天高く、外れ馬券舞う秋 第16戦 マイルチャンピオンシップ (11月17日、京都芝1600m) 小さな元手でガッポリと……。 それが狙いの学生たちは、本命党のタヌキ先生がいくら勝ちを重ねようとも興味はない。カバ大先輩の予想にも期待していないから、女将に“万馬券の閃き”が来なければ集まらない。一方、崩壊したYKKの生き残りの小泉伸一郎もこのところ足が遠のいている。そんな訳でマイルチャンピオンシップ前夜の居酒屋『やすこ』に集ったのはひなたやま四天王と貧乏トリオだけだった。 静かで落ち着いた雰囲気の中で客をもてなしたい女将の立花泰子に七人の客でも多いと思っている。ただ、いつも騒々しいG1前夜だが、四天王の話は面白いし、泰子も予想に加わるので楽しい夜であることは確かだった。 「なんか酸っぱい匂いがするなぁ」 豆腐の出来具合を匂いで嗅ぎ分けるハンペーが怪訝な顔をして低い鼻をピクピクさせた。 「やはりバレてしまいましたか。実は庭いじりをしていて足をくじきましてな」 タヌキ先生が珍しくバツの悪そうな照れ笑いをした。 「こいつはいいや。先生の足がくじけたてぇことは、先生の勝負運もそろそろ尽きるつう前兆だな。そろそろオレに運が向くってことだよ、きっと……。そうだろ、カバさん?」 「お前はいつも能天気(のうてんき)でいいよな、ハンペー。極楽トンボはなんでも自分にいいように考えられるんだから……。しかしな、世の中そう簡単じゃねーぞ。自民党がコケても民主党には政権がまわってこねーだろう? それと一緒じゃねーのか、お前の場合は?」 「カバさん、私は躓(つまづ)いただけでコケてはおりませんぞ。この程度の痛みに参るはずがありませんが、チャンと湿布薬を貼りなさいと、家内がうるさく言うもので……」 「参る、チャンと、湿布……ときたね、先生。もしかして、マイルチャンピオンシップにかけたダジャレを言ってんじゃねーの?」 「はいはい、どうとでも解釈なさい。とにかく私は、勝ち運が逃げないようにこのシップで貼りとめたという訳ですよ」 「きたねーよ先生。幸運をお裾分けするやすこさんみたいな広い心はねーの?」 「いやいや、いずれハンさんにも運が向く時がきっとあります。ま、人間、ついている時は迷わずその運に身を委ねるとでも申しますか、素直な心が大切です」 「けっ、これだ。負けたらあの躓きが敗因だったとかなんとか言うんじゃねーの」 「ハンペー、いい加減にしろよ! 痛い足に湿布を貼ってどこが悪いんだ? 足が痛いてぇことは運が逃げ出した証拠じゃねーか。湿布ぐらい貼らせてあげろよ」 「カ、カバさん。な、なんということを……」 「そうですよカバさん。先生にそんな冷たいことを言っちゃ気の毒ですよ」 「おっ悪い悪い。ツルちゃん俺が言い過ぎた。先生勘弁してください。この通りです。ツルの唐変木もこうやって先生から運が逃げたことを気の毒がってますから」 ペコンと下げた顔がニヤついている。カバは謝る振りをしてタヌキを挑発した。 「…………」タヌキの口から言葉が出ない。不安そうに顔が曇った。 「それじゃ、始めますか!」 曲者タヌキをネチッといじめて溜飲を下げた単純カバは威勢がいい。 前3走内にG2かG1を好走(勝ちまたは勝ち馬から0.4秒以内)した馬とG3を勝ってカバスクリーニングをパスしたのは、アドマイヤコジーン・エイシンプレストン・グラスワールド・ダンツフレーム・ディヴァインライト・テレグノシス・トウカイポイント・ブレイクタイム・ミツワトップレディ・メイショウラムセス。この10頭を対象としてカバは検討を進めた。 「連対条件は、まず、芝のマイルを勝ってること。これは必須条件条件なんですがね、幸か不幸か全馬パス。次が、年齢に関係なく4勝以上してること。これでテレグノシスが脱落します。三つ目が前走までの通算連対率が40%以上であること。グラスワールドが落ちる。四つ目に、年齢は六歳まで。七歳のディヴァインライトはさようなら。五つ目が、前2走のどちらかで5着以内に入っていること。これは皆OK」 「7頭になったか。もうひと絞りだな。頼みますよ、ガバの旦那!」 「任せとけって言っただろう、ハンペー!」 カバはクグッと胸を突き出すと、グラスのビールを一気に飲み干した。 「早く先にすすんでよ、カバさん」 カバが唇の周りについた泡を長い舌で舐め回すのを見てハンペーが急かした。 「ハンペー、お前、今日はどうかしてないか? そうか、いつもどうかしてんのがハンペーだったな……。俺、忘れてたよ、そのこと」 「いいから、先に行こうよ」 「よしよし、あのな……。スプリント戦は当然だけど、マイル戦でも持ち時計が結構ものを言うんだ。残った7頭を時計の速い順に並べるとさ。ブレイクタイム(1.31.9)・エイシンプレストン(1.32.2)・メイショウラムセス(1.32.3)・トウカイポイント(1.32.8)・アドマイヤコジーン(1.33.3)・ダンツフレーム(1.33.3)、ミツワトップレディ(1.33.8)となる。