天高く、外れ馬券舞う秋

第15戦 エリザベス女王杯
     (
1110日、京都芝2200m




 名もない市井の研究者が一躍マスコミのスターダムに登っている……。
 ノーベル化学賞を受賞した、島津製作所の研究主任・田中耕一さんがその人である。文化勲章まで貰うことになったものだから、マスコミは
(ことさら)彼を祭り上げて騒いでいる。『ノーベル・サラリーマン』だと書き立てられ、当の田中さんはいささか困惑しているらしい。毎日毎日インタビュー取材をされて「これからどうしたいですか?」などという底の浅い陳腐(ちんぷ)な質問を投げかけられても嫌な顔一つ見せずに、「そっとしておいて欲しい」とか「早く忘れて欲しい」と真面目に答えるものだから、今度は『日本一の癒し系サラリーマン』にされてしまった。
「熱しやすくて冷めやすいのは日本人の特徴だけどよー。酷すぎるんじゃねーか、今のお祭り騒ぎは……」
 カバこと自称小説家の樺山次郎は、田中さんのことに引っ掛けて、天皇賞を外したら途端に姿を消した後輩たちのことを皮肉っている。今夜の居酒屋『やすこ』には貧乏トリオ以外は学生の姿はなかった。
「カバさん、あのマスコミの連中はさぁ」
「ハンペー、マスコミはいいんだ、アイツらも商売だから」
「じゃ、なにが気に入らないのよ?」
「さもしい根性のガキどもだよッ。俺さ、アイツらのコロコロ手のひらを返す態度がどうしても許せねーんだ」
 そばで耳を傾けていた西園寺鷹司明仁櫛笥琢磨貧乏トリオが、オロオロと、互いの顔を見合った。何を言い出すか分からない大先輩である。一時の感情に支配されて、「土曜の夜に限り学生はすべからく出入り禁止にする」とか、突然新らしいルールを決めかねない。しかも一度口に出すと頑として撤回しないから怖い。そうなると、彼ら三人にとっては、臨時収入の道が閉ざされる危機が訪れる。
「けどさ、カバさん。それって普通じゃねーの。ここにいるお兄ちゃんたちは特別に付き合いがいいだけでさ」
 老舗豆腐屋四代目の白壁の言葉に、貧乏トリオは胸を撫で下ろした。多分これで、たとえ“土曜日学生出入り禁止”になっても、三人だけは特別に出入りを許される。
「それとさぁ、あれじゃねーの。今年の女王杯はさぁ、ファインモーションてぇ怪物娘が1頭いるから、『ファインを軸に流しゃいーや』てなもんじゃねーの、連中は……」
 確かに今年のエリザベス女王杯はデビュー以来2着を5馬身以上引き離して勝ち続けている怪物娘の出走に恐れをなしたか、13頭立てという寂しい状態だった。
「このレースは明らかに私向きのレースですなあ。当然ファインモーションから流します」
 タヌキ先生こと讃岐金之助がホクソ笑んだ。
「カバさん、今回ばかりは大本命のファインモーションに逆らってもダメなんじゃないでしょうかねぇ。一週間ぶっ続けで、どの新聞も『ファイン鉄板』と書いてましたし」
 毎日毎日お客のいない時間はスポーツ新聞を読みふけっているツルこと、理容室ツルノの婿養子の蔓野鶴雄がカバのイレコミをなだめるような口調で言った。
「そんなら今日の検討会はヤメにするか?」
