ぐうたら備ん忘録 17 逝きし友を偲ぶ
「都筑ぃ。みんな、あなたのこと、心配していたよ」
去年の十一月二十七日、首都圏に住んでいる大学同期生の忘年会が鶴巻温泉であった翌日の午後、『モーレン潰瘍』を患っている左眼の状態が芳しくなくて参加できなかったボクに、鬼さんが電話をかけてきてくれた。
鬼さんというのは、同期会の世話役・MN君のことである。互いの住まいが近いこともあって呑兵衛仲間でもある。
彼は池波正太郎作『鬼平犯科帳』の愛読者で、もう四度も繰り返して読んでいる。小説の主人公・火付盗賊改方長官『長谷川平蔵』は、極悪非道な盗賊たちを容赦なく斬り捨てることから『鬼の平蔵』と呼ばれ恐れられているが、決して人は殺めない一人働きの小悪党は懐深く抱いて更生を促がす、情の人である。池波さんが描いた一人の武士の生き方に強い共感を覚えていた彼は、自らを『鬼平(オニヘイ)』と称し、一歳年上の彼をボクは「鬼さん」と呼んできた。
「ありがたいね、俺みたいな変わり者でも心配してくれる仲間がいるんだから」
「宴会が始まってすぐに、わたしがあなたから聞いていたモーレン潰瘍のことを話したら、目の病にもそんなひどいのがあるのかって、みんな驚いてね。都筑も物が書けないのじゃ辛いだろうって、同情しきりだったよ。でもその後は例によって呑んだくれてベロンベロン」
鬼さんはボクと違って紳士である。自分を「わたし」と表現し、相手に「あなた」と呼びかける。ガラッパチで少々下品なボクの背中がこそばゆくなるほど、いつも丁寧な話し方をする。
その鬼さんが、一月二十七日土曜日に急逝した……。
二日後の一月二十九日午前十時。呑兵衛仲間の『塩ジイ』ことHF君がそのことを知らせてくれた。ボクはすぐに鬼さんの自宅に電話をしたが、奥さんは他出中で娘さんが電話口に出た。
娘さんの話では、年末に体調を崩した鬼さんは、床に伏せりがちな日々を過ごしていたようで、医者も原因を特定できなかったらしい。そして、二十七日未明の午前三時頃、家族に「呼吸が苦しい」と訴えて救急車で病院へ運ばれたが、病院へ着いた時にはすでに心肺停止の状態だったという。救急医の懸命な措置で一時は心臓が鼓動を回復し危地脱出の期待を抱かせたが、午前十一時過ぎに息を引き取って旅立った、とのことだった。
ボクは弔意を述べようとしたが、胸が締めつけられ喉が詰まって、いつもおしゃべりな口から言葉が出てこない。やっと一言「いい男でした」と声を搾り出したボクに、娘さんは涙声で「ありがとうございます。父も喜んでいると思います」と応えてくれ、「おからだを大切になさってください」とボクを気遣ってくれた。
その後急にモーレン潰瘍を患っている左眼が痛み始め、ボクは痛み止めを服用してベッドに入った。そして、知らぬ間に眠りに堕ちて夢を見た。夢の中のボクは鬼さんの霊前で弔辞を述べていた。が、涙があふれ出て言葉を発することができない。人目も憚らずにおいおい泣き、次第に大きくなって耳をつんざく自分の泣き声に驚いてボクは目覚めた。
その夜に通夜、翌三十日午前に告別式が営まれたが、ボクはそのどちらにも参席しなかった。体調も優れなかったが、彼の死に顔を見るのが怖かったし、彼が亡くなったということを事実として認めたくなかった。
大学時代の鬼さんとボクは、同じ学部で学んでいながら、互いに面識がなかった。学科が違うと学生同士の交流がほとんどなかったからである。
ボクが初めて鬼さんを知ったのは、大学を卒業して二十年後、外資系企業に勤めていたボクが東北六県の営業を任されて仙台へ赴任していた頃だった。
ある日、「あなたと大学同期のNだけど憶えてくれているかな?」と電話がかかってきた。その時ボクは別のN君の顔を思い浮かべていた。
「ああ、憶えてるよ。それにしても大学を出て以来だよな。今、どうしてるの?」
「横浜で小さな港運会社をやっていてね。その関係でわたし今、仙台へ来ているんだ。三時過ぎに仕事が終わるから、後であなたのところへ寄せてもらってもいいかな?」
「勿論だよ。是非立ち寄ってくれ、俺も今日の仕事を済ませとくから」
そして午後四時過ぎ。鬼さんは部下を一人伴ってボクのオフィスに現われた。その彼の顔を見てボクは内心うろたえた。思っていたN君ではなかったからである。
