都筑大介  ぐうたら備ん忘録


       その壱 小ざさの羊羹




 たとえ『一畳関白さま』と呼ばれて白い眼で見られようと、『お不動さん』だと皮肉られても、時々ならボクもけっこう甲斐甲斐しく働く。
 JR吉祥寺駅前の商店街に『小ざさ』という和菓子屋がある。
 間口が一間半、三坪そこそこの小さな店だが、ここの羊羹(ようかん)の評判がすこぶる高い。

「厳選された原料を、時代錯誤的に非能率な小鍋にいれて、高価な木炭を使った炭火で、じっくり練り上げる」らしい。
 製法が製法だけに一日に150本しか造れないとかで、手に入りにくいから尚更欲しくなる。
 また、「出来るだけ多くの方に……」という耳当たりの好い理由で「お一人様5本まで」の限定販売をしている。これがまた購買意欲を掻き立てる。なかなか商売が上手い。

 数日前、博多にいる弟が電話をよこした。
 盆休みに上京するという連絡だったのだが、電話を受けた大学四年の娘が、叔父と姪とでアルバイト契約を交わしてしまった。かの羊羹の購入代行である。それも「20本欲しい」と弟は言ったらしい……。
 となると、四回出掛けないと約束は果たせない。そこで娘は、機転が利くというか、ボクに似て横着なのだろうが、家族を総動員することを思いついた。幸か不幸か、我が家ではそうすることも物理的に可能なのである。
(――自由業なんだという無職の父は家にいる、大学卒業後まだ職に就いていない兄も暇だけはある、母にも手伝ってもらって全員で行けば一回で済む……)
「そうだ、それがいい!」
と、娘は勝手に決めてしまった。アルバイト料に目は眩んでも自分に好都合なところは見逃さない。

 買出し当日の朝、ボクは未明の三時に起床した。
 ところが、宵(よい)っぱりの息子は寝入ったばかりらしく魂を失っていた。体を揺すっても起きない。
「このまま寝かせといてあげようよ」と兄を気遣う優しい妹は、約束の本数が不足することは気にしない。「叔父さん、きっと自分でも買いに行くわよ」と案外に無責任な割り切りをした。家風である。
 そんなこんなで、ボクと女房殿と娘の三人で、まだ真っ暗な三時二十分に車で家を出た。
 我が家は川崎中部の緑豊かな小高い丘の上にある。最寄り駅のそばには慶応大学がある、港北ニュータウンが近い、横浜も渋谷も近くて便利なんです。
 つい、そう言ってしまうボクは見栄っ張りでもある。本当は、バブルの頃にも住宅開発の波が届かなかった処に住んでいる。四季折々の旬の野菜が朝日や夕陽に映えて美しいとか、すぐそばの雑木林に訪れる野鳥のさえずりが心を癒してくれるとか、懸命にセールスポイントを探す自分が時々哀しくなる。
 余談はさておき、畑道を抜けて国道二四六に出たボクらは、車影疎らな暗いアスファルトの上を疾走した。瀬田から環八を北上し井の頭通りへ折れる“コの字”ルートを辿って、四十分足らずで目的地に到着した。

 午前四時。吉祥寺駅前はまだ夜の眠りに就いている、と思いきや、えらく賑(にぎ)やかだった。夜通し遊び呆けて始発電車を待つ若者たちがその騒音源である。ビルの物陰や広場のあちこちに三四人単位でたむろしている。ペチャクチャ喋りと浮かれた声が暗く沈んだ空間で飛び跳ね、奇声が闇をつんざく。ビルの壁に寄りかかって缶ビール片手にオダを上げているのもいれば、ギターをかき鳴らして調子外れにガナっている者もいる。日本は平和だ。
 駅の北口ロータリーから北西へ向かって、旧(ふる)くからの商店街が伸びている。昔と違って立派なアーケードに覆われ、結構値の張りそうなタイルが足元を飾っていた。
 ボクは独身の頃にこの界隈を飲み歩いたことが何度かある。『小ざさ』は当時から今の場所にあったとのことだが、記憶にない。その頃はまだ評判が高くなかったのだろう。なにせ若い頃から酒飲みのくせに甘いものにも目がなかったボクが憶えていないのだから、きっとそうだ。あるいは今の人気はマスコミが創り上げたものかも知れない。ともあれ、車をコイン駐車場へ放り込んで、小走りに『小ざさ』の前に着いたのが午前四時十分。すでに先客がいた。一人はボクと同年輩のサラリーマン。スーツで身を固めハンディタイプの折りたたみ椅子にちょこんと腰掛けて単行本を読んでいた。その隣はTシャツにジーンズの学生風のあんちゃん。彼は文庫本を読んでいる。

