プロローグ 居酒屋やすこ

――果敢に逃げる武豊のトゥザヴィクトリーの離れた二番手にアメリカンボスがつけています。直後にテイエムオーシャンとメイショウドトウが続いて3コーナーを廻り4コーナーへ。八冠馬テイエムオペラオーは馬群の中央で満を持し、マンハッタンカフェがその後ろで脚をためている。ナリタはどこだ? いたいた、トップロードはマンハッタンのさらに後ろにいた。この位置取りで間に合うのか?
――早くも後続グループに鞭が入って馬群は直線を向いた! ゴールまであと310m。いよいよ高低差2.3mの急坂に差し掛かります。逃げるヴィクトリーにアメリカンが迫る、ドトウが来る、オペラオーが来る! おおーっと! 馬場の真ん中からマンハッタンがもの凄い脚で伸びて来たぞ! ヴィクトリーとアメリカンを一気に交わして先頭に立った!
――ドトウが追う、オペラオーが追う、トップロードはまだ馬群の後ろだ! 内のアメリカンが粘っている。しぶといぞ! このまま粘り切るのか? 来た、来た、外からドトウが来た! しかし、間に合いそうにない! オペラオーはどうだ? 脚色がおかしい! どうしたオペラオー、オペラオーは伸びませ〜ん!

 平成十三(2001)年暮れの『有馬記念』は、菊花賞を勝って直行した三歳馬マンハッタンカフェがテイエムオペラオー・メイショウドトウ・ナリタトップロードの五歳三強をねじ伏せ、しかも最低人気の六歳馬アメリカンボスが2着に逃げ粘ったことで、馬連の配当金が48,650円という大波乱になった。このレースを一点予想で見事に的中させた女性がいる。ひなたやま商店街の近くで『やすこ』という小さな居酒屋を営んでいる立花泰子(たちばなやすこ)がその人である。が、彼女に特別な博才(ばくさい)があった訳ではない。秋口に世界中を震撼させた、アメリカでの同時テロ事件の記憶がまだ生々しい頃であり、彼女の脳裏にはハイジャックされた旅客機がニューヨーク州のマンハッタン島にある世界貿易センタービルに突っ込んだ光景が鮮明に残っていた。それで選んだ2頭が彼女の五百円玉を福沢諭吉さん二十数枚に化けさせたという次第である。
 思いがけない幸運を手にした彼女は、暖簾をたたむ十二月二十七日を『お一人様五百円で飲み放題・食べ放題!』のお裾分けの日とした。タダにしても構わなかったが、それではかえって客に失礼にあたると考え、「五百円玉の幸運が皆さんの上にも……」という思いでそうした。このご時世である。噂を耳にしたノンベエたちがカウンター席が七つだけの小さな店に後から後から押しかけ、競馬にまったく関心の無い連中までが競馬談義に花を咲かせ、立ち飲み客が寒風吹きすさぶ店外へ溢れ出るほどの盛況になった。その喧騒とアルコールをたっぷり含んだ吐息が充満する中、妙にしんみりした男四人が奥のカウンター席に固まっていた。一人は涙目になっており、もう一人は指を小刻みに震わせ、あとの二人は魂が抜け落ちたような顔つきをしている。周囲に弾ける笑いをよそに、しみじみと、四人は額(ひたい)を寄せ合って熱燗徳利を傾けていた。

 横浜と川崎の市境にゆるやかな丘陵が続いているところがある。ひなたやまと呼ばれているその辺りは呼び名通りに陽あたりがよく、電車の駅から遠いのが不便といえば不便だが、緑豊かな田園風景があちこちに残る爽やかな土地である。集落の中心を南北につらぬくバス通りを挟んで商店が軒を並べ、その後ろに平屋や二階建ての小さな住宅が群がっている。背の高い建物はない。商店が途切れる南の端から西へ足を向けると旧い分譲住宅地がある。その東南の角に居酒屋『やすこ』はあった。

