都筑大介 ひなたやま徒然草 23 「国が溶けていく  【06年2月3日up】




 2005年は、日本人全体の精神レベルの劣化が表面化した年のようにボクは思う。政治家や経済人に限らず一般人の間でも、日本人本来の「穏やかで柔らかい」心の持ち主はすっかり影をひそめ、ガツガツと飢えた心の拝金主義者ばかりが(ちまた)跋扈(ばっこ)している。マンションやホテルの耐震偽装はその最たるものだが、改革という大義名分に情熱を燃やしている「胡散臭い連中」も多い。嘆かわしいことである。

 1990年代初頭のバブル崩壊以降、闇雲に、日本政府はアメリカに追随してきた。特に小泉政権になってからその傾向はますます加速されたとボクは見ている。小泉さんは、改革を声高に唱えながら、アメリカから突きつけられた「年次改革要望書」の内容を忠実に実行してきている。証券取引の規制緩和も、商法改正も、郵政民営化だって皆そうだ。

 ビートたけしさんが週刊ポスト誌に「小泉改革の本質は『少女売春』の『援助交際』への言い換えと同じで、耳当たりがいいだけのスローガン政治なんだよ」と書いていたが、まさにその通りである。
「国家百年の計」を考えないで場当たり的に、しかも高い支持率の本来の意味を勘違いしたまま、日本古来の美風を
臆面(おくめん)もなく壊しながら、ただただ日本社会のアメリカ化にまい進している。市場競争原理に基づく自由主義経済の過度な推進が、今や、文化と国民性にまで悪しき影響を与えている。今や、穏やかな心では生きていけない社会になろうとしている。

 作家の澤地久枝さんも年初の毎日新聞コラムにこう書いていた。
「七十五年。私が生きてきた時間を振り返ってみて、政治がこんなに酷かったことはかつてない、というのが実感です。総選挙の結果にあきれ果てたんです。この国は滅びるな、と思いました。政治の根本が狂う時は、あらゆるものが劣化して腐っていく。みんなノーマルな反応をしない。日本人はそこまで追い込まれたのかと思うと悔しいし、複雑です」

 ボクもまったく同感である。例えば皇室典範改正論議を考えてみよう。

 今上陛下の血脈をつなぐ男系男子が途絶えそうなことに男女平等論を無理やり重ね合わせて、「女系天皇も容認する」という内容で決着させようとしている。愛子さまが天皇になることはかまわない。男系女子が天皇になった事例はある。しかし、愛子さまが民間人と結婚して誕生した子供が天皇になると、そこから女系の天皇家という新たな歴史が始まってしまう。それでは「男系天皇による万世一系」という神話を死守してきた先人たちの千数百年に亘る執念の努力は水泡に帰する。
 ボクに言わせれば、小泉さんがやろうとしている行為は「世界遺産に指定されている法隆寺を、木材の入手が難しくなったからという場当たりな理由で、鉄筋コンクリートで建て直す」ことに等しい悪行である。
 昨今の日本は、文化も伝統も良き習慣も、旧来からの美風はすべて風前の
灯火(ともしび)だ。ボクにはこの国がドロドロと溶けていっているように思えてならない。

 嘆息しきりのボクのお屠蘇酔いがようやく取れてきた頃だった、「ホリエモン騒動」が再び勃発したのは。

 先月の中旬は、耐震強度偽装に深く関与していると目されているヒューザー小嶋社長の証人喚問が行われようとしていたが、丁度そのタイミングに合わせたように、東京地検特捜部がライブドアに捜査の手を伸ばした。そして、その一週間後にはホリエモンこと堀江貴文以下幹部四人が逮捕された。
 容疑は、意図的に自社株の吊り上げを狙った「風説の流布」と、粉飾決算や見せ掛けの企業買収で自社の株価を操作をした「偽計取引(=証券取引法違反)」ということらしい。ライブドアはグループ会社間で利益の付け替えをしていたとも報道されている。