「しまったなぁ」
 ボクが呟くと、娘が「エヘッ」と笑った。手提げから文庫本を取り出すと、これ見よがしにボクの鼻面でひらひらさせた。小憎らしいが用意周到である。こんなところは女房殿に似ている。

 ボクらが着いてまもなく、靴底をペタペタ鳴らしてご婦人二人がやってきた。
今日は出足が遅いねぇ」
 ボクのすぐ後ろについた婆さまが妙に馴れ馴れしく話しかけてきた。
「そうですねえ」とおざなりに相槌を打つ。人見知りするボクにもこの程度のことなら出来る。
 一緒にきた四十過ぎの眼鏡さんが婆さまの肩を軽く叩いて「ミネコさん、私ね、この前は四時四十五分に着いたの。そしたら二十八番目だったわ」と言った。
 古希(こき=七十歳)はすでに過ぎていると思しき婆さまはミネコというお名前らしい。そのミネコ婆さんはクルッとボクに背を向けて眼鏡さんとペチャクチャ喋り始めた。

 ボクは心の中で眼鏡さんに感謝した。他人様とのお喋りにいやいや付き合うと、笑顔がじきに仏頂面に変わってしまうからだ。感謝しながらボクも二人に背中を向けて煙草をくゆらせた。
「何とかさんは遅いわね」、「誰某さんはお姑さんと良くないみたいよ」、「うちの主人はね」、「おたくはいいわね」、「四時半に三十人になった日もあったわ」
 と、甲高い声がボクの背中で踊った。

 それにしても……である。
 一日
150本の羊羹は午前十時の開店の五時間も前に売り切れる。凄いを通り越して異常だ。数年前にテレビ番組で紹介されてから長蛇の列が出来るようになった。近所の店には迷惑千万である。そこで『小ざさ』は開店前に整理券を配ることにした。ところが、その整理券を求めるための行列が段々早く出来るようになって、今や未明の四時半が攻防の時になっているらしい。早起きでなければここの羊羹は口に出来ない。

 この日のボクらは三番・四番・五番という絶好位だった。これで間違いなく約束を果たせる、と娘はニコニコしている。
 叔父のリクエストに5本足りないことなどとっくに忘れている娘の屈託のなさに半ば呆れていると、ミネコ婆さまがヒョコヒョコ歩いて通りの先のビルの陰から段ボールを抱えてきた。広げて自分の足元に敷くと、ボクらにも二枚、別(わ)けてくれた。ありがたい。

「さてと、八時半までひと寝入りだねッ」
 いただいた段ボールを広げて三人が腰を降ろした時、婆さまが眼鏡さんに向かってそう言うのを耳にしてボクは愕然とした。毛糸球と竹針を取り出して編み物を始めた眼鏡さんに、恐る恐る尋ねた。
「整理券は何時でしたっけ?」
「八時半ですよ」
 サラリと答えた眼鏡さんは、怪訝(けげん)かつ軽蔑の眼差しである。慌てて眼を逸らそうとしたのだが、ショックで落ち込んだせいか、ボクはコクンと首を前に折っていた。期せずして礼を述べた格好になったが、気を失いかけていた。(いつも五時には三十人の行列が出来上がるのだから、整理券が配られるのは遅くても五時半)と、思い込んでいたからである。一気に延びた待ち時間に、目の前が真っ暗になった。
 萎れたボクが「八時半なんだって」と言うと、「そうよ」と娘はつれない返事。「あら、知らなかったの?」と女房殿。早呑み込みは一生の不覚である。

