ぐうたら備ん忘録 16
モーレン潰瘍
ボクの左眼が「角膜潰瘍」に罹ってからまもなく丸一年になろうとしている。
角膜というのはいわゆる「黒目」部分のドーム型をした透明の膜で、目が見えるために極めて重要な役割を果たしており、その役割は大きく分けて二つある。一つは光を屈折して網膜に焦点をあわせ画像を鮮明に写すレンズの役割であり、もう一つは眼球の壁の一つとして目の形を保つ役割である。
その角膜の表面が何らかの原因によって傷ついた状態が角膜潰瘍なのだが、眼医者さんが「一時的なものですから二週間もすれば治りますよ」と頬をゆるめて抗生物質入りの目薬を処方する類いの軽いものが多いのだそうだ。
しかし、患者本人が変わり者だと変わった病気を呼び招くのか、ボクにとりついた角膜潰瘍は大変な曲者だった。その名を「モーレン潰瘍」という。
ドイツの医学者モーレン博士が発見した特殊な症例であることからそう名づけられた。というより、いまだに発症の原因が解明できていない稀な病気であるため、学術的・専門的な名前をつけたくてもつけられないというのが実情のようだ。
角膜潰瘍と総称される病気も、発症する場所によって潰瘍の性質が異なる。血管(結膜)から遠いものは総じて感染性の潰瘍であり、血管から近いものは自己免疫性の潰瘍であることが多い。
曲者「モーレン潰瘍」は、後者の自己免疫性潰瘍の一つであり、角膜周辺部にできる進行性の潰瘍で、蚕食性(蚕が桑の葉をムシャムシャ食い尽くしていくように患部が広がっていくタイプ)である。
充血や眼の痛みなどの症状が出て、進行すると角膜中央に向って潰瘍が拡大する。
結膜や上強膜に炎症が広がって角膜が薄く不透明になることもある。
自分で自分の角膜を溶かしてしまう厄介な病気で、角膜穿孔(眼球に穴が空くこと)から失明に至る可能性が高い。しかしボクの場合、「備ん忘録15」に書いたように、角膜穿孔に見舞われて緊急縫合手術をしたが、幸いに網膜へのダメージはなく、かろうじて失明には至らなかった。
自己免疫性の潰瘍……。
つまり、「自分の免疫力」が「自分自身の臓器(この場合、角膜)」を「外部から侵入した異物と認識して」激しく攻撃しているという次第である。無意識に自分の手で自分の首を絞めているのと同じで、始末の悪いことこの上ない。
そして今、レンズの役割が果たせなくなり眼球の壁としての働きも出来なくなってしまったボクの左眼の角膜は新しい角膜を移植する他に治す方法がない。
なのに主治医のO医師は、角膜移植をしても再発しない保証はない、と冷たいことを平然と言う。ボクが彼をどうしても好きになれないのは、患者の気持ちを斟酌できない彼のこんなところに原因がある。
しかし、神様仏様はまだボクを見放しておられなかった。
八月末のことだった。O医師が「一度、セコンド・オピニオンを求めてみてはどうでしょう」と提案してきた。口には出さないものの、彼の顔に「あなたの症状は私の手に負えません」と書いてあった。
それを見たボクは、二つ返事で彼の申し出を了承した。
そして九月六日。ボクは、S大学YH病院眼科部長名の紹介状を持って千葉県市川市にある東京S大学I病院へと向った。
I病院には角膜センターがあり、アイバンクもあって、いわば角膜疾病に関する専門機能を有している。それを統括しているのが東京S大学のS教授であり、I病院で眼科部長を務めている。インターネットでプロフィールを調べてみたところ、S教授は角膜再生の分野では日本における第一人者であるとのことだった。
当日は朝から風が爽やかで気持ちのいい日だったが、なんと我が家から病院までの片道に二時間を要した。しかも、紹介状があるとはいえ予約のない一般外来だから待たされる。二時間近く待ってようやく診察室に呼ばれた。が、思いがけず、ボクを診察してくれたのがS教授そのひとだった。
「長期戦になりますが、どうされますか?」
「時間がかかってもかまいませんので、やってください」
「わかりました」
病状に関するコメントが幾つかあって、一度の手術では治せないことを告げられた後の短い会話の中で、S教授はボクの治療を引き受けてくれた。
ボクはこの病気にかかってから初めて安堵感を覚えていた。
S教授の説明によると、手術は四回に分けて行うことになるという。最初に角膜穿孔によって崩れてしまっている「眼球全体の成形」を行い、次に「眼球内(硝子体)の混濁除去」をし、そして併発している重度の「白内障の処理」を終えてから「角膜移植」を実施する、という手順になるらしい。
最終段階の角膜移植手術が終わってもすぐに左眼が見えるようになる訳ではなく、一二か月間の慎重なフォローを経てからようやく見えるようになるとのことで、最初の手術がいつ出来るかにもよるが、すべてが順調にすすんだと想定しても、両目で物を見ることができるようになるのは来年の夏の盛りか秋口だろうとのことだった。
確かに長期戦だが希望の光は見えた。ボクは大船に乗った気持ちになっていた。
現在ボクは、週に一度YH病院へ通って症状チェックをしてもらいながら、月に一度の割合でI病院へ出向いてS教授の診察を受けている。大学病院同士の相互配慮によるものだが、頻繁に市川へ通うことを考えるとボクには好都合である。
治療薬も変わった。「モーレン潰瘍」であると見抜けなかったYH病院では、炎症を抑えるためにステロイド剤を多用してボクの糖尿病を悪化させ、その結果、主治医のO医師はステロイド剤を使うことに臆病になっていた。それゆえに、彼による治療は限界がきていたと言っても、多分、間違いではないと思う。
一方、I病院のS教授は、すでに発生している炎症を抑え込むステロイド剤ではなく、炎症を生み出している自己免疫力を弱める免疫抑制剤を主治療薬に選んだ。後の「角膜移植」の際に考えられる拒否反応に対処することも視野に入れた選択らしい。
そんな訳でボクは今、かなり強い「免疫抑制剤」を服用して「体内の免疫力を弱めながら手術が可能になる時期」を待っているのだが、その免疫抑制剤『ネオーラル』が効きすぎて「全身がむくむ」という副作用が出た。
両脚の膝から下が膨れて、特に足首と足の甲がひどく腫れ上がってしまって靴を履くのも一苦労する状態に陥っっている。
YH病院で処方してもらった、むくみを緩和する『ダイアモックス』の効果で一度は軽くなったものの、ネオーラルの逆襲に遭って、今は両脚の膝から下と両腕の肘から先、そして顔がむくんでいる。
からだ中の皮膚のすぐ裏側に微妙な厚みをもった膜のようなものがビッシリと貼りついている感触がなんともおぞましい。からだのどこかを少しでも動かすと、そいつが生意気にも存在を主張するから鬱陶しくて仕方がない。
その上にダイアモックスの副作用で、見える右眼は近視状態が続き、耳は難聴になっている。
よく効く薬は常に副作用を伴うから仕方がないことだが、これが結構つらい。
「S先生、早く手術をしてくださいよ」
これが今日現在のボクの正直な気持ちだが、手術計画が具体的に決まるのは一か月後である。ああ、ボクの周りだけ、時間の流れがやけにゆるやかだ……。
[平成十八年十月二十四日]
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