都筑大介 ぐうたら備ん忘録 13


         ボクの還暦




 三月二十一日春分の日。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で、王貞治監督に率いられた日本チームが初代チャンピオンの栄冠を勝ち獲った。
 それも奇跡のような幸運に恵まれて準決勝に進出し、一次予選と二次予選で連敗した韓国相手に6対0で大勝し、決勝戦では強豪キューバを10対6で撃破しての偉業だったから、
日本国内は久し振りに野球熱で沸きかえった。

 テレビの番組平均視聴率が韓国戦で36.2%、決勝のキューバ戦に至っては43.4%(瞬間最高視聴率は56.0%)を記録した。昼間の中継放送としてはもの凄い高率である。それほど皆の関心が高かったということだろう。


 確かに、野球の世界一を決める大会であること、二次予選の対アメリカ戦でアメリカ人審判による意図的誤審があったこと、スター軍団アメリカがメキシコによもやの敗戦を喫したお陰で一度諦めた準決勝進出が叶ったことなど、ボクたちを興奮させる話題に事欠かなかった。

 特に、イチロー選手の普段とは違う刺激的な発言も興趣を盛り上げてくれた。

「王監督に恥をかかせるわけにはいきません」と大会前にコメントし、二次予選で韓国に敗れた日に「僕の野球人生で最大の屈辱です」と唇を噛み締め、準決勝の韓国戦前には「同じチームに三連敗することは許されません」と(まなじり)を決し、キューバ戦を快勝して「勝つべきチームが勝ったということだと思います」と微笑んだ。イチローは、「絶対に勝つんだ、優勝するんだ、それだけのチームなんだ」と言い続けてチームを引っ張った。

 その彼も優勝後に「正直に言うと優勝というイメージは持てませんでした。もの凄いプレッシャーでした」と本音を語った。そして、優勝会見の席で「出来ることならこのチームで1シーズン、メジャーを戦ってみたいですね。それほどいいチームだと思います」と真剣な眼差しで語り、今回のチームメートを振り返りながら「もう、ヤバイっすよ」と目を(うる)ませた。

 これまでのイチローのイメージは、「常に冷静な天才打者」とか「ヒット製造の精密マシーン」といったものだった。それが「情熱とプライドにあふれる日本男児」に大変換した。彼はその身を持って、今の日本人に乏しくなった大和魂と武士道精神を発露させた、美しい日本の心で「負け組が再チャレンジのチャンスを与えられて頂点に上り詰める」という図式を演出して見せて日本人特有の判官贔屓(びいき)の心を大いに刺激してくれた、と言っても過言ではない。

 一人のスポーツ選手の言動に胸を熱くさせてもらった経験は、ホクには初めてのことだった。同じ34歳でも金満のホリエモンとは精神レベルが違う、今の若い人たちも捨てたものではないと、感じ入った次第である。

 そうそう、ボクが近頃感じ入っていることがもう一つあった。
 我が愛娘のことである。

 娘は、スタッフ約三百名の半数以上が弁理士で占められている、国内でも有数の特許事務所に勤めていた。その会社を昨年末に退職して先月上旬にオーストラリアへ渡り、二年間の留学生活をスタートした。


 彼女は、自分の未来を自らの手で切り拓くことを考えて、仕事の合間を縫って懸命に勉学を積み重ねていた。そして、通訳と翻訳者の養成校として世界中で二番目にランクされている大学院の狭き門をくぐって見せた。勉強が嫌いで努力は苦手の、横着でぐうたらなボクの娘とは思えない快挙である。間違いなく女房殿のDNAが大きく作用している。

 娘の今回の決断にはイチローの精神と相通じる部分がある、とボクは思う。勿論イチロー選手のレベルには遠く及ばないことは言うまでもないが、目標を定めたら一歩も後に退かない強さをボクに示してくれた。
「お父さんお母さんに安心してもらえるようになるわ、わたし」と可愛いことも言う。本当は早く嫁に行って安心させてもらいたいのだが、「わたし、子供が欲しいし、これが終ったら結婚を考える」と心をくすぐられては返す言葉がない。ボクは娘に心を読まれている。苦笑いしながら留学資金の供出に応じた。とにもかくにも無事に二年間の留学を終えて欲しいものである。


 娘とイチローのことをあれこれ考えているうちに、今日、ボクは還暦の日を迎えた。
 60回目の誕生日が来て人生の暦を架け替えた。
 まさに第二の人生のスタート日である。

 とはいえ、取り立てて深い感慨を覚えている訳でもない。ただ、娘に比べると父親のボクの方はなんだか頼りなく感じられてならない。
 横着でぐうたらなのだから仕方がないが、もっと性根を入れて頑張らなくては、そのうちにきっと、娘の顔をまともに見られなくなる。

そう痛感しながらボクは還暦の今日を迎え、今年の正月に酩酊してもつれた舌で女房殿と娘に話したことを思い出した。

 ボクは今年「G社のアウトロー大賞を取る!」「F社から官能小説を最低でも一冊出版する!」「時代小説を書く!」と宣言していた。にもかかわらず、今のところ何一つ前に進んでいない。情けない限りであるが、言い訳もチャンとあるからボクはこすっからい。


 去年の十一月の末に突然眼病がボクを襲った。左眼が「細菌アレルギー性の角膜潰瘍」に罹ったのである。

 最初にかかった街の眼科医は「一時的なものですから、まあ、二週間もすればよくなるでしょう」と診立てたが、その二週間の間に大学同期の仲間と忘年会をやって、治るどころか悪化させてしまった。
 思わぬ事態に困惑した眼科医から近くの大学病院を紹介されてそっちでの治療を開始したが、例年通りに正月三が日を飲んだ暮れて、症状は一進一退。さらに一月末には恒例の高校同期の新年会に出かけて痛飲し、また症状を悪化させた。

 それで二月中は眼が四六時中コロコロして涙が流れ出る状態が続き、三月に入ると虹彩炎を併発してしまった。
「お酒は控え目にしてください」と言っていた医者からついに「しばらく断酒してください」と命じられるに至ったが、昔勤めていた会社のOB会で前から約束していた講演をやり、その後のパーティで勧められるままに酒を呑んで二次会にまで参加した。


 振り返れば我ながら呆れる脱コントロール状態だったから自業自得に他ならないのだが、さすがにこの二週間は大人しくしている。いまだに眼がコロコロ・ショボショボして、こうしてパソコンに向かうことが億劫で仕方がないし、集中が続かないから弱る。「弱り目に祟り目」とはよく言ったものである。

 人間誰しも、自分では意識しないで他人様を傷つけていることがある。ボクも人の子である。きっとそのバチがメに当たったに違いない。そのせいで一日中ゴロゴロと河岸の冷凍マグロみたいに横になっている体たらくだ。
 そんな情けない有様を親友のHくんに、「メにバチが当たって四六時中横になってる状態なんだ。まさにメバチ(眼罰)マグロだよ、俺……。本マグロほど脂が乗っていないから旨く(上手く)ないしなあ、物書きの方も……」と話したら、「からだをもっと大切にしなさいっていう神様の警告だぜ、その眼病は。まだ見放されていないって証拠さ」と慰めてくれた。


 彼は優しい。ボクも優しいジイさんにならなくては……と、今、真剣に思っている。が、この眼病には還暦の今日までに癒えて欲しかった。トホホ……。

                                        [平成十八年三月二十九日]