都筑大介  ひなたやま徒然草24 「思い込みの正義」

                           [平成十八年(2006)三月]



 昭和十一年(1936)二月二十六日。雪が降りしきる中、「国を腐敗させ民を苦しめる君側の奸を倒し、昭和維新を断行する」と陸軍皇道派青年将校に率いられた約千五百人の兵士が決起して首相官邸など政府要人の邸宅を襲撃した。岡田啓介首相は誤認により難を逃れたが、斉藤内大臣・高橋大蔵大臣・渡辺陸軍教育総監が殺され、中枢部を占拠された日本の政治機能は麻痺した。しかし、この挙に天皇が激怒したこともあって、蜂起三日目に彼らは帰順し、いわゆる「2.26事件」は終息した。

 この暴挙を煽ったと見られる陸軍皇道派幹部は「知らぬ、存ぜぬ、我関せぬ」を通し、捨石として立った純真な若者たちは体制側に裏切られる結果となった。が、直後に陸軍の実権が皇道派と対立していた統制派に移ったことを見ると、事件の影で糸を引いていたのは統制派幹部であった可能性が高い、とボクは思っている。

 その陸軍統制派は、事件への反省と称して「軍部大臣現役武官制(陸軍大臣・海軍大臣になれるのは現役軍人のみという制度)」を復活させ、軍の意に沿わない内閣には大臣を出さないことでその命脈を把握し、日中戦争から太平洋戦争へと突入して行く。期せずして軍部専横の扉を開いてしまった、この「2.26事件」は「戦後日本の原点の原点」とも言える。

 時代の背景にあるのは、貧富の格差が拡大するばかりの社会への怒りと恨みである。それは貧しい農村部出身の若者が多い兵士たちの共感であり、青年将校たちの苦悩は深かった。国際連盟から脱退し、軍縮交渉は破綻し、中国の反日運動は高揚し、国内では都会を中心とした大量生産・大量消費社会が出現する一方で、貧富の格差は拡大し、農村は疲弊の一途を辿っていた。日本自身が自分の素顔が分からなくなっていた時代でもあった。

 今の日本の状況は七十年前のこの頃によく似ている。日本の指導層の場当たり的な判断や決意にどこか安易で楽観気配が濃厚にあるのはそっくりだ。「思い込みの正義」が推し進められると、時代は歯止めの利かない角度へ傾いていく。

 さて、話を現代に戻そう――。

 昨年の総選挙で大勝した小泉自民党が年の瀬を挟んで窮地に陥った。「四点セット」と名づけられた、ライブドア事件、米国産牛肉問題、耐震強度偽装問題、防衛施設庁談合事件のためである。
 しかし、二月に入って、民主党の永田議員が予算委員会で取り上げた「堀江メール」によって様相は一変する。小泉さんはこの件を即日「ガセネタだ」と言い切った。そこから流れが変わりはじめ、今や「四点セット」の追及は吹っ飛んでしまった。メールに書かれていたことの真偽は別として、メール自体は偽物であることが徐々に明らかになってきたからである。攻めていた民主党が逆の窮地に立たされて、全面降伏に至った。


「私たちは、永田議員が爆弾発言する前からあのメールの存在を知っていたんです」

 自民党の平沢議員の発言である。なるほど、小泉さんが「ガセネタ」という訳である。最新の週刊誌によると、あのメール情報は先ず自民党筋に持ち込まれたが自民党関係者は情報を買わなかったという。それが事実と前提すると、こういうシナリオが成り立つ。

「このところ民主党が勢いづいてしまって弱るよ、あと九か月だというのに……」

「そうですねえ。でも、現状打開に一つ、いい手があります」

「いい手? 何か妙手があるのか?」

「ええ。これなんですがね……」

「ほう、電子メールのコピーか、どれどれ……。ええっ! な、何だって? 本当なのか、ここに書いてあることは」

「本人は事実無根だと言っておりますが、裏が取れていませんので、まだ事の真偽は分かりません」

「脅かすなよ、こんな時期に……。しかしあれだなあ。仮にこの内容が事実だとするとますます追い詰められてしまうぞ。何とかならないのか」

「その点はご心配なく。このメール自体は偽物ですから」

「偽メール? じゃ、ガセネタって訳だな」

「メール自体は捏造品です」

「何? それじゃあ、中味は事実だってことか?」

「その可能性は大いにあります」

「おいおい、軽く言うんじゃない。事実だとしたら内閣が吹っ飛ぶし、党もぶっ壊れるほどのことなんだぞ」

「それは重々承知しておりますが、攻めるに優る守りなし……と言いますでしょう?」

「それがどうした?」

「ですから、この偽メールを利用して、守勢から攻勢に転じればよいのではと……。この頃はあのイエスマンも良からぬことを画策しているようですし、釘を刺す意味でもやってみてはどうでしょう。一石二鳥だと思うのですが……」