 頻繁な「株式分割」で時価総額を膨らませ、「株式交換」という手段を駆使して企業買収を推し進め、「時間外取引」でニッポン放送の大株主に躍り出てフジテレビを手中に収めようとした、ホリエモンが率いるライブドアは現在傘下に四十数社を置いき、グループ全体の株式時価総額が八千億円を超える規模にまで急成長した。
 プロ野球に参入しようとしたり、衆議院選挙に小泉総理大臣が放った刺客として出馬したり、話題に事欠かない「時代の寵児」ぶりだったが、ついに挫折の時期を迎えたようである。株式の上場廃止になれば、「ホリエモン」が「ムイチモン」になるだけではなく、ライブドア株の持ち主は全員が大損をする。


 小泉さんが「新しい時代の息吹というのかな。若い感覚をこれからの日本の経営に与えてくれるんじゃないかな。エールを送りたいですね」と褒め称え、偉大なイエスマンの武部自民党幹事長は「チャレンジャーとして頼もしい青年。若いビジネスマンに勇気を与えた人だ」と持ち上げたのみならず選挙応援では「我が弟です、息子です! 堀江貴文くんをお願いします」とまで言い切り、竹中郵政担当大臣(当時)に至っては「小泉さんと堀江くん、そして私竹中がスクラムを組んで改革をやり遂げます」と絶賛したホリエモンだった。
 ホリエモン率いるライブドアという会社に政府が安全保障のお墨付きを与えたと、誰もが思ったはずだ。

 しかし、捜査のメスが入るや否や、彼らは揃って手のひらを返した。
 小泉さんは「いかなる新しい時代になっても法律は守らなきゃいけませんねえ。今回の事件と自民党の幹部などが彼を選挙応援したことは別の問題だと思います」とまるで他人事のようにすっ呆け、武部さんは「公認も推薦もしていないのだから道義的責任はない」と逃げ、竹中さんは「党の要請で選挙応援に行っただけだ」と居直った。


 この頃の政治家には「惻隠(そくいん)」の情の欠片もない。惻隠の情とは、「敗者への共感」、「劣者への同情」、「弱者への愛情」である。国の指導者たちにはせめてこの美風だけでも取り戻ししてもらいたいものだ。が、無いものねだりだ、間違いなく……。

 そもそも、金銭至上主義がはびこりモラルが著しく低下していく社会への移行を助長したのは彼らなのだから、「何をかいわんや」だ。ああ、世も末か……。


 彼らは今、「ポスト小泉」にかまけて、まったく国民の方を見ていない。内政の失敗も外交の行き詰まりも眼中にない。そんな中で、ボクには今、したたかな小泉戦略が次のように見えている。
 自民党内に揺さぶりをかけて後継争いを過熱させることによってキング・メーカーとしての影響力を保ち、次期総理に国民受けしない消費税増税などの難題をやらせておいて、「やっぱり小泉さんでなきゃダメだ」という世論をつくって再登板する。そうなれば、戦後の大宰相・吉田茂さんに並び、合計在任期間はトップになる。戦後史に名を残す、並ぶもの無き総理大臣になるという筋書きだ。


 政界もそう甘くはないだろうし、国民もそこまでバカではないと信じたい。が、もしもそうなったら大変だ。絶対権力を持った独裁者が生まれる可能性が高まる。
 ヒットラー政権が生まれた第一次世界大戦後のドイツ、そして太平洋戦争前の日本と同じ状況に国民が陥る可能性が極めて高くなると思うからである。


 ポピュリズム(大衆迎合が上手い)政治家の言動は、精神レベルが劣化した国民を酔い痴れさせる。
 ポピュリズム政治家は、自分の利益のためなら、いとも簡単に「美しい言葉」や「見事な論理」を創り出す。
 ポピュリズム政治家は、国民を煽って高い支持を得る。
 その結果国民は、国民が支持して産んだ独裁者(=ポピュリズム政治家)にひきずられて、いつのまにか戦争に突入している。
 民主主義国家が戦争を起こす場合、大抵こういうプロセスを経ることを歴史が証明している。

「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし大和魂」

「至純、至誠、弱者への思いやり、温もりの心」を貫いて、29年の短い生涯を閉じた幕末の思想家・吉田松陰が「留魂録」に記した言葉である。

 こういう政治家が今の日本には欲しい。そのためには、ボクたち国民がもっと成熟しなければならないと思う。
近い将来のどこかの時点で、みんなが正気に戻ることをボクは切望している。

                          [平成十八年二月]