都筑大介 ぐうたら備ん忘録
その弐 格安傷心パック
散々な目に遭った羊羹の買出しからまもなくのことである……。
残暑厳しい夕暮れ時に、アルバイトで資金を貯めては海外へ出掛けている大学四年の娘が海外旅行情報をインターネットで検索していた。
熱心にパソコンを操る背中を眺めていた女房殿が、何気なく口を滑らせた。
「あなたはいいわね、どこへでも行けて……」
「お母さんも行けばいいじゃない!」
勝気な娘の口が尖(とが)った。
「お父さんと二人で十万円くらいなら行ってもいいわよ」
「言ったわね。わたしが見つけたら行くのよ、絶対にっ!」
「勿論よ」と、女房殿は鼻先をツンと反らせる。
「よおーしッ!」と気合を入れた娘は、猛烈な勢いでマウスとキーボードを操り始めた。
それから五分も経ったろうか、ディスプレイに見入る顔がニカッと笑った。
「あったよ〜。韓国世界遺産の旅。二人で九万九千八百円!」
「えっ、ほんと?」
女房殿の眉が曇る。弱った。そんなに安い旅行なんてある筈がないと、高を括っていたのに……あった。海外旅行の経験がないから、不安が顔に出る。
さぁどうする?
娘は余裕綽々に女房殿の逡巡する顔を覗き込んで、けしかけた。
「お母さんの海外デビューが三泊四日の韓国じゃ、かわいそうかなぁ」
「な、なに言ってるのよ。どこでデビューしたって構わないわよッ」
負けず嫌いの女房殿はいとも簡単に娘の術中に落ち、韓国行きを宣言した。夕陽が眩しかった。
ボクはというと、突然降って湧いたこの話に気乗りがしない。さりとて柳眉(りゅうび)を逆立てて決意した女房殿の心中を察すればイヤとは言えない。
「韓国ねぇ……」と、言葉を濁した。
ところが、三国時代新羅の遺跡が見られるというではないか。旧い時代の日本列島と朝鮮半島との関わりに以前から興味があっただけに、ボクの重い腰がすっと持ち上がった。
出発の前日に大型台風が関東地方を直撃した。しかし、一夜明けると台風一過。青空がボクら夫婦の旅を祝ってくれているような気がした。女房殿は満面に笑みを浮かべ、心はすでに韓国へ飛んでいる。そそくさと朝食を済ませ、東横線で横浜へ出た。
ところが、走り去ったはずの台風はYCAT(横浜シテイ・エア・ターミナル)でボクらを直撃した……。成田までのエアポートリムジンがいつもより一時間以上余計にかかるという。それではとJRへ。
ところがダイヤが乱れている。それでも、(三十分遅れ程度なら何とか集合時間に間に合いそうだ)と、入って来た成田エクスプレスに乗り込んだ……までは良かった。が、東京駅で運行停止になってしまった。その先の方の線路に倒木があったらしい。
「そりゃないだろう」とボヤキながら地上へ駆け上がり、今度は山手線で上野へ。発車間際の京成電車に飛び乗ってやっと一息つけた……と思ったら、電車は途中駅で停車し、その脇をノンストップ特急のスカイライナーが追い越していく。
ボクは愕然とした。乗車ホームを間違えていたのだ。
地団駄(じだんだ)を踏んだところで今更遅い。瞬間移動の超能力でもなければ乗り移れない。いや、それが出来るなら家から直接空港へ瞬間移動している。
(ドジ、馬鹿、間抜け、阿呆、脳タリン、ウスラトンカチ、ぼけなす、おたんちん、ハンチク野郎、イッチョなし、トンチキ頭、スットコどっこい、役立たず、恥さらし、罰当たり……)と、思いつく限りの言葉を浴びせて自分を責めた。
女房殿は……と見ると、落ち着き払ってうたた寝をしている。
女は強い。腹を括るのが早い。それに引きかえ男は、いや、ボクはいつまでも女々しい。今更、詮方(せんかた)無いことをグジグジ考える。
波立つ心を持て余しているうちに、乗り間違えた電車が成田空港の地下ホームに滑り込んだ。すでにフライト時刻を過ぎている。とりあえず南ウイング四階の団体受付へ向かった。
どう言って出発日の変更を認めさせようかと、そればかり考えているから心も重ければ足も重い。ノロノロゆるゆるとエスカレーターを乗り継いだ。
ところが……である。搭乗機はまだ離陸していなかった。係員に急かされて出国審査場へ走り、そこからゲートまで駆け足バタバタ。息せき切って飛行機に乗り込んだ。今度は間違いなくソウル行きだった。