 さて、そうと知ってからの時間が長い。アーケードの天井にぶら下がっているデジタル時計の文字盤を眺めてはため息をつき、くよくよグジグジ考える。
(せめて五時半には整理券を配れよなあ。それ位の気配りがあってもいいじゃないか……)
(たかが羊羹のために六時間もここに座らせておく気か?)
(1本
580円だから5本で2,900円、15本で8,700円。コンビニバイトの自給が700円としても一人4,200円、三人でやれば12,600円、駐車料金1,800円とガソリン代600円を足せば15,000円にもなる。羊羹の代金に経費を加えると23,700円、1本当たり1,580円だ。一人5本じゃ割が合わん! 鍋釜(なべかま)増やしてもっと沢山造れ!)
(これだけの犠牲に見合うほど美味いのか? 家に帰ったら早速
1本喰ってやる、不味かったらタダじゃおかねー!)
 早呑み込みは棚に上げ、それも奥のほうへ押し込んで身勝手に怒り、ミミッチイ計算までした。1本喰えばまた不足が出るが、そんなことは念頭にない。
 しかし、店側としては、一日150本が精一杯なので勘弁してくれと貼り紙をしている。1580円という値段も安い。虎屋の羊羹だとこの何倍もする。朝早く列を作るのは客の勝手なのに、無駄な行列をさせないように整理券まで配っている。そういう配慮に気づく心のゆとりがなかった。

 五時を回ると空がかなり白んできた。あちこちでうたた寝が始まり、女房殿も娘も抱えた膝に頭をつけて眠り始めた。
 整理券まで三時間半……。尻が痛い。家では同じ場所で何時間でもゴロゴロしておれるのに、どうにも身の処し方がない。
 ボクはヒューマンウォッチングをすることにした。

 足慣らしを装ってブラブラと通りを往き来し、遠目横目に視線を行列へ走らせ、一人一人の風体(ふうてい)を確かめながら人数を数えた。二十三人……。確かに出足が遅いようである。路上の座り行列は五時四十分になってやっと三十人に達した。
 分類すると、色艶(いろつや)が良い婆さまと矍鑠(かくしゃく)とした爺さまが十一人、五十代のオバさんとオッさんが九人、三十路四十路のカアちゃんが六人で、二十代は四人だった。
 どうやら大半の方が吉祥寺界隈に住んでいらっしゃるらしい。オバさんとカアちゃんは皆、自転車でやってきた。
 対照的なのはご老人である。爺さまたちがブラブラ歩きなのに比べて、婆さまたちは車で送ってきてもらった人もいれば、五時過ぎにどこからかフラッと現れて嫁と思しきカアちゃんと交代する人もいた。待遇が違う。幾つになっても“男はつらいよ”である。


 辺りが明るくなると俄然お喋りの波が高くなった。
 羊羹屋の前はまるで、長屋の井戸端(いどばた)会議か、「あこが痛い、ここが痺れる」と病気自慢が飛び交う病院のロビーのようになった。ある種のリクリエーションの場なのだ、ここは。
ミネコ婆さまは週に二度はここへ足を運ぶという。常連さんたちはみんな、そうらしい。
 この方々が毎回本買うとしたら週に10本。一人で全部は食べないにしても、毎日本食べ続けたら間違いなく虫歯になる。総入歯で虫歯の心配はないとしても、糖尿病になりそうだ。糖尿は動脈硬化や肝硬変という合併症が怖い。長生きできなくなる。羊羹の食べすぎは健康を害する。
(近頃は「親孝行、したくないのに親がいる」と言うらしいから、送り迎えまでして羊羹屋通いをさせるのは……。さては、舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)の寿命を縮めるための、息子や嫁の策略か?)
 そんな馬鹿なことまで考える。が、婆さまも爺さまも至って丈夫なご様子で、むしろ元気がないのはオッさんたちである。
 と思っていると、
座り行列の前に、七十過ぎの爺さまが忽然(こつぜん)と現れた。如何にも人の良さそうなご面相をしていらっしゃる。爺さまはふわふわ歩いて行列の一人一人に声をかけて廻った。ボランティアの仕切り屋さんらしい。
 その爺さまがボクの前は素通りして女房殿と娘に話しかけてきた。
「初めて来たんです」と娘が言うと、整理券を配る時に注文の本数と包み方をきかれることを教えてくれた。1本ずつでもちゃんと包んでくれるから……」と懇切丁寧(こんせつていねい)に説明してくれる。それが終わると爺さまは、「後ろの方で折り紙教室が始まっているから習って帰ればいい」と娘にすすめた。
 娘が生返事をしていると、トコトコ列の後ろへ行って来て、折り終えたばかりの箱鶴を一つ持ってきてくれた。
 この爺さまによると、『小ざさ』は家族だけで営んでいる店らしい。早朝の三時から全員で羊羹づくりに精を出すが、出来上がりは八時を過ぎる。八時半に整理券を配り、そこで確かめた内容に従って大急ぎで包装をする。だからどの作業過程でも誰か一人が抜けると開店に間に合わなくなる。評判が高くなってからも決して奢(おご)らず欲張らず、自分の流儀を守っているのがここの店主の善いところだ、と強調した。
 柔らかな物腰で語り口も実に穏やかで、笑顔を絶やさない。いやはや立派な御仁(ごじん)である。たとえ百歳になってもボクにこのご老人の真似はできんな、と感心しているうちにまた一時間が経過した。整理券まであと一時間半。気持ちが少し明るくなった。

