都筑大介 
危険水域


      連載第二回 披露宴





――昭和五十八(一九八三)年二月初旬。
夜明け前に降り始めたその冬何度目かの雪は、鉛色(にびいろ)の空を舞い落ち、この日もまた、都会に林立するビルからその谷間に吐き出された人々の営みの汚れを覆い隠した。
 その日の午後。凍てついた都心の、皇居に近いホテルの一間で華やかな結婚披露宴が行われていた。一三〇名ほどの列席者の半分は若い男女だが、新郎新婦それぞれの来賓席には恰幅のいい年配者たちが猪首の上にいかにも儀礼的な頭を載せて並んでいる。三年前に父の源七郎から社長の座を譲られた山本恒彦は、その新郎側来賓席の後ろの方に座っていた。
(招かれたのが俺じゃなくて親父だったら、もっと上座だったろうな……)
 山本はそう思った。が、新郎の父・村上善太郎の特異な性格を承知しているだけに、席次そのものに拘りはなかった。
 村上善太郎は、街角の小さな蒲団(ふとん)店を一代で年商二十五億円の中堅寝具問屋に育て上げたやり手で、もうじき七十に手が届くとは思えないほど偉丈夫(いじょうぶ)だった。都内のデパートに寝具を納入するだけでなく、近頃は訪問販売と通信販売の分野への進出も果たしている。新婦の父の杉田良造は、中野・杉並地区を主な営業基盤とする信用金庫の理事である。
 来賓のスピーチはすでに八人が立ち、両家に型どおりの祝福を述べていた。
「それでは次に、新郎が取締役管理部長を務めております村上商事とのお取引が長く、また新郎とも親しくお付き合いいただいております株式会社山本鉱油の山本社長様からお言葉を頂戴したいと存じます。山本様は、創業を江戸時代に遡る名家の当主であられまして、村上商事本社近くの御本店をはじめ、都内に四軒のガソリンスタンドをお持ちです。山本様、それではよろしくお願いいたします」
 司会の青年に促された山本は、他の来賓と同じように、慣用句を並べたお定まりの祝辞を短く述べてマイクを返した。
 が、しかし、席次の決め方といい進行といい、この披露宴には妙に落ち着けないバランスの喪失感が漂っているのを感じていた。新郎側には村上商事の主要な取引先がずらりと並び、新婦側には金融関係の人々が列席している。しかし、村上商事の重役たちは、専務も常務も誰一人としてその姿がない。まだ三十半ばの長男一善を自分の後継者と認めさせたい村上善太郎の気持ちは理解できないではない。しかし、敢えてそうまでする意図は何なのか、第三者の冷静な目には奇異に映っているに違いない。

 二時間余りの披露宴が跳ねると山本は、日本橋室町のとある古びたビルに立ち寄った。そこは、江戸は文政の中頃から昭和の大震災をくぐり抜けて綿々と商いを続けてきた、山本鉱油の前身である薪炭問屋「山源」の本店跡だった。東京空襲で一度焼け落ちたのを再建したものの、昭和三十年代の初め、先細りとなる薪炭卸の仕事に見切りをつけた父親が阿佐ヶ谷でガソリンスタンドをはじめる時に他人の手に渡された。山本がその「山源」本店跡を訪れたのは往時を懐かしむためではない。跡地に立ったビルの一室に、山本の大学時代からの親友である宇野裕一が公認会計士事務所を開いていた。宇野は山本鉱油の会計顧問でもある。
 山本鉱油は創立以来今日まで、一度たりとも赤字を計上したことはない。それが、山本が父の跡を継いで三年目の昨年度、第二十七期の決算は赤字転落を免れ得なかった。宇野から手渡された決算書類をめくりながら眉間に皺を寄せた山本は、書類を閉じて眼を瞑(つむ)った。すると披露宴の席で破顔一笑する村上善太郎の顔が浮かんだ。
(順調に、すべてが自分の思い通りに運んでいる経営者の顔だったなあ)

