ぐうたら備ん忘録19 「生きている」ということ
ボクは、今年もまた、自宅のバルコニー前にそびえるように立っている山桜の大木が枝いっぱいに咲かせた白く可憐な花を眺めながら誕生日を迎え、花見酒を楽しんだ。
つまり、東京S大学I病院に入院して『モーレン潰瘍』という自己免疫性の極めて厄介な眼病にかかっている左眼の『角膜移植』手術を無事に終えたボクは、三週間の入院生活を経て三月二十三日に我が家に戻った。医者は「お酒は控えてください」と口を酸っぱくするが、そうはいかないのが酒飲みの業である。
今回行った角膜移植は、切迫していた『角膜穿孔(角膜が破れて穴が開くこと)』を回避するための応急措置。免疫細胞の攻撃ですっかり溶かされてしまった以前の角膜に代わって新しい角膜組織が形成されていたが、まだとても薄い状態だったので眼の奥からの圧力に負けて破裂しそうになっていた。それで角膜を張り替えて蓋をしたという次第である。
幸いに術後の経過は良好で、新しい角膜の上皮はしっかりと張り、手術に伴ってできる欠損も完全に埋まった。執刀してくれたS教授が「私の予想が良い方へ狂いました」と洩らしたように回復は思いのほか早かった。ボクの自己治癒能力は優秀なようだ。あとは、このまま拒絶反応が起こらずに新しい角膜が定着してくれることを願うばかりである。そうなればいよいよ視力回復へのステップ(三段階の手術)に進める。
とはいえ、すべてが順調な訳ではない。眼圧が高い状態が続いている。これが長期間に及ぶようだと正常を保っている視神経がダメージを受ける可能性があるという。当面は内服薬と目薬で眼圧低下を試みているが、効果が無いようだと別の措置(手術)が必要になるらしい。それともう一つ。モーレン潰瘍というのはいまだに発症原因が解明されていない難病である。だから根本治療の施しようがない。つまり、いつ再発するかも知れないのがボクの現実だ。
しかし、物事はなるようにしかならない。今さらあれこれ心配したところで仕方がない。S教授が「あります」と言明した視力回復の可能性に賭けたのだから、運を天に任せよう。痩せ我慢と空元気も男の器量。これも生き方の一つだろう。
話はコロッと変わるが、三週間の入院生活は結構楽しかった。ボクは差額ベッド代のかからない大部屋に入ったのだが、スペースにかなり余裕がある四人部屋で、すこぶる快適だった。入院は安くて楽しい大部屋に限る。
ボクは部屋の左奥の2番ベッドをあてがわれた。すでに入院患者が一人、右手前の4番ベッドにいた。二十八歳の二児の父『静かなる数行くん』である。寡黙な彼は、自分から話すことをしないが、いつも人の良さそうな顔でニコニコと受け答えをする。その受け答えの言葉が極めて短い。文章にすると箇条書きの数行で終る。だから『静かなる数行くん』なのだが、ボクは彼にあることを気づかされた。
ヘビースモーカーのボクは、食後や検診後などの暇な時間になると喫煙所に足を運んでタバコをくゆらせる。そしてその度に数行くんにドキッとさせられた。ボクがタバコに火を着けてあたりを見回すとすぐ左脇に笑顔の彼が立っているのである。数行くんも愛煙家で、ボクに付き従うようにして喫煙所に通っていた。しかし、ボクの左後ろを足音を立てずに歩くものだから、喫煙所に着くまでボクは彼にまったく気づかない。『静かなる数行くん』は、今のボクは左がまったく見えていないという現実を再認識させてくれた。
ボクの入院二日目に二人の方が入院してきて、ボクたちの四人部屋は満員になった。右奥3番ベッドに入ったのが『情報屋のチョロQさん』、五十七歳。もう一人が左手前1番ベッドの『村の団十郎ジイさま』、八十三歳である。
チョロQさんは、二月二十七日に入院して三月一日に角膜移植の手術をしたが、血糖値が急上昇したために内科病棟に三日ほどいてから眼科病棟に移ってきたとのことだった。
彼は約十年前に自宅近くの開業医で角膜移植の手術をしたが、結果は芳しくなく、その後も手術を繰り返したという。にもかかわらず眼の状態は悪化するばかりで弱りきっていた時にS教授のことを知り、この病院に通うようになった。S教授から早期の角膜移植手術をすすめられたが、フトコロ具合の問題もあったらしく、手術を先延ばしにして半年以上が経過していた。しかし、いよいよ先の開業医におけるカルテの保存期間(十年)が満了することをS教授から指摘され、医療過誤訴訟を考えていた彼はあわてて入院して手術を受けたとのことだった。開業医にあった彼の旧いカルテは今、S教授の手元に移っているらしい。
そのチョロQさんも愛煙家だった。喫煙所で親しく話をさせてもらったが、彼は驚くほど病院内の事情に詳しかった。あの医師は以前どこそこの病院にいたとか、あの人がこの病院に来たのは一年半前だとか、三月末に退職することが決まっている医師は看護師に手を付けたことが原因だとか、先月看護師寮に忍び込んだ不埒な患者が強制退院させられたとか、何だかんだと「とっておきの情報」とやらをボクに教えてくれた。とにかくコマメな人で、暇さえあればチョロチョロと病院内を徘徊していた。