抜けるような青空の下、ボクらはソウル郊外のキムポ空港に降り立った。
ここで国内便に乗り換えて釜山(プサン)へ向かうのだが、到着ロビーに待機しているはずの現地ガイドの姿がない。あれっ? あちこちで首が傾いた。しかし、旅行社のバッヂが功を奏して、熟年日本人男女の塊は次第に大きくなっていった。その皆さんの瞳に仄(ほの)かな不安が浮かび上がった頃、グリーンジャケットを羽織った妙齢の女性がシャカッと現れた。
「みなさ〜ん、プサンまでの切符出してくださ〜い!」と、韓国訛りの日本語で到着確認を始めた。
まだ何人か集まっていないらしく、端正な顔の真ん中で、眼が段々吊り上がってくる。「これだから日本のジジババはイヤなのよ!」と、今にも叫び出しそうである。自分が出迎え時刻に遅れたことなどまるで頭にない。
それでも誰かが話しかけると韓国美人特有の涼しい微笑で応える。が、すぐに険しい表情に戻った。本音と建前が顔の表面でコロコロ入れ替わる、その落差が面白い。ボクの友人の在日韓国人女性たちも愛嬌の好(よ)さと芯の強さを兼ね備えているが、彼女の場合はもっと感情の起伏が激しそうだ。
それはともあれ、ボクらはプサンへ飛んだ。
午後六時半のプサンはまだ明るい。時差を感じつつ、ボクらはバスで、歌謡曲で親しいプサン港(ハン)へと移動した。
(プサンの人口は四百五十万人、韓国全体の一割を占める。ソウルが一千万人強だから、この二つの都市に総人口の三割以上が密集していることになる。競争も熾烈である。李氏朝鮮初期に中国の科挙(かきょ)制度を取り入れて以来の学歴社会が厳然としてあり、幼い頃から凌ぎを削らされる。勤勉でなければ肩身が狭い。そのうえ現在は、長引く不況と企業のリストラで失業率が7%を超えている。今どきの日本の若者ならすぐに逃げ出す環境なのにこの国の人たちは逞しい。政治の決断も早い。金融システム改革の一環として五つの銀行と十六のノンバンクに営業停止させ、経済再生へ向けて大車輪を廻している。いつもグズグズと決断を先送りする日本の政治家は見習う必要がある……)
などと、仰々しいことを考えていたら港のレストランに着いた。
夕食のメニューはプルコギだった。甘辛く味付けした薄切りの牛肉を、タマネギやニンニクと一緒に専用鍋で焼き、サンチュという葉野菜で包んで食べる。辛味噌(コチジャン)を乗せると味がピリッとしまる。この食べ方だと松坂牛のような高級肉は必要ないし、バランスが取れていて健康的である。窮乏の歴史を生き抜いてきた民族の知恵だろう。が、しかし、この夜のプルコギは不味(まず)かった。骨付きカルビを追加注文したが、これがまた不味い。うちの近所の焼き肉屋の安物カルビの方がうんと美味い。ガイドさんが香港に優るとも劣らないと説明した夜景も大したことはなく、舌も眼も落胆しきりの一日目は終わった。
二日目……。
朝から早速市内観光に出発。しかし、観光スポットは駆け足なのに、国際市場という雑然とした商店街の一角にある革製品専門店での滞在時間がやたらと長い。
ガイドさんの尻にくっついて店に入ると、売り場の奥の狭くて暗い階段を、地下室へと招き入れられた。十坪ほどのスペースにブランド品が“所狭し”と陳列されている。店長が流暢(りゅうちょう)な日本語で口上を述べた、本物以上の高級品が半分以下のお値段で云々……と。
これって変、本物以上のコピー品だなんて……。しかし、堂々と偽物だと言っているのだから詐欺ではない、多分……。
お昼前になってやっとボクらは歴史の里・慶州(キョンジュ)へ向かった。
一時間余りで着くとまずは昼食。その後すぐに土産物屋へ。キョンジュは紫水晶の名産地とかで、しきりに奨められた。が、興味はない。くっついて離れない店員を振り切って書籍棚を眺めていると日本語版の慶州ガイドがあった。地図を見るとすぐ近くに古墳公園がある。途端にボクは上機嫌になった。
しかし、土産物屋を出たバスは無情にも古墳公園の横を素通りした。
「右に見えます、お椀を伏せたような古墳が新羅(シンラ)歴代王族のお墓で……」
ガイドさんの説明がなくても見れば分かる。地に立って間近に眺めてこそ歴史の息吹を肌に感じられるのだ。
(古墳公園に立ち寄りたい、天馬塚に入ってみたい)と願う、ボクの思いは無残にも打ち砕かれた。