 『小ざさ』の前の通りは通勤路でもある。
 六時を回るとポツポツ駅へ向かう人たちが現れ、七時を過ぎると駅へと急ぐ人の流れが激しくなった。あちこちで商店のシャッターが上がり、隣りの惣菜屋ではおでん種の仕込が始まった。さつま揚げの香ばしい匂いに鼻がピクつき、生唾(なまつば)が出る。

「買って帰るか?」と言うボクに女房殿は聞こえない振りで応え、代わりに娘が「またお酒を飲もうと思って……」と睨みつける。くわばらくわばら。ボクは首をすくめて逃げ出し、駅の売店まで行って朝刊を買ってきた。
 紙面に眼を通しながら行き交う人をチラチラ観る。ウォッチングの興味はそちらへ向いた。が、しかし……。
 よくよく考えてみると、ウォッチされているのは路上に敷いた段ボールに漫然と座っている自分たちの方である。
 羊羹行列なのだと知らない者の眼には間違いなく奇異に映る。外国人の眼には多分、ホームレスが食料を恵んでもらうために朝早くから惣菜屋の前に並んでいると映る、何せ羊羹屋はまだ閉まっているのだから……。
 その外国人が、初めて来日した三流タブロイド紙の記者だったりすると最悪である。彼は「トーキョー郊外のキチジョウジ・ステーション前のショッピング・アーケードにあるデリカショップ・オーナーは、毎朝大勢のホームレスに“愛”と“生きる糧(かて)”を施している。ペリーの黒船来航から百三十年、極東の島国でもイエス・キリストの隣人愛は根をおろしている」とかなんとか、無責任なボランティア賞賛の記事を書きかねない。

 路上に座っていると、視線が自然に目の前を行きかう人の足元へ向かう。見上げると疲れるから首が垂れる。背中も丸まる。その姿を歩きながら眺めると、多分、生気を失っているように見える。
 目線の違いは見る側と見られる側の立場の違いを生み、互いの心理に少なからず優劣の感情を芽生えさせそうだ。
(他人の眼を気にかけなくなったらどうなるのだろうか、そうせざるを得なくなったらボクもきっと変わる、バブルが弾けた後の企業倒産やリストラが失業者をどんどん増やしている、ホームレスになるならまだしも自殺者が急増している、それにしても今の日本は問題が多すぎる……)などと、日ごろは滅多に考えないことを考えていた。さっき読んだ新聞のせいである。横着なくせに周囲の物事に影響され易く、考え始めると段々大袈裟になるのもボクの性癖である。


 午前八時半。白い仕事着をまとった若女将風の女性がシャキッと現れた。痩せぎすだが笑顔が爽やかだった。腰を折り丁寧な言葉でテキパキと注文を聞いていく。 ボクは彼女の立ち居振る舞いに好感を持った。
(例のご老人から聞いた『小ざさ』の経営方針がこの人に表れている……)
 ボクはいたく感心した。つい先刻まで、もっと早く整理券を配れ、不味かったらタダじゃおかねー、と散々悪態を吐いていたことなど忘れている。すっかり忘れてこの羊羹屋のファンになっていた。
 上機嫌に羊羹15本を注文し、「十時過ぎに伺いますからよろしく!」と、言わずもがなのことを喋って周りの人に笑われてしまった。

 正午前に家に帰り着いたボクは、この半日の記憶を辿った。時間の経過とともに変化していった自分の心の様相が実に興味深かった。
 その記憶を辿りながらボクは、意地汚くも、品のよい香りのする甘さをおさえた羊羹を頬張った。

「食べたらいけないんじゃないの?」
 女房殿の視線が白い。にもかかわらず、
「いいんだよ、1本くらい」とボクは無責任に答え、
「あれだな。“小ざさ”の羊羹は、やっぱり弟が買ってきたのに限るなッ」とうそぶいて目を細めた。
 やはり、小人(しょうじん)と怠け者は救い難い。                                       [平成十年八月]