 偏屈(へんくつ)物書きはどんな小さなことにでもへそを曲げる。「今回ばかりは逆らってもダメ」というツルの言葉は自分のデータ解析にケチをつけるものだと、勝手に解釈して怒っている。
「カバさん、勘違いはいけません。ツルさんが言わんとしておるのはですな……。カバさんのいつもの卓越したデータ解析の末に指名される、例の“カバさんファイブ”に必ず残ると思われる図抜けた馬が1頭おると言いたい訳です。そうですな、ツルさん?」
「ホントか、ツル?」
「そ、そうですよ、カバさん。先生がいま言ってくれた通りですよ」
「ならいーけどよ……。なんか怪しいけど、ま、そういうことにしといてやるよ。じゃ、そろそろやるか?」
 カバは、タヌキの「いつもの卓越したデータ解析」という言葉に狭小な自尊心をいたくくすぐられている。たちまち相好を崩した。見かけ以上に単純なのだ。
 曲者タヌキがカバを煙に巻いてやっとエリザベス女王杯の検討は始まった。
 初端(しょっぱな)にカバは、いつものカバ流スクリーニングで出走13頭のうち6頭をはじき出した。シルクプリマドンナ・タムロチェリー・ビルアンドクー・ブルーエンプレスの4頭に、なんと人気のスマイルトゥモローとローズバドの2頭もあっさりと“カバファィブ”候補から外したのである。カバは、残る7頭、ジェミードレス・ダイヤモンドビコー・チャペルコンサート・トーワトレジャー・ファインモーション・ユーキャラット・レディパステルをカバ・データの連対条件に照らし合せる作業に入った。
「エリザベス女王杯が古馬混合レースになったのは六年前なんだよ。だから過去六年間の結果をベースに連対した馬の年齢を見るとさ。四歳が6頭、五歳が4頭、三歳が2頭の順になってて六歳以上は用なしだ。そんでもって7頭は皆OK」
 因みに四歳はダイヤモンドビコーとレディパステル、五歳はジェミードレスにトーワトレジャー、三歳がチャペルコンサート・ファインモーション・ユーキャラットである。
「大事なのはここからでさぁ。まずは、芝の2000m以上での連対実績が必要なんだ。そうすると、連対は1800mまでのジェミーが落ちる。次が前2走のどちらかで3着以内という条件で、前2走が10着と6着のキャラットが脱落する」
「すると今回の“カバさんファィブ”は、ダイヤモンドビコー、チャペルコンサート、トーワトレジャー、ファインモーション、レディパステルてことになるね!」
「その通り。ハンペー、お前、ちゃんと聞いてるじゃねーか、今日は……。それからさぁ、あと三つ面白いデータがあるんだ」
「なにそれ? なに、なに?」
「焦るな、ハンペー! “あわてる豆腐屋は稼ぎが少ねー”って、この間言ったばかりじゃねーか。面白データの第一はな。三歳時の桜花賞・オークス・秋華賞で連対している馬が強いってこと。該当するのはチャペル・ファイン・レディの3頭だ。第二は牡馬混合G2の毎日王冠・京都大賞典・札幌記念で好走した馬が強いってことだが、今年は該当馬なし。第三が1番人気か2番人気のどちらかが必ず連対するってこと。今年で言うと1番人気のファインか2番人気のダイヤモンドのどっちかは連対するってことだな」
「そうするとカバさん。ファインをとったらダイヤモンドはいらない、ダイヤモンドをとればファインはいらないってこと?」

