都筑大介 ぐうたら備ん忘録 15  


     続々(ぞくぞくッ!) ボクの還暦





 しかめ面が定番のボクも晩酌が入ると変貌する。饒舌(じょうぜつ)になって普段は見せない愛嬌(あいきょう)をふりまき、ダジャレとオヤジギャグを連発して一人悦に入るらしい。世間でもちきりの話題のみならず、社会動向に歴史回顧から芸能ネタに至るまで幅広く触れて『手前勝手な見解を披瀝(ひれき)し、(らち)もない薀蓄(うんちく)を延々と語る』という。多分にハタ迷惑な性向があるようだ。

 そのボクを娘は「お父さんは変わり者なんだから……」と(あき)れ、その横で女房殿が「そうよねっ!」と大きく相槌を打つのが我が家の慣習のようになっている。内心ムカッとくるが、「でも私、外で、お父さんみたいにユニークなオジさんにお眼にかかったことないわ」「個性が際立つって良いことよね」とくすぐられて、「そうかい?」と、ボクはニコニコ上機嫌になるという。要するに妻子からいいようにあしらわれている訳である。

 このHPの自己紹介の欄にも書いたが、生来ボクは『我が(まま)でへそ曲がりの意地っ張り』である。会社勤めをしていた頃は上司や同僚から、『一言居士』だの『孤高の男』だのと、よく揶揄(やゆ)されたものである。その割りには横着で、能天気なお調子者でもある。精神科医なら『人格障害』と診立てそうだが、持って生まれたこの性格のお陰でボクは、窮地に陥っても弱り目に(たた)り目になっても、弱気の虫に(さいな)まれることは滅多にない幸せ者でもある。そして、「痩せ我慢も(から)元気も男の器量のうちだ」という、少々(わび)しい信条にすがって生きている。しかし、この『能天気に(ゆが)んだ性格』が結構役に立つから人生は面白い。


 有名私立大学YH病院の眼科医が、不注意にも、ボクが糖尿持ちであることを失念して内服薬処方を間違えたせいで糖尿症状が急激に悪化し、『ステロイド性糖尿病』になったことは前回述べた。
 なにしろ110が基準の血糖値がたちまち500近くに上昇し、二か月で8キロも体重が減った。60キロ足らずのさして大きくない肉体から約四十人分の分厚いサーロインステーキを切り出したようなものだから、体力も衰える。結果、入院してインシュリン治療への切り替えをすることになった。
 まさに薬の処方間違いは怖い。


 五月二十九日の午前十時に入った市立ID病院は、四年前からお世話になっている総合病院だが眼科はない。「ここに眼科があればこんな羽目にはならなかったのに……」と思いつつ、ボクは病室へ案内された。愚痴がグヂグヂ出そうになったので、付き添ってきた女房殿はすぐに家に返した。

 入院初日の午後は検査尽くめである。うんざりして病室に戻って迎えた夜が無性に寂しく、ベッドの上で両膝を抱えた。すると看護師さんが来て、『血糖値測定』と『インシュリン注射』の手ほどきが始まった。翌日から自分でやるためである。

 懇切(こんせつ)丁寧(ていねい)に教えてくれるが、指先に小さな穴を穿(うが)って絞り出した血を試験紙に染み込ませて血糖値を測る。それが終ると細い針をお腹に刺し込んでインシュリンを注入する。チクッと痛みが走るのが何ともおぞましい。もっとも、この痛みから快感を得るようだともっとおぞましいことになりそうだが……。


 翌朝早々に主治医のI先生が病室にやってきた。三十路半ばだがなかなかの美人である。しかも全体の雰囲気と話し方が我が愛娘によく似ている。だから、いつも娘に諭されているような心持ちになってしまう。ボクは彼女にだけは従順なのだ。そのI先生が昨日のX線検査に異常が見られると言った。

 三月に入ってから夜通し咳が止まらなくなっていたボクは、風邪が慢性化しているのだろうと思っていた。しかし、その症状もステロイド内服薬の副作用だったのだ。ボクの肺は感染症にかかっていて、肺炎直前まで来ているとのことだった。早速一日2回の点滴が始まり、二週間のつもりでいたボクの入院予定はもろくも崩れ去った。