 羨望と弱気の虫にとり憑かれそうになっていた。山本は慌てて村上善太郎の脂ぎった顔を意識から振り祓い、宇野に尋ねた。
「専門家の目から見て、うちの決算をどう思う?」
「なんだって?」
一瞬訝しげな眼差しを向けた宇野は苦笑いをした。
「山本。お前さん、今日はどうかしてるんじゃないのか? 今の質問は一人前の経営者がする質問じゃないよ。ま、それはいいとして、世間一般と比べれば、山本のところの経営状態はそれほど悪いとは言えないだろうな。しかし、率直に言って、五年前と比べると体質そのものが悪化してるのは事実だ。とくに今回の決算の中味はちょっと不可解だな」
「不可解、というと……」
「原価率が年々高くなってる。それに金融費用が相当高い水準にあるな」
 山本は去年の価格戦争を苦々しく思い出していた。
 昭和五十四年(一九七九)の第二次石油危機後しばらく安定していたガソリン市況は、山本が社長に就任した翌五十五年から徐々に軟化をはじめ、昨五十七年には春から夏にかけて大いに乱れた。秋口になって市況是正の動きが石油商組合だけでなく元売側からも出てきて多少は持ち直したが、かといって価格戦争の根本的な原因がなくなったわけではない。
「もう一つ。四つの店をこの二三年の数字の推移でそれぞれ見ていくと、油種別の販売量や総粗利の伸びは荻窪店が非常にいい。本店は横ばいだが、あとの二店は経費の上昇に利益が追いついていない。本社勘定分も含めてもっと細かく分析してみると別の要因が出てくるかも知れないけど……。いずれにせよ、高円寺と高井戸の店の収益改善が急務だな」
 宇野の言うところはもっともな指摘だった。山本自身も、しばらく前から、荻窪店以外は軒並み店頭から活気が失われていることに気づいていた。
 宇野の事務所を出た時にもまだ雪は降り続いていた。山本を乗せたタクシーは暮れなずむ冬の街へ走り出す。路面にはいつしか五センチほどの雪が積もり、夥しい街の灯は赤く青く滲んで見えた。

 山本が阿佐ヶ谷の本社事務所に帰り着くと、社長室のソファにからだを沈めた父が待っていた。

 父の源七郎は今年、喜寿(きじゅ=数え年77歳)を迎える。彼が三十一歳の時、日本は盧溝橋事件を発端に日中戦争に突入した。その年の正月に、減七郎は十歳年下のツネを娶(めと)った。当時としては遅い方の結婚だったが、その年の内に長男を授かった。それが恒彦である。源七郎はその後まもなく陸軍に召集されて前線に送られた。戦地を転々とする間に病を得て本国送還となり、太平洋戦争の最中に除隊となった。そのためかどうか、恒彦のほかに子供はもうけていない。
 山本はブリーフケースから決算書を取り出して父の前に広げた。それを源七郎老人は鼻に載せた眼鏡でしばらく見入った。山本は、通信簿を親にじっくり吟味される小学生のようで落ち着かない。喉の渇きを覚えた。
「リョウちゃん、お茶をもう一杯くれないか」
 会社の事務は従妹の山本涼子が担当していた。一度結婚に失敗した涼子は、今年三十一歳になるが今のところ再婚する意思はなく、もっぱら従兄の仕事を手伝うことに精を出していた。
 涼子は白い湯気が立ち昇る熱い湯飲みを二つ、盆に載せて運んできた。
「社長。ついさっき、島崎所長から電話がありましたのよ」
「島崎から? 荻窪で何かあったのかな?」
「さぁ、それは……。でも、ちょっと沈み加減の声でしたわ。社長は何時に帰社の予定かって聞かれましたけど……」
 いたたまれない気持ちでいた山本は、「ちょっと行ってみるか」と腰を上げようとした。しかし、立ち上がったのは父の源七郎の方が先立った。
 鼻眼鏡を畳みながら、「恒彦。そう焦ることもない。市況さえ落ち着けば元に戻る」と静かに言い残し、会社の裏手にある自宅へ戻っていった。

 焦るな、と父は言った。が、自分が社長を継いでまもなく創立して以来初めて赤字決算をする山本にしてみれば、やはり心中穏やかではない。また、会社の現状は父の認識以上に厳しい状態だと思っていた。不安と焦燥に駆られるこの気持ちを鎮めるためにも、今自分が最も信頼している荻窪営業所の島崎と話したかった。
 荻窪に電話を入れると、島崎は「一時間後には本社に立ち寄れると思います」と答えた。彼の方にも山本に話したいことがある様子だった。

 午後八時……。
 涼子も帰り、一人になった事務所の窓から眺める街路には雪が降り積もり、時折タイヤチェーンの音を響かせる車の影が横切って行った。
 社長室に戻って、改めて決算書を眺めつつ様々に思いを巡らせて小一時間、山本の耳に階段を上がってくる靴音が聞こえた。



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