。
 ボクは北朝鮮に対して、偽りを積み重ねたこと以上に、このことでカンカンに怒っている。

                                          [平成十六年十二月]