 もうじきオーストラリアの大学院に留学している娘があちらの冬休みを利用して帰ってくる。余計な心配をさせないためにも帰国日までには退院していたい。
 ボクの切実な願いはかろうじて叶ったが、結局ボクは二十四日間も病院生活を余儀なくされた。


 しかし、朝昼晩の食事前と就寝前の血糖値測定とインシュリン注射に加えて点滴が2回、その合間に細菌感染防止・炎症抑制・角膜保護の目薬3種類を三時間ごとに点眼しなければならない。忙しいし、気分が沈みがちになる。ボクの楽しみは、七面倒臭い作業の合間を縫って病院内に一箇所しかない喫煙所へ通い、紫煙をくゆらすことのみである。寂しい話だが、その喫煙所で仲良くなった人たちから色々と面白い話を聞かせてもらった(そのことについては別の機会に紹介したい)。

 ともあれ、治療法を経口薬投与からインシュリン注射に療法を切り替えたお陰で糖尿の増悪症状に小康を得たボクは六月二十一日に家に戻ってホッとした。その三日後に帰国した娘をエアポートリムジンの発着停留所まで車で迎えに行くこともできた。



 ところが娘の帰宅から一週間も経たないうちに、またぞろ予想外な出来事がボクを震撼(しんかん)とさせた。還暦の年齢数字を足すと「6」になる。つまり今年はボクの厄年なのだ。思わず身震いも出た。
 しかし、男の平均寿命からすれば人生最後の厄年でもある。そのことに気づいた時にボクは、親友のHくんが以前にボクに話した言葉を思い出した。


「神様は本人が克服できないような試練は与えないものなんだよ」

 というということは、神様がボクに「この機会に自分の生き方を見つめ直してみなさい」とおっしゃっていることになる、多分……。
 そう思い至った途端に気分が楽になるのだからボクはいい性格をしている。


 さて、その震撼事だが、六月二十九日夕刻のことだった。

 目薬を点眼しようと顔を天井へ向けた時だった。左眼の中で水が入った袋のようなものがパカッと破れて大量の涙がドッと流れ出た。その瞬間に視界を白い幕が覆っていた。咄嗟に目を閉じるとまぶたの裏の左側に月食の蒼白い光が弧を描いており、その右側では稲妻の閃光が走っている。なのにボクは(明日の朝になればまた前の状態に戻るだろう)と思ったのだから呑気なものである。

 ところが、朝が訪れても左眼の白い幕も月食の弧光も稲妻の閃光もそのままだった。
 それでもボクは(定期健診日が三日先だからその時に診てもらえばいいや)と軽く考えていた。
 が、女房殿は違った。
 
柳眉(りゅうび)を逆立てて、「すぐお医者さんに行った方がいいわよ!」とボクの尻を叩いた。その気迫にタジタジとなったボクは、女房殿運転の車でKR病院へ向かい、そこでようやく慌てた。

「これはいかんなぁ。急いで手術をしないと大変なことになるぞ……」

 この日は外来に出ていないS医師に代わって診てくれたH眼科部長が、言葉の意味とは裏腹にノンビリした口調でそう呟いた。快方へ向かっていた左眼角膜の潰瘍部分が破裂していたのである。病棟診察をしていたS医師も馳せ参じてきて、すぐに角膜縫合の緊急手術を受けることになった。

 手術室に運び込まれたボクは当然緊張している。執刀医はH眼科部長である。そばについたS医師に「都筑さん、リラックスですよ。からだの力を抜いてください」と何度も促がされてようやく緊張をゆるめることが出来た。
「必死にリラックスする」という、脳とからだに別々のことをさせるのはかなり難しい。が、人間、努力すれば何とかなるものである。


 手術は手際よく、十五分あまりで済んだ。
 手術中、H眼科部長はご親切にも眼の状態と手術の進行を説明してくれた。が、例のノンビリ口調で時々挟む独り言がボクの背中に「ぞくぞくッ!」と悪寒を走らせ続けた。

 H眼科部長は、「飛び出してる中身を押し込んで、と……」「この虹彩、少し切っちゃおう」「あ〜ぁ、ここの角膜はドロドロだ。強膜を引っ張ってこなきゃ縫えないなぁ」「不恰好な形になりそうだけど仕方がないよなぁ」「あと一日遅れていたら失明していたな」などと、肝が潰れるような怖いことをブツブツ呟きながら、「ま、何とかなったな」と手術を終えた。