こいつを見るとさ。ま、ミツワはいらないな」 「えーと、6頭になったから、あと2頭、あと2頭」 豆腐屋がブツブツ一人で呟いている。 「それとさあ、G1初挑戦の馬は余程の上がり馬じゃなきゃ、やっぱり荷が重いんだ。その意味でメイショウラムセスもいらない」 「あと1頭、あと1頭」 「ま、そんな訳で残ったのが、アドマイヤコジーン・エイシンプレストン・ダンツフレーム・トウカイポイント・ブレイクタイムの5頭。ここからどの馬を外すかだけどさ……」 カバは一呼吸おいた。泰子が注いでくれたビールをまた一気に飲み干す。 「天皇賞経由の馬は天皇賞の着順に関係無しに好走してるし、外すのは六歳馬だな、やっぱり。アドマイヤコジーンかトウカイポイントのどっちかを外せば、ハンペーの要望通りの4頭になる」 「で、カバさん。どっちを外すの?」 「これが難しいんだ。常識的に考えりゃ、外すのは前走の富士ステークスが5着だったトウカイポイントになるけど、二度の不利がなかったら突き抜けてたと蛯名が言ってたように、勝ったメイショウより遥かに強い競馬をしてるんだよな」 「まだなの? 早く決めようよ、カバさん!」 ニガリの量を失敗してなかなか固まらない豆腐を見るようにハンペーはイラついている。 「おまっとさん、ハンペーちゃん! 結論は……コジーンを外す!」 「えっ! カバさん、コジーンは春の安田記念を勝ったマイルG1馬ですよ」 床屋の婿養子は余りに大胆なカバの選択に驚いた。ツルが今まで大胆だったのは理容室ツルノへの婿入りを決心した時だけで、それも惚れ抜いた美鶴ちゃんの存在があったからこそである。カバのような滅茶苦茶な判断はツルには理解できない。 「カバさん。あなた、もしや。アドマイヤコジーンが1番人気だから外すのではありませんか?」 「そう思うでしょ、先生。違うんですよ、それが……。コジーンはね、今回がラストランなんです。ステイゴールドの前例もありますけど、それはやっぱり異例中の異例でしてね。引退前の馬を目一杯の状態に仕上げるはずがないんですよ。ましてやコジーンはステイと違ってすでにG1を勝っているから無理はしない。俺、そう踏んだ訳です」 「なるほど。そうすると“カバさんフォー”は、エイシンプレストン・ダンツフレーム・トウカイポイント・ブレイクタイムの4頭ということですな」 「その通りです」 「展開はどう予想しておるのですかな」 「ミデオンビットが引っ張るスローか平均ペースになるでしょうね」 そのミデオンにスペンサーが絡み、エルシドとミツワも並びかける。直後にコジーンとグラスがつけ、ブレイクはその後ろ。中団にプレストン・テレグノシス・ディヴァイン・トウカイ、後方集団にダンツ・メイショウ・デュランダル・モノポライザー・テンザンセイザ、最後方がリキアイタイカン・アローキャリー。この隊列で向正面から3コーナーの登り坂にかかる。坂上でトウカイとディヴァインが仕掛け、つられてプレストンも動く。坂下ではエルシドが前の2頭を交わして先頭に立ち、コジーン・グラス・ブレイクが肉迫する。後続も取り付いてきて馬群が固まって4コーナーを回る。直線を向くとコジーンがエルシドを交わして先頭へ出て、グラスとブレイクが直後を追う。その後ろにプレストンとダンツが取り付いている。直線半ばで脚色が鈍ったコジーンをブレイクとグラスが交わし、その外からプレストンとダンツが来る。グラスが脱落、ブレイクが粘るところにプレストン・ダンツが迫り、3頭が並んでゴールイン、というのがカバの展開予想だった。 「ま、こんな絵を描いてんですがね」 「とすると……。どうやらカバさんはエイシンプレストン・ダンツフレーム・ブレイクタイムということですな?」 「ええ、そのつもりです」 「ところで、カバさん。人気はどうなっております?」 「またそれですか? ま、いいか……。1番人気はコジーン、2番がブレイク、3番にプレストン、4番メイショウ、5番モノポライザーの順です。ああ、それから先生……。過去十年のデータだと1番人気は7連対、2番は4連対、3番は連対なしです。4番5番6番が6連対してて、残り3頭は8・16・13番の人気薄でした。1番人気か2番人気のどちらかは必ず連対してますね」 「懇切丁寧(こんせつていねい)に……。いやいや、恐れ入りますな。お陰で決めました。私はアドマイヤコジーンとブレイクタイムに3番人気を避けて4番人気のメイショウラムセスにします」 なんのことはない。いつも通りに上位人気の組合せである。 ハンペーは言わずもがな、カバフォーのボックス六点を五百円券で買う。ツルは、勿論関東馬が中心である。グラスワールド・テレグノシス・ブレイクタイムの3頭を選んだ。 さて泰子である。が、どうもこの秋はピピッと閃かない。ついつい言葉遊びになってしまう。世の中の閉塞状態を打ち破る意味でブレイクタイム、そして透きとおった透明な世界をイメージさせるグラスワールドを選んだ。[11月16日土曜日]
マイルチャンピオンシッブはこの秋二度目の大波乱だった。 |