徒然草25 靖国の熱い夏
                   【2006年8月18日】






変人・小泉純一郎」
 ボクはこの人をある種の天才だと思っている、「自分自身を演出する能力」に「人心かく乱術」と「マスメディアの利用」において……。

 三度目の挑戦で自民党総裁になった彼は、日本国総理大臣としてのこの五年間、抵抗勢力・反対勢力という
敵役(かたきやく)を政権運営シナリオに登場させ、その敵役に毅然(きぜん)と立ち向かう政治リーダーという演出を加え、くだけた話し振りで単純な台詞(せりふ)(ワンフレーズ・コメント)を繰り返すことによって多くの国民の共感を呼び集めてきた。
「脚本、演出、主演」という一人三役を、他人に頼ることなく、臆することも照れることもなく、平然シャラリとこなして見せたのがいわゆる小泉劇場である。

 まさに「頑固、意地っ張り、他人の意見を聴かない、わが道を行く」奇人だからこそ出来たことだが、その一つの結果として、四六時中彼が口にする「改革」という言葉に甘い幻想を抱いた多くの人たちは今も思考停止状態で彼を支持している。


 しかし、ご本人が常々「政策より政局の方が得意なんだ」と語っているように、残念ながら小泉さん独特の才能は、永田町の権力闘争には極めて有効だったが、国の将来を見据えたグランドデザインづくりとそのために必要な政策立案の分野では発揮されることがなかった。

 派手なケンカ政局への興味が極めて強い彼は、地味な政策づくりは諮問委員会や官僚に丸投げするのが基本である。道路公団民営化にせよ郵政民営化にせよ、自分が民営化を実現したというカタチさえ整えば民営化の中身がどうであろうと関心はない。
「深く考えない、勉強をしない、自分の直感のみを信じて決断・行動する」という意味でも
稀有(けう)なタイプの政治家である。

 しかも小泉さんは、ケンカの相手をつくって政局を操作するこの手法を国の外交面においても用いて、近隣諸国の神経を逆なでしている。
 A級戦犯が祀られている靖国神社への首相参拝が歴史認識問題を必要以上にクローズアップしており、今後の成り行きによっては日本の国際信用は地に落ちかねない。
 にもかかわらず、ご当人は一向に気にかけていない。むしろ「してやったり」とホクソ笑んでいる節が見受けられる。

 それにしても普通は、任期切れ寸前の首相がこれほど耳目を集めることはほとんどない。なのに彼はいまだに主役を演じている。在任最後の日までその座を後進に譲るつもりはないらしい。「自己満足・自己充足型のエゴイスト」という彼の一面が、今はまだ片方しか使えないボクの眼ぐうたら備ん忘録15に詳述)にもはっきりと見えた。

 小泉首相は終戦記念日の八月十五日、近隣外交悪化を危惧する声が渦巻く中、大方の予想通りに靖国神社参拝を強行した。

「八月十五日を避けても必ず批判・反発が出る。この問題を取り上げようとする勢力は変わらない。いつ行っても同じだ」

 開き直りの一手に出て、世間の目を自分に向けさせた。
「私が首相に就任したなら、いかなる批判があろうとも八月十五日に必ず参拝する」という、五年前の自民党総裁選挙時の公約を果たして、有終の美を飾ったつもりらしい。

「内閣総理大臣である、人間・小泉純一郎が参拝しました。職務として参拝しているものではありません」と公式参拝ではないと匂わせながら、
「私はA級戦犯のために参拝しているんじゃありません。圧倒的多数の戦没者に哀悼の念を持って不戦を誓うのがなぜいけないのか、よく分かりませんねえ」、
「思想及び良心の自由はこれを侵してはなりません。まさに心の問題だと思います」と、
 相変わらず詳細説明を欠いた持論を繰り返し、「俺の考えを理解しない方が悪いんだ」と強弁主張した。その上、止めておけばいいものを、
「一つや二つ意見の違いや対立があっても、それを乗り越えていくのが大事なんです。ブッシュ大統領が靖国参拝するなと言ったとしても私は行きます、ブッシュさんはそんな大人ゲないことは言わないでしょうがね」と、首相の靖国参拝中止を強く求めている中国や韓国に対する痛烈な面当てのコメントまでした。
 小泉さん自身も思考停止状態なのかも知れない。九月末を待たずに早々にお引取り願いたいものである。