 立花泰子がこの店を開いたのは五年前の師走である。彼女はその二年前に夫を亡くしていた。贅沢(ぜいたく)さえしなければ人並みの生活は出来る遺産があったとはいえ、亡夫の影を慕いながらひっそりと暮らす日々は寂しく味気ない。三回忌法要を終えてまもなく彼女は一念発起した。自宅を改造して居酒屋を始めることにしたのである。“好きこそものの上手なれ”と言うが、若い頃に料理学校へ通って習ったものに自分なりの工夫を加えて夫の舌をうならせてきた。レパートリーも幅広い。その腕が活きる、と思った。カウンター席が七つのこじんまりした店だったが泰子にはそれで十分だった。宣伝の類いは一切しなかったので年が明けてもしばらくは閑古鳥(かんこどり)が鳴き続けた。しかし、桜が散り若葉の緑がまぶしい頃になると、お惣菜の美味さや泰子の慎ましく温かい人柄が口の端に乗り、常連客も少しずつ増えはじめた。値段の安さも魅力のひとつだった。ビールや焼酎・日本酒などアルコール類がそれぞれ三百円、お惣菜もすべて一皿三百円。お客にすれば夏目漱石さんが一枚あれば事足りる。二枚もあれば舌を喜ばせたうえに酔っ払える。福沢諭吉さんは勿論のこと、新渡戸稲造さんがお留守でも心配はない。だから、まずはアパート暮らしの独身サラリーマンや学生たちがちょくちょく通い始めた。次いで商店の旦那さんやご隠居さんたちが顔を見せてくれるようになり、夏が過ぎ野山が色づく頃には客足が途絶える日はほとんどなくなった。気がつくと五年の歳月が流れていた。

 居酒屋『やすこ』の常連客の中に、ひなたやま四天王を自称している、滅法競馬好きな四人組がいる。が、四人とも小遣いの工面に四苦八苦している身である。大きくは賭けられない。それだけに夏目漱石さんを大枚の福沢諭吉さんに換えようと血眼になっている。とはいっても所詮は下手の横好き、当たり馬券を手にした話はついぞ聞かなかった。それでも一向に懲りる様子はない。よく言えば一途なのだろうが、家では揃って不良亭主扱いされている。四人組の中で最も若いのが老舗豆腐店四代目の白壁凡平(しらかべはんぺい)、三十七歳。店でつくる豆腐と同じ生白い顔を突き出して呑気なことばかり言っている。次が四十二歳で厄年の蔓野鶴雄(つるのつるお)。理容室ツルノの婿養子だが、舅と姑に気を遣いすぎたせいですっかり髪が薄くなっている。ピント外れで唐変木(とうへんぼく)なところとバーコード頭が客に優越感を与えるらしく家業の方は至って順調である。続いて自称小説家の樺山次郎(かばやまじろう)、五十歳。他のお客の会話にも図々しく割って入る悪い癖のあるへそ曲がりで、屁理屈をこね始めると際限がない。文才より我の強さの方に一目おかれている。そして最年長が六十一歳の讃岐金之助(さぬききんのすけ)。年金暮らしに入って間のない元小学校長だが、教育者だったとは思えない曲者で、最近は競馬資金稼ぎのために教育委員会の仕事を無理やり手伝って迷惑がられている。年の瀬の居酒屋『やすこ』でガックリ肩を落としてしんみりと額を寄せ合っていたのがこの四人である。彼ら四人の新世紀初年は、ただの一度もG1レースをものにすることなく終わっていた。