次に訪れたのは吐含山(トハムサン)中腹にある石窟庵(ソックラム)。
千二百年前に建造された韓国仏教美術史上最高の傑作とやらの石仏が十数体あった。が、石窟自体の規模は小さく、何の感動もない。
続いて、千五百年前に創建された名刹・仏国寺(プルグクサ)を訪れた。
四百年ほど前に一度焼き払われ、現在の伽藍(がらん)は三十年前に再建されたものらしい。焼き払ったのは豊臣秀吉の軍兵である。日本人も国の外に出るとずいぶん悪い事をする。それにしても、彩色塗料仕上げばかりが目について、宣伝文句の“建築芸術の極致”には程遠い。寺の記録が壬辰倭乱(日本では秀吉の朝鮮征伐)で失われたことや、再建時は韓国経済がまだひ弱であったこともあり、十分な復元は出来ていない。日本のODAも、道路や橋やダムやコンクリート箱ばかり造る紐付き援助ではなく、伝統技術を駆使する文化遺産の復元や維持にもっとむけられてもいい。相手国の文化に敬意を払ってこそ長年の心のわだかまりも和らぐ。
そんな大仰(おおぎょう)なことを考えるボクを揺らせてバスは宿へ向かった。その途上、今度は高麗青磁の窯元で暫時(ざんじ)休憩。休憩に名を借りた土産物の押し売りである。「青磁の壺はどうです? 一輪挿しはおすすめですよ」迫られて、ボクは店の中を逃げ回った。
やっとの思いで辿り着いたのは普門湖畔(ホムンホハム)の宿、『ホテル現代(ヒュンダイ)』。東京の『ニューオータニ』クラスの豪華ホテルである。しかし、チェックインを済ませるとすぐにバスに引き返して市内の夕食会場へ。ホテル内だと採算がとれないらしい。案の定、夕食のしゃぶしゃぶは超薄切りの冷凍肉が少々と白菜中心の野菜にうどん。まさしく肉うどんである。それなのにお仲間のどなたも不満の声を漏らしたりなさらない。豪華ホテルの効用であろう。
粗末なうどん定食の後、バスは免税店へ向かった。
道すがら、ガイドのユンさんは甘ったるい声で「カジノはどうですか、カラオケはいかがですか」としきりに誘った。彼女はプサンのホテルで携帯金を置き引きされ、弁償しなくてはならないという。そのせいか、お誘いが執拗だった。
旅も三日目。古墳公園を素通りされた心の傷も消えていた。一晩眠るとケロッと忘れるのがボクの美点である。というより何でも長続きしない。
それはさておき、ボクらは韓国自慢の特急セマウル号でソウルへ向かった。が、列車に乗り込んですぐにムカッ腹が立った。
後ろの席の女性三人組が、ペチャクチャだけならまだしも、朝っぱらから下半身にまつわる卑猥(ひわい)な話をして嬌声をあげるのである。下品なオバタリアンを絵に描くと多分こうなる。その猥談(わいだん)が耳について本も読めない。仕方なくボクは眼を窓の外へ遣った。
キョンジュを出てすぐの景色は日本の東北地方を想い起こさせた。たわわに実った稲穂が風に揺られて金色に輝いている。この辺りの気候は日本の米どころのそれによく似ているようだ。
(しかし、北は相当寒いに違いない、北朝鮮の食糧不足は深刻だ、人口二千五百万人の一割が餓死したらしい、経済危機の韓国より何倍も過酷だ……)
そう考えていると、オバタリアンがバイアグラの話を始めた。
(股間が堅くなろうがなるまいが朝からそんな話はやめてくれ!)
ソウルに到着するとすぐに李朝の宗廟(チョンミョ)と昌徳宮(チャンドックン)へ。
ガイドのユンさんは小旗を肩にシャカシャカと先を急ぐ。決して後ろは振り返らない。険しい表情で“心ここにあらず”である。置き引きされたお金のことで頭が一杯なのだろう。
「彼女、可哀相(かわいそう)だなぁ」と言うと、女房殿は「若くて綺麗なひとには優しいのねッ」ときつい眼差し。ボクは慌てて話題を変えた。
市内観光が終わると例によってお買い物。そしてホテルへ。車中のユンさん。今日は新手(あらて)の“垢(あか)すりエステ”を繰り出して懸命である。
意外にも我が女房殿が手を上げた。「絶対に行く」と堅いご決意。ボクも付き合うことになった。
午後八時……。
女性七人とボクは迎えのマイクロバスに乗ってエステサロンへ。ところがそこは女性専用。ボクは、狭い路地を抜け幾つも角を曲がって、外壁が崩れ落ちた古いビルの地階へ連れ込まれた。
連れ込まれて慄然!
