都筑大介    ぐうたら備ん忘録 

 貧乏暇なし」って言うけど、ボクの場合は「暇だから貧乏」の方がピッタリくる。
 ま、しかし、金は天下の回り物。そのうちきっとボクのところにも回ってくる。出来れば早めに回ってきてもらいたいものだが……。

 何はともあれ、いかに懐が寂しくても、心だけは豊かでありたい。
01 小ざさの羊羹
02 格安傷心パック
03 幻想の効用
04 小説を書くということ
05 忘れていたもの
06 フルーツ・ブレックファスト
07 自問自答する「かぶきもん」
08 他人は鏡
09 渋くて可愛いジジイになるぞ!
10  強い女の、可愛い弱さ
11 官能小説って難しいよ
12 東京散歩 
【2006年】
13 ボクの還暦
14 続(ぞくッ!)ボクの還暦
15 続々(ぞくぞくッ!)ボクの還暦
16 モーレン潰瘍
【2007年】

17 
逝きし友を偲ぶ
18 亥年最初のチャレンジ
19 「生きている」ということ
20 
野球盤と帯状疱疹
21 要は気力なんだな
【2008年】
22 
春はあけぼの、夢うつつ
23 
命とおカネ
24 厄年明けに思う

25 歳 月
26 愛しのショウコ
【2009年】
27 モーレン潰瘍、自己との闘い
【2010年】
28  自省の日々
【2012年】
29 確定宣告





 ぐうたら備ん忘録30 遅れてきた韓流ブーム
                 【2012.08.09 up】





 10年あまり前のことだったと記憶しているが、NHKが放映した韓国ドラマ『冬のソナタ(吹替版)』が茶の間の主婦たちの話題となって日本での韓流ブームが始まった。主演男優のペ・ヨンジュンは「ヨンさま」、主演女優のチェ・ジウは「ジウ姫」と呼ばれ、ドラマともども異常なほど高い人気を博した。が、当時のボクは(韓国版の昼メロだな)と軽視していて、熱心に視聴している我が女房殿の姿を見ながら苦笑していた。 

 ところが、2年ほど前に女房殿からすすめられた時代劇ドラマ『大王四神記』をDVDで観た時にボクの韓流ドラマに対する認識が変わった。高句麗中興の祖「好太王=広開土王」の生涯記だが、伝説の四神(玄武・青龍・朱雀・白虎)と登場人物との関連を巧妙に織り成した物語が存外に面白かった。その後で観た高句麗建国史を描いた『朱蒙』が更に面白く、その後『大王世宗』『千秋太后』『イ・サン』など、ボクは女房殿が仕入れてくる韓国時代劇ドラマのDVDを次々と観るようになった。歴史好きなボクが天皇家のルーツがありそうな朝鮮半島と今の中国東北部の古代史に関心を持っていたからだろう。

 ドラマの内容それ自体はボクが承知している史実とはかなり違っているが、これらの韓流時代劇ドラマすべてに共通することがある。それは、朝鮮半島のみならず現在の中国東北部全域を支配していたが中国の周王朝によって崩壊させられた『古朝鮮』とその旧版図を回復しようとした『高句麗(BC37668)』に強い憧れと郷愁を持っている点である。

 古朝鮮という国は、人間社会を治めるために天界から降臨した天帝の息子・桓雄(ファヌン)が人間の女性に変身した熊女(ウンニョ)に檀君(タングン)を生ませ、その檀君が紀元前2333年に平壌を都として建てたという『朝鮮=檀君朝鮮』のことである。後に李氏が建てた朝鮮(13921910)と区別するために古朝鮮と呼ばれている。檀君は1500年もの長きにわたって朝鮮を治めた後に山に入って山の神になるが、その時1908歳だったと『檀君神話』は伝えている。天孫降臨で始まるこの国造り物語は、日本の記紀にある神代から神武東征に至る物語とよく似ている。

 

 古代歴史はさておき、とにかくボクは韓流時代劇ドラマのDVDをむさぼるように観た。それにしても、三国時代の『新羅』『百済』『高句麗』、初めて半島を統一した『統一新羅』、戦国時代の覇者として三韓統一を成し遂げた『高麗』、その旗下から興った『李氏朝鮮』まで、それぞれの時代の一部を切り取ってなんとまあ多くのドラマが作られたものか……。しかもどれもが日本で言えば大河ドラマなのである。短いもので30話、多くは100話前後、長いものは200話近くあるのだから恐れ入る。

 中でも題材として最も多く取り上げられているのが李氏朝鮮時代のことである。資料も豊富なのだろうが、王位と権力をめぐって繰り広げられる謀略と愛憎の凄まじさが生々しく描かれており、興味が尽きない。しかし、この時代の身分による差別は日本の江戸時代における士農工商制度以上に厳格だったようだ。