 正直ボクは怖かった、手術そのものではなく、左眼が光を失うことが……。
 それにしても点眼麻酔だけでの角膜縫合というのはひどく痛い。


 この日そのままKR病院に入院したボクは、手術から四日後に、ボクを『ステロイド性糖尿病』にした、あのYH病院へ移ることになった。先行きは施術が必要になるかも知れない角膜移植に備えてのKR病院の配慮だから従うほかはない。



 昼前にYH病院へ着いてみると、一か月余り前に珍しく寛容心を発揮したボクが「意図して処方ミスをしたわけではなかろう」と許してやったO医師が主治医として指名されていた。
 世の中は皮肉なものである。
 が、担当の看護師さんから眼科部長のK医師がバックアップについたと聞かされて胸を撫で下ろすとともに、ボクは、病院側も以前の不手際を反省しているようにも感じた。そして(あの時に揉め事を起こさずに許してやって良かった)と、珍しく常識的な感想を抱いた。
 確かにK眼科部長殿は、入院中ずっと毎日1回、ボクの診察をしてくれた。


 現在ボクはYH病院へ週1回のペースで通院し、毎回、O医師とK眼科部長のダブル診察を受けている。そのお陰か、手術した左眼は徐々に落ち着いてきている。といっても、まだ重度の白内障と同じで視力が著しく低下している。見えているものに輪郭がない。
 それにまだ痛みが退かず、時々涙がこぼれるから眼帯をつける状態が続いている。潰瘍と炎症による鈍痛と疼痛は痛み止めで誤魔化している。両目を見開いて鏡を覗くと、右の眼球は真っ白だが左はまだ真っ赤だ。


「おやまぁ。紅白揃って、こいつはお目出てえや!」

 江戸っ子気取りで戯言(ざれごと)を言っている場合ではないのだが、幸いに崩れていた眼球の形が整い始めているという。
 ならばメガネで矯正すれば両目が使えるようになる、と期待に胸が膨らんでいる。
 能天気にゆがんだ性格のなせる業である。

 それにつけてもボクの日常は、糖尿と眼の治療が重なっているから、なにしろ自由度が薄い。ちなみに今の一日を紹介すると次のようになる。


 6:30 起床。
 7:00 目薬2種類を5分間隔で点眼し、痛み止めの薬を飲む。
 8:00 血糖値を測定し、インシュリンを注射する。
      朝食を摂り、炎症抑制剤・感染症予防剤と胃薬を飲む。
 9:00 目薬2種類を5分間隔で点眼する。
11:00 目薬2種類を5分間隔で点眼する。
12:00 血糖値を測定し、インシュリンを注射する。
      昼食を摂り、炎症抑制剤・感染症予防剤と胃薬を飲む。
13:00 目薬2種類を5分間隔で点眼する。
15:00 目薬2種類を5分間隔で点眼し、痛み止めの薬を飲む。
17:00 目薬2種類を5分間隔で点眼する。
18:00 血糖値を測定し、インシュリンを注射する。
      夕食を摂り、感染症予防剤と胃薬を飲む。
19:00 目薬2種類を5分間隔で点眼する。
21:00 目薬2種類を5分間隔で点眼する。
23:00 血糖値を測定し、インシュリンを注射する。
目薬2種類を5分間隔で点眼し、痛み止めの薬を飲む。
23:30 就寝

 一見「規則正しく健全なリズムの生活」に映るかも知れないが、ボクのような横着者には苦痛以外の何ものでもない。しかも、親の心子知らずで、ボクの脳は体内時計にサブシステムを作ったらしく、床についても二時間おきに目が覚めるから寝不足が続いている。

(は〜あ、これじゃ何も出来ん……)