 平成十四年正月七日月曜日。立花泰子が初商いの暖簾を出している背中に靴底をズルズル引きずる音が迫ってきた。振り返ると浮かない顔が四つ並んでいる。輝きのない瞳が年初めの重賞レース『金杯』にも歯が立たなかったことを物語っていた。四人は弱々しく年賀を述べるとそれぞれの指定席に座り、泰子が支度したお屠蘇を立て続けにあおった。
「午年(うまどし)の今年も前途多難ですなぁ」
 浮かない顔のタヌキ、もとい、讃岐金之助がため息を吐いた。
「そうですねぇ……」と気のない相槌を打った床屋のツルが、うなずいた頭からツルッと滑り落ちたバーコード髪をかき上げる。物書きカバは天井を眺めてブツブツと何か呟いている。午年の正月だから……といつもの倍も投資したことを悔やんでいるらしい。極楽トンボの異名を持つ豆腐屋ハンペーだけが妙に明るく屈託がない。
「これじゃあ『四天王がなにしてんのう?』なんて笑われちゃって……。はははは……」
 洒落たつもりの豆腐屋が沈みこんだ空気を白くよどませた。
「くだらねーこと言ってんじゃねーよ」と睨んだカバの口調が弱々しい。「でも、先生。そのう……算数の何とか方程式みたいな、必勝法はないもんですかねぇ」
 ハンペーは思いつくとすぐ口にする。一度呑みこんで考えてみることはしない。だから薀蓄(うんちく)語りが何より好きなタヌキ先生の格好の餌食になる。タヌキの眼がキラッと光った。
「そうですな。そういうのがあると確かに心強いでしょうなぁ。しかしハンさん、方程式は算数ではなくて数学ですぞ。あなた、学校で何を習ったのです? 誰に教わったのです? 許せませんな、その教師は……。そもそも学校教育というものはですな。教師は使命に燃えて情熱を傾け、生徒は真剣に耳を傾け、基礎をきっちり固めることから始めて……」
 真顔になって話し始めたタヌキの薀蓄は、放っておくと短くても三十分は続く。
「まあまあ、先生。こいつは何を聞いても右から左に抜けるんだから、そのへんにしときましょうよ」とカバが慌ててタヌキのブレーキを引いた。が、そのカバの口が滑った。
「ハンペーの言う必勝方程式までは無理でしょうけど、この際、俺、出来れば二回か三回に一回は、せめて五回に一回は勝てるような何かを考えてみますよ」
 “口は禍(わざわい)の門”とはよく言ったもので、うっかりしたことをしゃべると思わぬ災難が待ち受けている。(競馬に必勝法なんかあるはずがねーじゃねーか、あるなら皆が大金持ちになっているよ、そんな研究は時間の無駄だぜ……)と、本心ではそう思っているカバは内心慌てた。しかし、“時すでに遅し”、曲者タヌキも唐変木も極楽トンボも目を輝かせた。
「カバさん、それ、お願いだよ。オレ、いっぱいお礼スッから」
(豆腐屋の馬鹿野郎が……。そんなのやっぱり無理だからやめといたら?とかなんとか、なんで言わねーんだよー!)
 罵声が喉元まで出かかったが、カバは意地を張った。一度口に出したことを引っ込めては男の沽券(こけん)に関わる。
「よしっ、俺に任せとけってんだ! けどな、ハンペー。お前、まさか油揚げやガンモドキをいっぱいくれるってんじゃねーだろうな」
「おっ、当ッたりー! さすがは物書き、カバの旦那は人の心が読める」「何ほざいていやがんだ。お前のプレゼントはいつでもそれじゃねーか」「だってオレ、豆腐屋だもん。しょうがないじゃん」
「カバさん、うちの割引券はダメ?」
「あのな、ツルちゃん。そいつは腕のいい床屋の言うことじゃねーのか? 言うに事欠いて冗談がきつ過ぎるぜ。何か他に考えつかねーのか」

「そう言われてもねぇ。皆さんよく知ってるでしょうが、僕が競馬資金作りにどれだけ四苦八苦しているか。お舅さんは厳しいし、お姑さんは怖いし、奥さんだって冷たいんだよ」
「ツルさん、ハンさん。カバさんは何もあなたたちからお礼をもらいたくて必勝法を考えようと言っている訳ではありませんぞ。人間心理を小説に描く緻密な頭脳の、ホンの一部を働かせてみたいと思っただけなのですから。そうですな、カバさん」
 タヌキは「あなたたち」と言った。自分は最初から礼などする気はない。後輩が先輩に尽くすのは当然だと思っている。が、そんなタヌキの心のうちに気づかないカバは喜んだ。
「いやぁ、さすがにお見通しですね。やっぱり先生にはかなわないなぁ、あははは……」
 カバはブタと大差ない。おだてられると木に登るし、断崖絶壁にだって登りかねない。見掛けよりずっと単純なのだ。俄然上機嫌になったカバは、「俺、頑張りますから!」と、顔をクシャクシャにしてタヌキにビールを勧めた。
「今日は必勝法完成の前祝いを兼ねた新年会だね!」
 お世辞上手な床屋のツルが更に持ち上げ、カバの研究発表の日は三週間後の月曜日と決まった。