「面白いアイデアだけど、どう利用するんだ?」

「民主党に掴ませるんです、この情報を」

「ちょっと待て。そもそもこっちが偽物だと見破った代物だ。民主党が簡単に信用するとは思えんがな」

「そこなんです。あそこの党には目立ちたがりのおっちょこちょいが何人かいます。そのうちの一人に、特に同僚の活躍に一番焦っている男のところに話を持っていかせれば必ず食いついてくるはずです。勿論、周到な仕掛けが必要になりますが……」

「わかった。それで、必ず出来るんだろうな、その目立ちたがりが食いつく仕掛けは」

「はい、お任せください。いつものように卒なくやってご覧に入れます」

「よし、それならすぐにやってくれ」

 そして騒動が起こり攻守は逆転した、とボクは推察している。この会話の二人が誰であるかは言わずもがなであろう。



 今の日本は大きな岐路に立たされている、とボクは思う。よく「失われた十年」と言われて日本の地盤沈下が語られるが、ボクは、小泉さんが総理大臣になってからの四年半が状況を更に悪化させたと思っている。

 小泉構造改革を検証してみると、実は何も改革していない。「ムダな高速道路は造らない」はずの道路公団民営化は、その実、法律を拡大解釈することによって幾らでもムダな高速道路が造れる内容になった。分社して官僚の天下り先を増やしたに過ぎない。

 郵政民営化も同じだ。赤字国債を買い続けたりアメリカの国債を買い支えたりする仕組みが温存されているから、「官から民へ」流れる郵便貯金と簡易保険の資金は全体の20%に満たない。しかも口を開けて待っている外資の目の前に差し出される構図だ。

 つい最近、各省庁に分散していた開発途上国向けODA(政府開発援助)をJICA(国際協力機構)へ一本化することを決めたが、各省庁の権限と権益を残したまま表面のカタチだけを変えるに終わりそうだ。

 例を挙げれば限りがないのでこれ以上は書かないが、とにかくカタチだけ変えて中身は旧来と同じというのが一連の小泉改革である。しかも、そのほとんどがアメリカから突きつけられている「年次改革要望書」の内容とピッタリ一致しているのだから、独立国として為すべきこととはとても思えない。
 今の日本の指導者は日本の本来あるべき素顔を見失っている、とボクは痛感する。


 この四年半に国の借金は240兆円増えた。小泉さんは18年度分を含めると270兆円も借金を増やし、「私の任期が終わったら増税だ」と匂わせているのは財務官僚の口車に乗せられている証拠だ。悪知恵が巧みな官僚に操られて「俺は改革者。改革は正義だ」と悦に入っている小泉さんの、「変えよう、変えれば良くなる」という言葉にボクたち国民は騙されている。

 日本経済は上向いていると言うが、それは統計数字のマジックに過ぎない。バブル期に700兆円に迫ったGDP(国内総生産)も、今や500兆円を少し上回る程度である。パイが小さくなっているのだからほんの少しの上昇が大きな回復に見えるだけだ。景気がよくなったのは大企業だけで中小零細組は今も青息吐息の現状である。格差はどんどん広がっていっている。

 何よりも日本人の気持ちと心がひどく傷んでいることが哀しい。
「カネがすべて」という風潮がはびこり、「今さえ楽しければそれでいい」と現実から目をそらして空想的になっている若者が増えている。ニートやフリーターという働く意欲のない人たちが急増している。これが一番深刻な問題だとボクは思う。
 今の傾向が続けば、遠からず日本という国は破綻に向かう。些細な対外摩擦で再軍備して戦争に突入なんてことになりかねない。



 皆さん、一致協力して、日本人の美しい心を取り戻しませんか?

 そのためには政治の状況を変える必要があります。
 アメリカナイズされた人間ではなく、日本人らしい感受性と価値観を持った人たちを政治家として選び、
 その人たちにまずは「いい環境」を作ってもらい、「畑に肥やしをやり、耕して雑草を取る」ような政策を推し進めてもらう。
 そうするうちに素晴らしい芽が出てくるだろうし、その中でこそ全体に豊かな実りが得られると思うのですが……。


 ボクは、もうこれ以上「思い込みの正義」に振り回されるのは止めにしたい。