都筑大介 ぐうたら備ん忘録10

    強い女の、愛らしい弱さ






 うちの女房殿が親しくさせていただいている方の中に、Aさんという五十代半ばのご婦人がおられる。早くにご主人を亡くされたため、女手一つで二人の息子さんを育て、しかも今どきの若者には珍しいほど「芯が強く清らかな心根」の青年に育て上げたのだから、「ご苦労さまでした」という他にボクは言葉を持たない。

 そのAさんは、ボクたち夫婦がかけがえのない息子を失った七年前に、「もしかしたら息子の後を追うんじゃなかろうか」と毎日ボクがハラハラしていた頃の女房殿を包み込むように受けとめてくれた。女房殿が思ったより早く心の整理をすることが出来たのはAさんのお陰だと、ボクは今も感謝している。

 Aさんは勝ち気な人である。他人は勿論のこと、自分の息子たちにも決して頼ろうとしない。長男が自分の家庭を築き次男も独立した今、Aさんはキュートな愛犬の世話をしながら懸命に働いている。「自分の老後は自分で何とかしてみせる、息子たちの世話になるようなことはしたくない」と、固い決意をしているらしい。この点は、今年八十七歳になったボクの継母によく似ている。

 そのオフクロ殿だが、ボクが「そろそろ俺のところへ来たらどうだい?」と言うと、決まって「いややわ、東京なんか。ウチはここが一番ええねん。あんたの世話になる気はあらへんさかいに、何も心配せんでもええ」と答えていた。

 言葉でお分かりのように、オフクロは関西で一人暮らしをしている。ボクのオヤジが亡くなった時に複雑な事情があって離籍したオフクロは、もうかれこれ五十五年もの長きにわたって現在の場所に住んでいる。だから友人も多いし、そこを離れるつもりはさらさらないらしい。ボクらが二十年前に引っ越してきた「ひなたやまの家」にもまだ来たことがない。なにせ三十四年前にボクが結婚した時以降、関東の土は一度も踏んでいないのである。

 その最初で最後のような東京滞在中に震度4の地震があった。肝っ玉の大きいオフクロも地震は大の苦手だったらしく、顔を真っ青にして床に縮こまって震えた。「あんな怖いところに、あんた、よう住めるなぁ」が、十年前に阪神淡路大震災があるまでのオフクロの決まり文句だった。

 そのオフクロも、寄る年並みに勝てなくなってきたらしい。自分から電話をかけてくることなどほとんどなかったのに、この頃は時々かけてくるようになった。そして、「ウチもトシやな。しんどいわぁ」とぼやく。「それなら俺のところへ来ればいいじゃないか」と水を向けると、「何言うてんねん。まだまだ元気やで、足腰も丈夫やしな」と虚勢を張り、「けど、耳がちょっとだけ遠くなった気がするわ」と正直なことも言う。いつもボクに憎まれ口を叩くオフクロだが「可愛い」、とボクは思っている。

 Aさんもオフクロ同様に可愛い女性だと、ボクは思う。そして、間違いなく二人の息子さんに憎まれ口を利いている、とも思っている。このタイプの人は、「他人様に後ろ指をさされることのないように、弱みを悟られないように」と、いつも気を張って生きてきた習性が、萎えそうになっている心とは裏腹な強気な言葉を口から吐き出させるのだ。そして誤解される。

 そうなると、一人で落ち込んだり、不安にさいなまれたりする。それでも表面上は「凛(りん)」と輝いているように見せるのだから、当人は相当くたびれるはずだ。「お願い、わたしの気持ちを察して!」と心の中で叫んでいるに違いない。

 しかし、仮にそうであっても、本心を自分の口で語ってくれないと、いかに息子であっても理解しがたいのが物事の道理である。ボクは来年還暦を迎えるが、いまだにオフクロの心の内が読み切れないでいる。Aさんの息子さんたちはまだ三十歳前後だから尚更だろう、と思う。

「俺に対してもう少し素直になったらどうだい?」と、しばらく前にオフクロに言ってやったことがある。その時の答えは、
「いけずなことを言う子やなぁ、あんたは……。ウチはいつでも素直やないか。あんたの方がひねくれてんのとちゃうか?」だった。
 どこまでも突っ張るのである、そこがまた可愛いのだが……。


 その意地っ張りが先日、「ウチが死んだら、あんた、ちゃんと墓参りしてくれるやろな」と気弱なことを言った。六年前には「墓守りもお経もお寺さんにあんじょう頼んであるさかいに、あんたは何もせんでええからな。墓参りもしてくれんでもええよ、遠いしな。ウチは自分の墓の中で一人、ゆっくり眠りたいんや」と言った翌月に大枚をはたき、本当に自分一人だけが入る墓を生駒山の麓に造ってしまったことを思うと様変わりである。

 いくら強くても、どんなに気丈であっても、年齢とともに誰かにすがりたい気持ちが湧いてくる。一人暮らしをしている場合、その寂寥感は測り知れない。募る寂しさをエネルギーに換えて生きていかなければならないとなれば、元々の強情な性格と身に着いた習性がなせるわざであっても、いつか心が悲鳴を上げる。

 だから、ボクのオフクロやAさんのような「強い女」の周囲にいる者は、いつも当人の「弱くて可愛いところ」を見つめていなければならない、とボクは思う。そうすればきっと、当の本人がいつまでも「強い女」でいられるはずである。

                                         [平成十七年五月]