しかし、憶えていると答えた手前、今更「あんた誰?」とは聞けない。ましてや部下を連れてきている彼に恥をかかせる訳にはいかないし、ボクが小さな失敗をすると喜ぶ秘書が聞き耳を立てている。ボクは、「やあ、本当に久し振りだねえ」と、さも懐かしげに振る舞った。鬼さんも「あなたがこっちの支店長をしているって聞いたものだから、会いたくなってね」と話を合わせ、小一時間ボクの部屋で談笑した。
オフィス近くの小料理屋で食事をとると、彼は部下を先にホテルに帰した。そして、鬼さんとボクは東北一の歓楽街・国分町にあるボクの行きつけのバー『OLD DOG(都筑のおすすめサイトにHPをリンクしてあります)』へ移った。そこで改めて互いの自己紹介をしたという、今思い出すと頬が緩む、滑稽な出会いだった。
その後鬼さんは、東京で同期会がある度にボクに声をかけてくれ、ボクが子会社の経営再建を委ねられて名古屋へ異動した時にも訪ねてきてくれた。勿論、名古屋の歓楽街・錦三丁目の綺麗なおネエちゃんがいるバーで痛飲した。そのバーには欧州人ホステスが何人もいたから鬼さんはご機嫌で、カタコト英語を駆使して楽しんでくれた。
ボクから見た鬼さんは、とにかくコマメで世話好きだった。そしていつも誠実だった。ボクが会社を早期退職してからも頻繁に誘ってくれ、お陰でボクは多くの大学同期の仲間と再会を果たすことが出来た。二人だけの時は大抵、横浜の関内か馬車道の店で一杯やってから野毛のスナックでカラオケを競った。ボクらは互いに「オニヒラ先生」「ツヅキ先生」と呼び合い、医者と小説家の仲良し二人組という触れ込みで面白おかしい話をして店の従業員を楽しませ、政治や経済、人生観についても、互いの意見を交換した。そうしてボクらはいつの間にか腹を割って話せる間柄になっていた。
鬼さんはキリスト教系のある新興宗教の熱心な信者だった。初めのうち彼はボクにそのことを隠していた。が、ある日打ち明けてくれた。
鬼さんは、教義自体は素晴らしいのに教団の行動に問題があると思っている様子だった。だからなのだろうが、彼は決してボクや同期の仲間を彼の宗教に勧誘しようとはしなかった。その友情を重んじる姿勢をつぶさに見て、ボクは彼への信頼を厚くしていった。
鬼さんの信仰は、そもそも、彼が大学時代に「原理研究会」なるものに魅かれたことがきっかけだった。当時は学生運動が盛んな頃で、反体制を唱える連中がもてはやされた時代である。その頃ボクは連中から反動学生と攻撃されていた。
そうした時代のうねりの中で、純粋な心を持つ彼は宗教的人間原理の世界に惹かれていった。そして大学三年の時に入信して、大学を中退している。つまり、鬼さんは大学を卒業していない。だからかも知れないが、同窓・同期ということに思い入れが強かったようである。その彼が、三年ほど前のある日、ニヤニヤしながらボクに言った。
「都筑、あなたも喜んでくれるかな? わたしね、やっと大学を卒業できたよ」
長年ボクらの同期会の世話役を務めてきた彼の名前を同窓会本部が同窓者名簿に卒業生として掲載したとのことで、「卒業証書はないけどね」と苦笑いしながら、鬼さんは白髪頭の四角い顔を輝かした。よほど嬉しかったらしい。
また、別のある日、鬼さんはボクを前にしてボソッと呟いた。
「若気の至りだったんだろうね」
はっきりとは言葉にしなかったが、自分の信仰のことを言っている口振りだったから、ボクはこう答えた。
「誰も過去には戻れないよ、鬼さん。今日から先のことを考えればいいんだよ」
鬼さんはボクの顔を見て寂しそうに笑ったが、気を取り直したようにこう返した。
「都筑と話していると元気が出るよ。それに、わたしは家内や子供たちを心から愛している。そのことに嘘や偽りはない。あの人たちのためにも精一杯頑張って生きていくよ」
そう言った鬼さんがくれた今年の年賀状には、「お互い健康を回復し、また会おう!」と、直筆のメッセージが添えてあった。
「鬼平の馬鹿野郎! なにがまた会おうだ! 俺に断りなしに死ぬんじゃねーよ!」
心清らかに生きて鬼籍に入った一人の善き男に、ボクの言葉が届くことを念じて、合掌。
[平成十九年二月七日]
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