「その2頭で決まることもないとは言えないな。俺は片方外すけど、1番人気を」
 その1番人気はファインモーションである。2番人気がダイヤモンドビコー、3番ローズバド、4番レディパステル、5番スマイルトゥモローと続き、カバファィブに残ったトーワトレジャーが8番人気でチャペルコンサートは9番人気だった。
「それではカバさん……。展開予想といきませんか」
「展開は多分こうなるんじゃないですかね」と、カバは次のように予想した。
 ユウキャラットが単騎先行。離れてジェミードレス・シルクプリマドンナ・トーワトレジャー・ファインモーションが先行集団を形成し、ファインをマークするチャペルコンサート・ダイヤモンドビコー・レディパステルが中団、ローズバド・スマイルトゥモローは後方で脚を矯め、タムロチェリーが最後方。向正面までこの隊列ですすみ、3コーナー手前の坂に差し掛かる辺りで馬群が固まってくるが、ユウキャラットのリードはまだ5馬身ある。坂の下りを利用してジェミー・トーワ・ファイン・チャペルが一気に進出してユウとの差を詰めて直線を向き、ダイヤモンドとレディは馬場の外目から追い出しにかかる。脚を矯めるローズはまだ最後方。粘るユウを直線半ばでファインが交わす。そのファインにチャペルが並びかけ、そこにダイヤモンドとレディが迫る。大外をローズが飛んでくるが間に合いそうにないな。ゴール前はファインモーション・チャペルコンサート・ダイヤモンドビコー・レディパステルの叩き合い。「ま、こんなもんでしょう」と締め括った。
「そうすると、カバさんはチャペル・ダイヤモンド・レディってこと?」
「ご名答! ところでハンペー、お前、決めたか?」
「う〜ん」
「カバさん、私は決まりましたぞ。ファインモーションを本命にして、あとはダイヤモンドビコーとローズバド」
「人気上位の3頭じゃないですか。ま、先生らしくていいか」
「カバさん、僕はね、ダイヤモンドビコー、レディパステル、ジェミードレスにします」
「ツルちゃん、それって全部関東馬じゃねーか。あーあ、こいつもそーか。おいハンペー、まだ決まんねーのか?」
「決めたよ、カバさん。オレさ、ファインモーション・レディパステル・シルクプリマドンナの3頭でボックスにする」
「またG1馬3頭か。あーあ、イヤんなるよ、どいつもこいつも……。まともに頭使ってんのは俺ひとりか。おっと、もう一人いるね。やすこさんは決まった?」
「ええ、決めたわ。エリザベス女王杯は女のレースでしよ? わたしも女だし、レディの女王様はダイヤモンドで着飾っているでしょ? だから、わたし、レディパステルとダイヤモンドビコーにするわ」
「レディ、レディ。ダイヤモンド、ダイヤモンド」
 貧乏トリオは繰り返し口早に呟いて泰子の閃きを記憶した。[11月9日土曜日]

