都筑大介 ひなたやま徒然草 14
理念のない虚しさ 【05年7月1日up】
先月下旬、天皇・皇后のお二人がサイパン島へ戦争犠牲者の追悼に出かけられた。かの『バンザイクリフ(数千人の日本兵や民間人が「天皇陛下万歳!」と叫んで飛び降りたという断崖絶壁)』にも行って黙祷された。
今の天皇さんは、皇太子だった頃から広島・長崎・沖縄を何度も訪れて、戦没者の慰霊碑に不戦の誓いをしてこられた。
その天皇さんは常に語っておられる、「私たちには決して忘れてはならない日があります」と……。
それは、『太平洋戦争が終わった日』『広島に原爆が投下された日』『長崎に原爆が投下された日』『沖縄戦が終結した日』の四日である。我々日本人が二度と繰り返してはならない出来事があった日のことだ。
ことほど左様に心の底から恒久平和を願っておられる天皇さんは、真夏の暑い盛りにも正装で顔や首筋に汗をダラダラ流しながら両手を合わせ、こうべを垂れてこられた。
ボクは右翼の国粋主義者でも左翼の愛国主義者でもないが、テレビや新聞で天皇さんのそうしたお姿を拝見するたびにからだの奥底がかすかに震えるのを感じ、少なからず感動を覚えてきた。日本には天皇家があって良かったと思ったことも度々ある。
古来天皇家は民族の祭祀を司ってきた。我々日本人にとって、神と民との交信を媒介してきた、最も権威ある家系である。歴史書には天皇家が国を司った時代があったように記述されているが、それはあくまで表面上のこと。その実は周囲にいる権力亡者たちが天皇家を政治的に利用してきたに過ぎない。
先の戦争もそうだ。
昭和天皇さんが「戦争をしろ」、「隣国を支配下に置け」、「大東亜共栄圏をつくれ」とおっしゃったわけではない。私利私欲に狂奔し自己保身に走った軍部や政治家連中が、国の繁栄と平和そして民の安寧を願っている天皇さんの心を自分勝手に都合よく拡大解釈して、戦争を始めたのだ。
天皇家のスタンスはいつの時代も同じであったとボクは信じている。その本当の姿が我々の眼に見せられてこなかっただけの話だろう。だからこそ、今の天皇さんの、嘘や偽りのない、心と行動が伴っている真摯な姿はボクらの心を打つのだと思う。
その天皇さんとは違って、六月中旬に硫黄島の戦没者追悼式に出席した小泉総理の姿はボクに眉をひそめさせた。
なんと小泉さんは、例の「上着なし・ネクタイなし」の『クール・ビズ』スタイルで式典に臨んでいたのである。ボクは開いた口が塞がらなかった。口では色々言っても姿かたちが腹の中は違うことを示している、と思った。
靖国参拝にしても同じことが言える。「戦争の犠牲になった人たちの御霊に二度と戦争をしないことを誓い、哀悼の意を捧げるために参拝している」、「たとえ戦争犯罪者であっても、死ねばみんな神仏の列に加わる。罪を憎んで人を憎まずだ」と小泉さんは言うが、果たして本心だろうか? 彼一流の詭弁でしかない、とボクは思う。
天皇家の皆さんは、終戦直後からずっと靖国参拝をしておられたが、靖国神社にA級戦犯が合祀されて以降は参拝を中止された。昭和天皇さんはこの合祀にひどく機嫌を損ねておられたと洩れ伝わっている。そのことが何を物語っているかは言わずもがなであろう。
天皇家の靖国参拝中止を小泉さんは何と説明するのだろう?
「人それぞれですから……」とか、シャラッとしゃべって天皇家を貶めるようなこともしかねないなぁ、とボクは余計な心配をしている。
ところで話は変わるが、いよいよ『郵政民営化法案』が衆議院を通過しそうである。自民党執行部は、総務会は全会一致で結論を出すというこれまでの慣例を無視して、多数決で党の方針を決めた。今国会での法案成立を目指すというわけだ。
「政府案の修正は一切認めない」と言っていた小泉さんは、結局、党側との妥協を図った。道路公団改革の時とまったく同じだ。国民の目が届かないところで練り上げた「筋書き通り」の決着に間違いない。
一方、もっと時間をかけて議論すべきだと国民の約80%が思っている郵政民営化騒ぎの最中に、政府税調が増税案をブチ上げた。
これに関するコメントを記者団から求められた小泉さんは、「郵政の民営化が出来れば増税幅が少なくなるんですがねぇ」と、いつものように無感情に、シャラッと答えた。
おいおい。てぇことはあんた、増税は当然だということかい?
消費税は今の5%を19%まで上げる必要があるだって?
「次の総理大臣が決断することです」なんて、しゃあしゃあと、よく言えるよなぁ。自分が総理大臣を辞めたあとはどうだっていいってことか?
世代間で最大の人口を誇る団塊世代が2007年にサラリーマン定年に達するからって、退職金への課税を強化するってぇのは火事場泥棒と一緒じゃないか。
就任以来140兆円も国の借金を増やしてきたのはあんただよ。
あの「株よ、上がれ!」と野菜のカブを両手で持ち上げた小渕さんが増やした80兆円を上回ってるんだよ。
税金の無駄遣いが得意な役人の数は、ちょいと名前を変えて別の場所へ移しただけで、ちっとも減ってないじゃないか。
官僚の天下りだって、会長や社長は減ったけど副社長や専務が前の二倍以上になって、結局は増える一方じゃないか。
もっと色々言ってやりたいが、虚しいからやめる。
小泉自民党政治は、党内の抵抗勢力と戦う革新的総理大臣というイメージを創出し、それを後生大事に続けている。このやり方は、国民の関心を派手な党内抗争をしている自民党に向けて野党の存在を希薄にしてしまう効果がある。政権交代を叫んでいる民主党も形無しである。
しかし、もうかなり底が見えてきている。
「表で戦い、裏で手を握る」したたかで巧妙な意識操作が行われていることにそろそろ国民の皆が気づいていい頃だと思うのだが……。
最後にもう一つ。
皆さんは毎年夏から秋にかけて、日本政府が翌年度の予算編成をする前に必ずアメリカからやってくる『年次改革要望書』というものの存在をご存知だろうか?
1993年の宮沢・クリントン会談以降恒例となったものだけど、その内容を見るときっと驚くと思う。
例えば、小泉さんが固執している『郵政民営化』は1996年に要望された内容の一項目に過ぎない。宮沢→細川→村山→橋本と移ってきた政権の中で小泉さんが郵政大臣になったのは、このアメリカの要望が来た直後だった。
多分、小泉さんは「これだ!」と思ったに違いない。
「アメリカが後押ししてくれる、憎い経世会(田中角栄の流れを引く旧橋本派)を潰せる、自分が総理大臣になるにはこれを推し進めるしかない」と思ったのだろう。
ボクはそう分析している。
小泉内閣がすすめてきた四年間の政策の中で、毎年アメリカから突きつけられるこの『年次改革要望書』の内容から逸脱したものは一つもないのだから。
この現実を改めて皆で考えてみる必要があるとボクは思うのだが、諸兄諸姉にはいかがお考えだろうか?
[平成十七年七月]
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