もう一人の『団十郎ジイさま』はなかなかの役者だった。
「歳のせいで耳が遠くなってねえ」と言いながら、実はかなり良く聞こえている。角膜移植手術を受けたジイさまは、毎日5回、二種類の目薬を点眼をしなければならない。しかし、それが面倒くさいらしくて、したりしなかったりするものだから、点眼時刻になると看護師がやってきて監視するようになった。
看護師が来る前に点眼を済ませた時は、実に穏やかな口振りで看護師に「最初に赤いのを点して、それから緑を点したけど、それでよかったべ」と微笑む。が、点眼しなかった時は看護師が来ても眠っている振りをしている。声をかけられると「ええっ!」と驚いて飛び起き、看護師が何を言っても、「ええっ? なに? わからん、聞こえん」と惚けて見せるのである。
このご老人の夜が滅法面白い。イビキは大した音量ではないし、すぐに止むから一向に気にならない。面白いのはその後必ずはじまる寝言芝居である。実に風流な寝言をおっしゃるのだ。と言っても、言葉をはっきりとは聞き取れる訳ではない。雰囲気が素晴らしいのだ。その寝言芝居は女の声音ではじまる。
よよと泣き崩れた女がなにやらしきりに訴えている。
しばらくそれが続いてから「うう〜む」と唸る。
唸った後は男の声音になってモゴモゴと言い訳じみた調子で劇は進行する。
そして女の声で「きゃーっ」とひと叫びしてひと幕が終る。
ひと呼吸置いてふた幕目がはじまる。同じ調子なのだがさっきとは明らかに違う話が縷々語られる。更に別の話が長々と語られて、ひと晩3回の公演が終る。
多い日はひと晩5回公演の寝言芝居は、その日によって出し物が違うようで、話のニュアンスが微妙に異なるから興味が尽きなかった。
団十郎ジイさまは茨城の霞ケ浦あたりに住んでいるらしい。そして、どうやらそこの田舎歌舞伎か浄瑠璃か何かの同好会に属している様子である。ジイさまと同年輩の見舞い客が、「見参、けぇ〜んざん!」と、歌舞伎さながらに見栄を切って病室に入って来るから、ボクの推測は当たっていると思う。『団十郎ジイさま』は、村のスターに違いない。そう思ってお顔を覗いてみると、なかなかの美男子だった。
『十人十色』というように世の中には色々な人がいて、それぞれの人生をつむいでいる。しかも皆、懸命に生きている。こすっからい政治家や役人たちと違って、皆、正直に生きている。ボクは今回、改めてその感を強くした。
そうそう、入院十日目くらいの夜だった。なかなか寝付けないものだから、真っ暗な中をボクは喫煙所に向かい、ベンチに腰掛けて紫煙を立ち昇らせていた。そこに頬がゲッソリ落ちた三十前後の青年がやってきた。
彼は「子供がなかなか産まれてくれなくて……」と疲れ切った顔に中途半端な笑みを浮かべた。「子供が産まれたらきっと、ホッとしてバタンキューでしょうね」と彼が言うから、ボクは「その逆だと思うよ。嬉しさでテンションがどこまでも上がって、活力が体中にみなぎってくるよ」と答えた。
その翌日の夜、一階の廊下を歩いているボクのそばに駆け寄ってきた青年は、「産まれました。オジさんがおっしゃった通りでした」とボクの手を握り締めて深々と頭を下げた。喜色満面の顔の真ん中でキラキラ輝く瞳が印象的だった。ここにも一人、真剣に生きている若者がいた。
生きるということは、決して楽なことではないが人間の尊い営みである。若者は若者なりに、老人は老人なりに、自分の生を全うすることがこの世に生を受けたことの証となる。たとえそれが小さな些細なものであっても、夢や希望を持ち続けることができれば生きる楽しみも生まれる。そして、夢や希望は他人が与えてくれるものではなく、自分で見つけ出すものである。
かくいうボクも、小さな夢と些細な希望を持っている。
「都筑のそれって、どんなものなんだ?」
「恥ずかしくって、他人さまに話せるようなものじゃないよ」
「そうかい。じゃ、聞くのはやめにするか」
聞かないと言われると話したくなる。
「そう言わずに聞いてくれよ」
「何だ、話したいんなら最初から素直にそう言いなよ」
「すまん、すまん」
何でボクが謝らなくてはいけないのかよく分からないが、とにかく謝った。
「俺の夢はさ、直木賞作家になって印税生活を送ることなんだ」
「へえ、結構大それた夢を持ってるじゃないか。で、希望は?」
「毎月1回以上、万馬券を当てることだな」
「何だ、それ? そんなのがお前の希望なのか?」
「そうだけど、いけないか?」
「いけないより何より、お前の夢と希望って、銭金がらみの単なる欲望に過ぎないんじゃないのか? 夢や希望ってのはさあ、もっと純粋な動機から生まれるものだと思うけどな」
「…………」
なるほど、確かにそうである。返す言葉がない。ことほど左様にまだまだ未熟なボクは、夢や希望を語る前に、心の修行が必要なようだ。
[平成十九年(2007)四月六日]
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