 ファインとチャペルが好スタートし内からキャラットが先頭へ。ファイン・チャペルはその直後につけ、2馬身後ろにダイヤモンド・タムロ・トーワが続く。レディ・ジェミーが中団から追い、ローズは最後方で1コーナーを回る。2コーナー手前でトーワが二番手に進出、キャラット・トーワ・ファイン・ダイヤモンド・チャペルの隊列で向正面に入り、スローに流れて3コーナーの坂を上る。下りにかかると中団からシルクが仕掛けレディが続く。坂下で動き始めたファインは4コーナー手前でトーワを交わし、直線を向くとキャラットも交わして先頭に踊り出た。それを追うダイヤモンドが二番手に進出し、外からレディが急追したが、ファインが余裕のゴールインをした。ファインの前を行った2頭が4着5着したように追い込み勢には辛い展開だった。

1着Kファインモーション 
2.13.2 1人気
2着Dダイヤモンドビコー 2.13.6 2人気
3着@レディパステル   2.13.8 4人気

払戻金 馬 連DK 360円/馬 単KD410円/三連複@DK650
      ワイド@D 430円、@K 220円、DK 190


 タンタンタヌキの金之助の快進撃が止まらない。
 エリザベス女王杯も的中させ、この秋すでに4勝目である。馬連の配当が
360円では投資金3,000円に対して儲けは600円、馬券を買うための往復の交通費を差引くと赤字だが、それでも当たりは当たり。タヌキは鼻高々に腹鼓をポンポン打った。
 ワイド430円を五百円券でゲットしたツルと貧乏トリオもこの秋三勝目である。バーコード頭の合間の地肌がツヤツヤしている。
「惜しかったなー!」と歯軋りするハンペーは選んだ馬が1着3着の惜敗、大本命がこけることを期待したカバと“ひらめ)き”の泰子はファインモーションの強さに屈した。
「カバさんのお陰ですよ、馬券をとらせてもらったのは……」
 床屋の婿養子が例によって謙虚にカバのデータ分析を褒めちぎってお酌をした。猪口を差し出したカバの手が誇らしげである。
「けど、あれだね。カバさん方式で絞り込んだ5頭は皆、上へ来るもんな。小遣いがもっとありゃ、あの“カバさんファィブ”をボックスで十点買いてぇとこなんだけどさ、そうも行かねーのが貧乏人の哀しさだな。オレさ、先週までの秋5戦をさあ、5頭のボックスで買ってたらどうなったかを計算してみたんだ。そしたら、五万円の投資で九十九万円の払い戻しだぜ。オッタマビックリさ、菊花賞がデカかったからだけど……。そいでさぁ、オレ、カバさんに頼みがあるんだ」
「なんだ、ハンペー、その頼みてぇのは?」
「あのさ、5頭じゃなくて4頭に絞り込んで“カバさんフォー”にしてもらえるとボックスで買っても六点だろ? そしたらオレさぁ。恥を忍んで千円券を五百円券にしようと思ってんだよ。一回三千円の予算で足りるから……。ねっ、カバさん、カバさんしか出来ないことだからさ。お願いしますよ、カバの旦那、当たったらいっぱい御礼スッから。カバ大明神さま、しがない豆腐屋の切なる願いをどうぞお聞き届けください!」
「よしっ、分かった。次回から4頭に絞り込む。けどな、ハンペー。お前んちの油揚げな、あれ、もうちょっと軽く揚げねーと、もらい手はねーぞ!」
 時の氏神(うじがみ)に祀(まつ)り上げられたカバ大明神は、白髪混じりの口髭を撫でながら悪態を吐いた。が、満面に笑顔である。馬券はとれなくても、今回も“カバファィブ”のうち4頭が上位を独占したことに満足していた。それだけに豆腐屋の提案に異論はない。もうひと絞りすればいいだけだと簡単に考えている。
「もしご希望とあれば、3頭に絞り込んでもいいぞ」とカバは付け足した。
「いやいや、カバさん。まずは4頭から行きましょう」
 やんわりいなしたタヌキ先生はカバの暴走を恐れていた。
(――カバが絞り込んだ3頭で勝てるのならカバ自身が以前からもっと勝っているはずだ。負け癖の抜けないカバに付き合わされてはたまらない。馬に賭けるのではなくカバに賭けることになりかねない……)
 連勝街道を驀進中の曲者タヌキとしては至極当然な思考であるが、当のカバはそんな風に受け止められているなどとは夢にも思わない。男と見込まれ頭を下げて頼まれたことを断っては男がすた)ると、ただただ、格好をつけることだけを考えていた。そして、ワンステップアップの“カバフォー”へ向けての新たな挑戦を高らかに宣言した。

ひなたやまナイン、成績一覧表(1110日現在)
 1位・西園寺望 …12戦6勝、\12,000投資/収支はプラス \150,520
 1位・櫛笥琢磨 …12戦6勝、
\12,000投資/収支はプラス \150,520
 3位・鷹司明仁 …13戦6勝、\13,000投資/収支はプラス \149,520
 4位・立花泰子 …13戦3勝、 \6,500投資/収支はプラス \69,500
 5位・讃岐金之助…15戦5勝、\42,000投資/収支はプラス  \12,900
 6位・小泉伸一郎… 5戦1勝、 \6,000投資/収支はマイナス  \100
 7位・蔓野鶴雄 …15戦4勝、\22,000投資/収支はマイナス \4,900
 8位・樺山次郎 …15戦1勝、\45,000投資/収支はマイナス \34,400
 9位・白壁凡平 …15戦1勝、\45,000投資/収支はマイナス \39,600



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