 

李氏朝鮮における人々の身分は「両班・中人・常人・賎人」の四つに大別されるが、この身分制度は中央集権的な政治体制の確立とともに固まっている。

『両班』というのは特権階級の文班と武班を総称した言葉で、いわば貴族である。彼らは農工商には従事せず儒学だけを勉強して科挙を経て官職に就く。そして、官僚になれば国から禄俸に加えて土地を授けられる。政変時に貢献した功臣たちと高級官僚たちは様々な名目で支給された広大な土地を世襲・私有することで大地主になり、権門勢家の門閥を成す者も現れた。両班身分の世襲による彼らの数的膨張が、限定された国家政治機構への参与と利権をめぐって派閥を作り、血なまぐさい対立抗争を起こすようになる。

 『中人』というのは、外国語・医学・天文学などの特殊技能で国に仕える者たちであり、両班以外で官吏になれる階級だったが法で高い官職に上がることを制限されていたために下級官吏に留まった。両班の子でも庶子は中人と同じ扱いを受け、併せて中庶と呼ばれた。出世の道を遮られている両班の庶子たちが王朝後期に反逆の首謀者になるなどして社会に様々な波紋を投げかけている。

 『常人』は農工商に従事する人をいうが、その大部分は農民であり、商工業に従事するほとんどが『賎人』である奴婢だったようだ。無論、農業に従事する奴婢もおり、奴婢は一種の財産と見做されて売買・相続の対象になった。国家に所属する公奴婢は功績のあった臣僚に下賜されることも多く、個人に所属する私奴婢は頻繁に売買された。
 いずれにせよ、厳格な身分制度によって奴婢の子は一生奴婢として生きなければならず、過酷な人生を強いられた。
 また、女性の妓生や茶母はもとより、僧侶までもが賎人とされていた。しかし、最も賎しい身分とされたのが『白丁』で、彼らは人間扱いをされず、一般人が住む処から隔離された特殊部落で屠殺などの作業をしながら暮らした。ただ、奴婢のように誰かに所有されて売買されることはなかったようだ。ちなみに日本にも白丁同様な扱いを受けた『非人』という存在があったことは諸賢がご存知の通りである。

 

 長々と李氏朝鮮における身分制度に関して述べたのは、このことを頭に入れて観れば韓国ドラマが描く世界をより理解できると思ったからである。そしてもう一つ、儒教思想についてある程度理解しているともっと楽しめると思う。

乱世の中国に生まれた孔子(BC552479)は、武力による覇権争いを治めるために人倫と政治の中心に「仁」を据えることによって平和を回復しようとした。その孔子の教えが儒教であるが、いわゆる宗教とは違い、家族愛を根本においてその思考原理を国家にまで発展させて天下を治めようという思想である。ただし、儒教で言う「愛」は序列のある差別愛であり、博愛や慈悲といった無差別の愛ではない。

この孔子の教えをより厳格な形に発展させたものが朱子学であり、李氏朝鮮の国学となった。その朱子学が最も重んじたのが「礼」だった。そして、「礼」の関係はいわば上下関係であり、君主が臣民を統治するために都合よく系統づけられていた。
 父母や祖父母に孝養を尽くし続けることが子の義務であり、目上の人を敬い目上の人の意に従うこともまた人としての義務とされた。言い換えれば自由意志の抑圧である。
 また、礼を尽くす対象に強い差別があり、自身にとって愛のないものには礼を尽くさないし、礼を失するものには礼を返さない。
 そうした思想背景が李氏朝鮮における身分制度を生み、身分が下の者は常に収奪され酷使されて、一般民衆は抑圧された生活の中で生きるのが精一杯だったようである。

 
 この朱子学儒教思想は李氏朝鮮崩壊後も根強く生きている様子で、現代劇ドラマでも親子関係と上下関係に人生を振り回される主人公が数多く描かれている。男女の交際や結婚は必ず家格が問題となるし、親の許しが必要となる。そこに悲恋が生まれ、ドラマが盛り上がる。そして家同士・個人同士の因縁による愛憎と怨念の復讐劇が視聴者を惹きつける。
 いくつ観てもそれなりに面白く、この頃は韓国ドラマがボクの趣味になってきた。その意味で、このボクにも今になって「韓流ブーム」が訪れたようだ。

時代劇も現代劇も筋立てが面白いし、女優さんたちは綺麗だし昔の日本の美人女優を見ているような気がすることもあるが、本当のところは、歳を重ねるにつれて耳が遠くなってきたボクにとっては何よりも字幕スーパーが魅力的なのある。六十代半ばを過ぎた初老のボクが100話以上ある長いドラマも早送りで楽しんでいる今日この頃である。


                        
[2012年8月9日]