都筑大介 ひなたやま徒然草 18  
君、恥ずかしからずや




柔肌の 熱き血潮を断ち切りて 仕事一筋 我は非情か」

 皆さんはこの短歌を覚えておられるだろうか?
 そう、以前、与謝野晶子の代表作「
柔肌の あつき血汐にふれも見で さびしからずや 道を説く君」をもじって小泉首相が詠った歌である。小泉流のダンディズムというか、陶酔の美学がよく現われていると思う。

 しかし、後段は明らかに「小泉は」が主語なのだが、前段の「柔肌の熱き血潮を断ち切りて」という部分は主語が分かりにくい。「柔肌」という言葉は女性を表現する時に用いるもので、一般的に男には用いない。とすると「柔肌の女性が血潮を熱くして追いかけてくるのを断ち切って」という意味か、「女性の柔肌に惹かれる自分の熱い血潮を断ち切って」ということになる。いずれの解釈にしても優れた短歌とは言えないが、「我は非情か」と結ぶところが小泉さんらしい。自分の非情さを知りながら「非情か?」と疑問形にして、「そうでもないんだよ」と言いたいらしいが、まぎれもなく彼は非情の人である。

 小泉さんは敵がいないと燃えないタイプの政治家のようだ。だから、わざわざ党内に抵抗勢力なるものを創って高支持率維持と政権の長期化に成功した。
 そして現在は、敵と見れば容赦がない。しかも、自分の意思を通すためなら、敵だけでなく味方も切って捨てる。
 郵政民営化には賛成だが、法案内容が不備だからと反対した議員たちは本来小泉さんの味方である。その人たちにも容赦がない。
 その上に「この法案を成立させるためなら殺されてもいい」なんて物騒な言葉まで口にする。
 根っからの「喧嘩好き」なのだろう。それをいかにも「信念の人」のように演出するのだから上手い、というか、ずるい。


 解散当夜、武部幹事長が「反対派選挙区全部に対抗馬を立てるのは、現実的にはどうか」と口を滑らせた。それを聞いた小泉さんは烈火のごとく怒り、「全選挙区に立てると言ったじゃないか!」と怒鳴り散らしたという。般若の形相の命令で刺客は放たれた。その凄まじさは非情そのものである。

 小泉さんが尊敬する織田信長も、人生半ばぐらいまでは敵に情けをかけていたようだ。それが、支配範囲が広がるにつれて気性が荒くなって非情になったという。
 小泉さんの場合、師と仰ぐ福田赳夫が角福戦争に敗れた際に永田町の裏切りと人間関係の冷たさをイヤというほど知った、この世の中には信じられる人と信じられない人がいることを学んだ、彼の持つ強い猜疑心はこの時に芽生えたものだ、と彼に近いジャーナリストは述懐している。その猜疑心の強さが非情を増幅している。


 権力の座に上り詰めると周囲がイエスマンばかりになるのは世の常である。それだけに本人のバランス感覚と判断の的確性が問われる。
 総理大臣は日本国の将来を左右する決断が出来る立場にある。その最も重要な地位にある人がこうも喧嘩好きでは、国民は安心できない。
 アメリカ大統領は核兵器発射のボタンを押す権限を持っている。が、もしも同じ権限を小泉さんが持っていたら、彼はいとも簡単にボタンを押してしまいかねないとボクは思う。


 ごく最近、二か月ほど日本に滞在したアメリカABCニュースの政治部長・ハルペリン氏は、「新しいタイプのナショナリズムを感じた」とコメントしている。
 そして、靖国参拝問題に端を発した日中・日韓の不協和音に関し、「なぜ小泉さんがそうしているのかは分からないが」と前置きして、「誇り高すぎず周辺諸国を挑発しすぎない外交手法が大切だ」とも述べている。
 更にハルペリン氏は、「地下鉄に乗って見た日本人の顔が、皆、悲しい顔をしていた」という印象を述べて帰国の途に着いた。
 それともう一つ。彼は、「政府が国民に真実を伝えているか、国民が国の本当の現状を知っているかが民主主義の岐路になる」と示唆に富んだ言葉を残した。


 はっきり言って、小泉さんが「総選挙に勝って実現させる」と叫んでいる郵政民営化法案は「まやかし」以外の何ものでもない。
 将来の詳細デザインはおろか全体像のデザインも不明だ。様々なケースを考えた対処法も出来ていない。
 細かいことはすべて民営化に踏み切った後に完全民営化されるまでの十年間に決めると言っている。
 つまり、道路公団民営化とまったく同じで、「とにかく民営化ありき」なのだ。
「民営化された会社が十年後にどうなろうと俺の知ったことじゃない」と言っているに等しい。
 財務省と打ち合わせて所得税や消費税の増税を予定していながら、「私の就任中は消費税を上げません」と言ってきたのと同じやり方で無責任極まる。


 こんな中身の無い法案の成立を、小泉さんは何ゆえに急いでいるのか?

 多分、アメリカとの密約である。果たさなければ見捨てられそうになっているから焦っているのだ、とボクは思う。

 そもそも北朝鮮に自国民が拉致されていることは明らかなのに被害者の救出に全力を尽くさない。無関心になっている。
 年金問題も同じだ。国民年金は制度自体が破綻しているのに、厚生年金と共済年金の一元化にしか手を付けようとしない。議員年金廃止を口にしてもやる気は無い。
 社会保険庁を潰すようなことを匂わせておいて棚上げにしている。
 高級官僚の天下り禁止も口だけで制度化しない。

「官僚依存の丸投げ」政治家だからだ。
 そんな人が国を預かり国の将来を決めていく総理大臣に相応しいとは、とてもボクには思えない。
 そろそろ我々庶民は「小泉幻術」から目覚めなければならないと思うのだが、賢明なる諸兄諸姉にはいかがお考えだろうか?


 そうそう。この稿の最後にボクが一首、小泉さんに贈りたい。

くにたみの あつき願いを顧みず 恥ずかしからずや 郵政説く君」

                                      [平成十七年八月二十六日]