ただっ広くて薄暗い公衆サウナには妖気がぬわ〜っと漂っている。シミだらけの壁や天井から魑魅魍魎(ちみもうりょう)が湧いて出そうなのだ。しかも客はボクだけなのだ……。
受付に眼つきの鋭い鬼瓦がひとつある。NHKのコメディ番組にレギュラー出演している俳優の桜金造さんから愛嬌と滑稽さをすっかり抜き取った顔がニヤッと笑った。怖いのなんの、××××が縮み上がった。
鬼瓦金造に促されてパンツ一枚になると、それも脱げとのご命令……。
堪忍して欲しい。粗末な下半身を晒しては万一の場合に逃げ出せない。ハングルはサッパリだから路頭に迷う。
しかし吊り目の金造は、蛇のような冷たい眼差しで、蛙になったボクを睨みつける。
ボクは致し方なくスッポンポンになった。
蛇眼金造にはヤクザ映画に出てくる鉄砲玉のような不気味さがある。とにかく素直に従うほかはない。逆らうと乱暴されそうだ。
ボクは目を皿にして、鉄砲玉金造の身振り手振りを見つめた。彼の指示が「シャワーで身体を流せ。浴槽に浸かれ。サウナに入れ」だと何とか分かって、引き攣った笑顔でうなずいた。
指示通りのステップを踏んだが、サウナはザラザラのコンクリート床に細長いスノコが二枚、腰掛段は薄い渡し板、時計もなければテレビもない。そのうえ熱過ぎてゆっくり座っておれない。それでもボクは約三分我慢した。 「イクスキューズ・ミー」
もう一度浴槽に浸かったボクは股間を手で覆って脱衣場へ出て呼びかけてみた。
すると若い男がどこからか現れ、すぐに引っ込んだ。代わって出てきたのが鬼瓦鉄砲玉の金造。「浴室で待て・石鹸で身体を洗っておけ」とのご指示……。慣れてくるとパントマイムも分かりいい。
まもなくパンツ一枚になった吊り眼の金造が浴室に入ってきた。
ご命令に従ってビニール張りのベッドにうつ伏せになると、蛇眼の金造は「テンジ!」と手のひらを返す仕草をした。
チェンジと言っているのだと気づいて慌てて仰向けになると、両手を脇に下ろせという。恥ずかしい……。顔が火照った。
こんな格好で拷問されたら、間違いなくボクはやっていないことまで白状する。
「さぁやるぞ!」と気合の入った鉄砲玉金造の顔が夜叉に見え、戦慄のエステは佳境に入った。テンジ・テンジで丸太ン棒のように転がされ、ゴシゴシ薄皮を剥がれ、グリッゴキッと痛めつけられ、漏れそうになる声を呑み、羞恥に顔を赤らめ、長い呻吟(しんぎん)の時は過ぎた。
ボクは大急ぎに衣服を身にまとい、恐怖の館を後にしてタクシーでホテルに戻った。が、女房殿の姿が部屋にない。途端にいつもの妄想癖が出た。
(エステを装った裏組織に拉致されて狭くて暗い地下室に閉じ込められ、女房殿は泣き濡れている。助けを求める悲痛な声が剥き出しコンクリートの冷たい壁と天井にこだましている……)
心が慄えハラハラすること二十分、ボクの心配をよそに、女房殿は上気したスッピン顔でにこやかに帰還した。ご機嫌だった。
「あなた。あそこのエステ、念入りでとても良かったわよ」
旅の最終日。空港へ向かうバスはまたもや土産物屋に立ち寄った。ツアーメンバーの土産物漁りの凄まじさに、ユンさんは満足げである。彼女は空港で、いかにも名残惜しそうに、一人一人に挨拶をした。
改めて観ると、ユンさんは国会議員の畑恵さんに似ている。船田議員との政界失楽園で世間を賑わせている御仁である。その彼女の指にこの日は結婚指輪がない。
「どうしたの?」
ボクが尋ねると、ウフッと笑って名刺をくれた。なかなか艶っぽい。ボクがもっと若くて独り身なら、いや、そうでなくてもクラッとくる。ボクは女房殿に気どられないようにウインクを返した。
遺跡探訪は出来なかったが値段を考えれば満足のゆく旅だった。
心残りはガイドのユンさんである。カンパを募ってあげるべきだった。搭乗機の中でそう悔やんだがそれもひと寝入りしたら忘れた。
横着ゆえに深く考えることをいとい、いつも些細な感情に左右される。ボクはやはりどこかの捩子が一本抜け落ちている。ダメな男だ、と自己嫌悪に陥っていると富士山が笑顔で出迎えてくれた。日本の空は快晴だった。 [平成十年九月]
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