――そして三週間が経った。
 泰子が暖簾を出すや否や、いつもならアパートで自炊している独身サラリーマンと学生が先を争って入ってきた。山崎卓也(やまざきたくや)・加藤幸治(かとうこうじ)・小泉伸一郎(こいずみしんいちろう)の“ひなたやまYKK”にカバの母校である櫻渓(おうけい)大学に通っている西園寺望(さいおんじのぞむ)・鷹司明仁(たかつかさあきひと)・櫛笥琢磨(くしげたくま)の“貧乏トリオ”である。長引く不況の影響で月給は上がらず親からの仕送りが減っている彼らの目的は、勿論“おこぼれ頂戴”に他ならない。
 午後六時。四天王が現れると貧乏トリオがすっと席を立った。学生は社会人に席を譲って壁際に立つのがこの店のルールである。カバが勝手に決めた。そのカバは礼儀正しいこの後輩たちを可愛く思っている。特に雅(みやび)な姓名とルックスが一致しないところが気に入っていた。だからちょいちょい酒や肴を振舞った。
「おっ、いつもながら行儀がいいじゃねーか……。やすこさん、この貧乏学生たちにビールを一本ずつ出してやってよ」
「やったー! ありがとうございます、樺山先輩!」
 無邪気に喜ぶ後輩たちにさも満足げに鼻の穴を膨らませたカバは指定席に腰を降ろした。
「まずは一杯ね、樺山さん……。さ、どうぞ」と女将の泰子がカバのコップにビールを注ぐ。それをゴクゴクッと一気に飲み干したカバはやおら立ち上がって大きな咳払いをした。
 ウオッホン!
 カバは前にもこんな形で作家論をぶったことがある。その時は途中から支離滅裂になり後半はしどろもどろになった。中断するたびに冷酒をあおり、ついにはヘベレケになって床に座り込んで眠ってしまった。その記憶が甦ったらしく、今日のカバは柄にもなく緊張している。そのせいか、頭の悪い政治家のような切り出しをした。
「えー、わたくし樺山次郎は、皆様のご期待に応えるべく、本業の物書きを一時休止し、寝食を忘れ、今日の発表のために努力を積み重ねてきた者であります」
 声が上ずっている。ニヤッと笑った豆腐屋が床屋の耳元に口を寄せて「カバさんの物書きは年中休んでるようなもんだしさ、昨日もおとといも寝食忘れて遊び歩いてたんだよ」と囁いた。床屋は目を細めてさも嬉しそうに笑みを返した。
「その努力の甲斐あって……」
 カバは言葉を呑みこんだ。聴衆の反応がイマイチなのが気になるらしい。皆の顔を見廻すとゴクッと唾を飲み下し、すっと肩の力を抜いた。
「俺、すっげーことを…。競馬の真実つうのかな? 二つ見つけたよ!」
 えっ、エッ、えッ! 皆が驚きの合唱をした。阿吽(あうん)の呼吸である。
 たとえそれが周知の事実であろうとも、カバが新発見だとか新理論だとか言って披露した時にこの合唱を忘れるとたちまち機嫌を損ねる。カバはひっくり返ってバカになる。
「大発見ですな、カバさん」とタヌキがフォローした。が、いささか白々しい。
「わ、分かりますか?」と鼻の穴をピクつかせるカバに、タヌキは大きく首を縦に振る。まだ内容は何も聞いていないのに無責任極まりない。とはいえ、カバに勢いが出た。
「先生、一つ目はですね、“馬も生きもの”ということなんです」
「当たり前じゃん」とタヌキの太鼓腹の陰で豆腐屋が呟いた。カバがキッと睨む。が、今日は瞬間に湯を沸かさず、深く息を吸って続けた。
「やっぱり疲れるんですよ、ひっきりなしに走ってると……。もう嫌だ、走りたくないって馬は言えないからレースで手を抜いて……。足を抜いて……かな? ま、どっちでもいいけど、とにかく態度で示す訳ですよ。上位人気の馬が負けた時によく調教師がコメントするじゃないですか、目に見えない疲れが溜まっていたのかも知れない、って。あれです」
「カバさん、もっと具体的なデータがあるんでしょ?」
「おっ、よく気づいたな、ツルちゃん。あのさぁ、過去三ヶ月間に5戦以上してる馬は用無しってこと。それから、四ヶ月以上の休養明けもダメだな。レース感が戻ってないからオタオタしちまう。人間でもそうだけどさ、長いこと休んでるとボケちまうんだよ」
 うんうんとうなずいている元小学校長の顔を床屋と豆腐屋が同時に見た。「なんだ、君たちは! 私は休みボケなんぞしとらんぞ!」
 当の本人と女将を除く全員が必死に笑いをこらえ、腹をよじらせて涙をこぼしている。
「おめーら、先生に向かって失礼だろうが…」とたしなめたカバがプッと吹き出すのを機にドッと笑いが弾けた。タヌキは仏頂面になって突き出た腹を撫でた。
「それからさ、もうひとつが凄いぞ。“勝負は水もの”だ!」