 さて、靖国神社に話を移そう。

 明治二年(
1869)に東京・九段に『東京招魂社』として創建されたこの神社は、明治新政府のために命を捧げた人々を追悼し顕彰(けんしょう)して崇敬(すうけい)するための施設だった。
 明治十二年(
1879)に『靖国神社』と改称して別格官幣(かんぺい)大社(たいしゃ)になるまでの十年間は宮司がおらず、軍部によって管理運営されていた特殊な存在で、新政府が推し進めた国家神道の象徴として捉えられていた。


 その靖国神社には、近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において朝廷側および日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属などを祭神として合祀(ごうし)する形で(まつ)られている。従って、幕末の吉田松陰・坂本竜馬・高杉晋作などは祀られていても、西南戦争を起こした西郷隆盛や後になって新政府に反旗を翻した維新功労者たちは祀られていない。また、戦死ではない乃木大将や東郷元帥なども祀られていない。

 英霊合祀については、太平洋戦争に敗れるまでは陸海軍の審査で内定し、天皇の勅許を経て決定されていた。が、戦後は、昭和二十八年(1953)に成立した『恩給法』と『戦傷病者戦没者遺族等援護法』で「公務死」と認められた者の名簿を当時の厚生省が靖国神社へ送付し、形式的には一宗教法人となった神社側の判断によって(れい)爾簿(じぼ)に氏名を記入し、御霊を招来する合祀儀式が行われてきた。
 その際、本人や遺族の意向はまったく考慮されていない。「お上のやることに口出しはならん」という、戦前の思想がここにはまだ生きている。
 この、いまだに戦前が続いているような、靖国神社の背景思想がA級戦犯合祀を可能にして今日の問題の火種になっている、とボクは思う。


 そしてもう一つ厄介なのは、「一度合祀すると分祀は出来ない」とする教義である。
 ボクは、この靖国神社の神道教義なるものを疑っている。
 また、あまたある神社の中で、靖国神社だけが神職の資格をもっていない人ても宮司になれることから、「靖国は本当に神道の神社なのだろうか?」という疑念も持っている。「神道を標榜しているもの、その実体は別なものではないだろうか?」と思ったりもする。

 神道には元々、体系的教義や統一的聖典は存在しない。その代替物が祭りという行事である。「不可視の神の出現を待ち、それに奉仕する」のが「マツリ(=祭り)」であり、「カシコキモノ(=人々が
(かしこ)むもの)」であれば神として祀られてきた。が、その神の実態は抽象的で漠然としたものである。
 靖国神社側は、この曖昧模糊とした神道の特徴を自分に都合よく解釈して教義とし、現在の立場を守ろうとしているように思えてならない。


 例えば、こう考えてみるとどうだろう。


「合祀は出来ても分祀は出来ない」という理屈は、祀られた人の魂が合祀された瞬間に他の多くの魂の集合体に吸収され埋没して消えるというのと同じ論理ではないのか……。だとすれば、合祀という儀式が個人の魂の存在と尊厳を奪ったことになる。
 それで本当に、祀られた人の慰霊や顕彰や崇敬ができるのだろうか……と。


 こうも考えられる。

 靖国神社の御神体は、天照大神でもなければスサノオノ命でもなく、国家のために犠牲になって死んだ魂の集合体だという。しかも、そこに合祀されている二百六十余万人の多くは自分たちを死地にいざなった戦争指導者たちを恨んでいるはずである。
 そのような
怨嗟(えんさ)の叫びが渦巻いている魂の群れの中に合祀された東条英機さんたちA級戦犯の魂こそ、悲惨な立場にいるのではないのか……と。
 A級戦犯の遺族の中には故人の御霊を祀って欲しくない人たちも現実にいるのだから、尚更ボクはそう思う。



 ボクは、「靖国で会おう!」と言って散っていった人たちのことを考えると、靖国神社に代わる国立追悼施設をつくることには賛成できない。英霊を路頭に迷わせるようなことをしてはならない、と思っている。そして同時にこう思っている。

「そもそも靖国神社は国益を念頭に創建された特殊な存在である。だからこそ、現在から未来へつながる国益を踏まえて、天皇さんも総理大臣も我々一般人も、誰もが心にわだかまりなく参拝できるようにすべきだ」

 そのためには、靖国神社側が自発的にA級戦犯の分祀を行う他に道はない。教義変更の理屈は知恵を絞れば何とでもなる。境内に軍事博物館としてつくられ、侵略戦争のことを忘れたかのごとくに「太平洋戦争は自存自衛のための避けられない戦争であった」という歴史観に立って、アメリカが日本を巧妙に戦争に引きずり込んだと主張している『遊就館』も思い切った模様替えをしてはどうだろうか。


 靖国が熱く、ボクには暑くて寝苦しかった今年の夏も、そろそろ終わりが近い。

                                    [平成十八年(2006)八月]