 どうにも致し方がないとかえって執筆意欲が高まってくるものらしい。だから焦る。ため息を吐くたびに焦燥感に駆られる。
 しかし、いくら焦っても今は右眼しか使えず、パソコンのキーボードも正確には打ち込みにくい状態である。度が合わなくなった老眼鏡も左眼の病状がすっかり落ち着くまでは作り直せない。
 パソコンに向かっても、すぐに眼が疲れて投げ出してしまう。意欲は空回りするだけで長続きしないし、物理的に書くためのまとまった時間がとれない。
 しかも、思考力も集中力も鈍っている。納得のいく言葉が浮かばないし、長いものは書けそうもない。この短い『備ん忘録』ですら、書き始めてもう十日を要している。物書き稼業は開店休業を余儀なくされている。

「今年は賞を取るぞ!」と意気込んでいた矢先に襲ってきた連続トラブルがなんとも口惜しい。特に、「年内に一冊出しましょうよ」と励ましてくれていたF出版社の編集者Yさんには大変申し訳なく、身が縮む思いである。
 残念ながらボクは還暦の一年間を棒に振ることになりそうだ。



 そんな口惜しさを噛み締める一方でボクは、今、伴侶(はんりょ)がいてくれる有難さをしみじみと味わっている。
(あの時に女房殿が「病院へ行こう!」と言ってくれていなかったら、俺の左眼は間違いなく失明していた……)

 娘も新学期が始まる直前まで出発を延期して細やかに気を配ってくれた。「お父さんは変わり者だから、今まで以上に書けるようになるんじゃない? 私、そう思うわ」という嬉しい言葉と優しい笑顔を残して再びオーストラリアへ向かった。

(かなり細くなってしまったが、我が家の大黒柱は俺だ。しっかりと立って二人を支え続けなきゃいかん!)

 思いがけないトラブルが続いたが決してめげることのないボクは、今、殊勝な決意を新たにしている。


 ああ、そうそう。一つ思い出した。

 緊急角膜縫合手術をボクは、「うっ、ううっ」と小さな呻き声を一回洩らしただけで何とか男の面子を保つことが出来た。それからまもなくだった、ベテランの看護師さんがおずおずと一枚の書面を持って来たのは……。

「後になって申し訳ないんですがここに同意の署名をしていただけませんでしょうか?」
 手術前に行った血液検査の一部に関する事前手続きを忘れていたと、彼女が身を縮めてすがるような眼差しを向ける。その様子に明らかな動揺が見て取れた。

「いいですよ、どこにサインすればいいの」
 説明半ばでそう答えたボクは、ぼんやりとしか見えない書面に署名した。
 が、何とそれは「エイズとC型肝炎」検査に同意するものだった。保険対象外検査だから費用は全額個人負担だし、第一、あまり気持ちのいいものじゃない。

 それはともかく、なぜかボクは不安な気持ちに駆られていた。

(この上にエイズだなんて言われたら、俺、一体どうすりゃいいんだ……)

 弱気の虫を信条の「空元気」で抑えこんでいた時だけに、不安が高じると気持ちがどんどん落ち込んでいく。
 大きな眼帯をした、しかめ面の髭オヤジがベッドの上に立てた両膝を抱いている姿には、多分、そこはかとなく哀愁が漂っていたに違いない。

 幸いにして、ボクはエイズにもC型肝炎にも感染していなかった。


(当たり前じゃねえか。この品行方正な都筑さまを疑うとは、ここの病院は何を考えていやがるんだ!)
 とは思わずに、ボクはなぜか、(よかった……)と、ホッと胸を撫で下ろしていた。
 と同時に「落ち着いたら快気祝いをしようぜ」と言ってきた悪友たちの顔を思い浮かべて、「あいつらには絶対にこの話をしちゃいかんな」と呟いていた。


「都筑。お前、本当は身に覚えがあったんだろう?」
「昔、何度か海外出張してたよな。お前、その時のことを思い出してあわてたんじゃじゃないのか?」
「嘘はいかんぞ、都筑。人間、嘘をつくのが一番いかん。スケベエは許されるけどな」
「正直に告白しろよ、奥さんには黙っててやるからさ。ところで、どんなおねえちゃんだったんだ、金髪か?」

 ことほど左様に、「これ幸い!」としつこくボクを攻め立てて、格好の酒の肴にするに決まっている。火を見るより明らかだ。あ〜あ、出来ることならあの連中主催の快気祝いは御免蒙りたい、どうせワリカンなんだし……。

                                           [平成十八年八月四日]