「それも当ったり前のことじゃん」とハンペーが鼻白む。
「そう思うところが素人の浅はかさ、豆腐屋の朝の早さ、だよ。ハンペー、お前はな、てめーでこしらえた木綿豆腐の角に頭ぶつけて死んじまった方が世のため人のためだぞ。ま、そんなこたぁどうでもいいけど……」
「よかぁないよ」と口を尖らせる豆腐屋を無視してカバは説明を続けた。
 それによると、連対する馬のほとんどが三走前・二走前・前走の前3走で最低一回は勝っているか勝ち馬から2馬身以内に、時計で言うと0.4秒以内に、好走しているという。これと先ほどのデータが連対候補を絞り込む最初のフルイになるとカバは鼻を高くした。
 へえぇぇー! 泰子を除く全員が上半身を後ろにのけ反らせた。あうん、阿吽。
「ずっと取っといた三年分の競馬新聞とデータブックを調べてみたら、何と、連対馬のほとんどは俺の考えた基準をパスしてたんですよ、先生。勿論レースによってパスする頭数は多かったり少なかったりするけど、大抵の場合はその中から1着2着が出てるんです」
「凄い! 凄い発見ですぞ、カバさん!」タヌキが口から泡を吹いた。
 パチパチパチパチ! 狭い通路に立っている貧乏トリオが拍手で大先輩の偉業を称える。つられたYKKもカバを褒め称えた。
「ついでに言うとさ、前3走のどれかが下級条件戦なら2着を0.4秒以上離して勝ってること、格上戦なら勝ち馬から0.8秒以内で走ってること。これが大事なんだな」
 カバの鼻はグイッと天井を向いた。心はすでに成層圏を突き抜けて月(ツキ)の上に立っている。しかし、冷静になってよくよく考えてみると、カバのデータ解析はレース全般の傾向を指摘している訳であって、G1レースにそのまま使えるものなのかどうかがハッキリしない。そこのところをYKK随一の変人・小泉伸一郎が突いた。
「樺山さん、G1は頂上戦ですよね。その上はないし、G2の前走を勝った馬となると数が少ない訳でしょ? G3やオープン特別から来る馬にはノーチャンスなんですか?」
「おっ、シンちゃん、いいとこ突いてくるねぇ。G1を予想する時はちょっと違うんだ。G3・G2・G1の重賞を勝ってるか勝ち馬から0.4秒以内に好走してること、オープン特別で2着を0.4秒以上離して勝ってること。これがスクリーニング基準だ」
 ニヤッと笑ったカバは、またまた鼻をグイッと天井へ向けた。


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