天高く、外れ馬券舞う秋

17戦 ジャパンカップ
   (
1124日、中山芝2200m




 この日は、カバのボヤキから始まった。
「けどよー、ハンペー。お前、一体、どういう神経してんだ?」

 夫婦二人で朝昼晩必死に食べても十日はかかりそうだし、それ以前に冷蔵庫に入りきらないおでん種のことである。カバは奥方の恵さんに命じて隣り近所に配りまくった。『やすこ』に持ってくることを考えないでもなかったが、(豆腐屋の野郎はひとつひとつつべこべと手前味噌な商品説明をするに違いないし、大したことのない技量の自慢をするに決まってる……)と思ってやめにした。
「うまかったでしょう、うちのおでん種?」
「うまいより何より、あんだけ量が多くちゃ、喰う前に腐っちまうじゃねーか。俺んちはさ。美人のカミさんと男前の俺の二人だけなんだぞ。そこんとこをさ、良く考えろよ」
「でもさ、カバさん」
「でもじゃない!」
「でもさあ、カバさん。ジャパンカップ・ダートも買ったんでしょ? どうだったのよ?」
「なんだ、その話か。ハンペー、お前な、話をする時はさ。なんとか筋道を立ててさ、聞いてる他人様が分かりやすい話し方はできねーのか? やっぱり頭の中に詰まってるのはオカラだな、話がパラパラでボソボソしてっから……」
「はいはい、なんとでも言ってちょうだい。オレの脳みそはオカラで出来てんですよ、上等の……。」
 カバのお陰で大勝したものだから豆腐屋ハンペーはこの上なく機嫌がいい。
 ちなみに今回の大勝利を計算に入れると、ハンペーの今年のG1成績は、16戦2勝、
\48,000の投資で収支はプラス \35,050となり、九人中5位に躍進した。代わって最下位にカバが座った。
「……で、ジャパンカップ・ダートはどうだったのよ?」
「完敗だ。やるんじゃなかったよ……。あのな、いつものスクリーニングやってもそこから先をどうすりゃいいのか分かんねーんだよな。なにせ今年が三回目だろ?過去二回の連対馬が武蔵野ステークスと交流G1の南部杯経由だってことぐらいしかデータがないもんから弱ったね。だからさ、それぞれの今年の勝ち馬のダブルハピネスとトーホウエンペラーを選んで、あと1頭はもう一つの交流G1のJBCで2着に来たプリエミネンスにしたんだ。勝ったアドマイヤドンに1秒以上ブッ千切られてるから望み薄だけど、ヤケクソだよ。そしたら、フランス帰りのイーグルカフェとJBCでアドマイヤドンに2秒近く負けたリージェントブラフで決着して馬連が六万円の大波乱さ。なんでそうなるのか、いまだにサッパリ分かんねー。ま、今年は開催地も距離も変わってるし前哨戦の条件も変わってるから誰もが迷った挙句の結果だと思うけどさ、口惜しいったらありゃしねー」
「なるほどね。ま、JCダートは別にしといて……。オレさぁ、よく分かんないんだよ、オレに勝たしてくれたカバさんがなんで勝てないのか」
「よくぞ言ってくれやした、そこの若旦那。でもね、豆腐屋さん……。そいつがオイラにも分かんねーんだよ!」
「お、怒らないでよ、急に。鬼瓦みたいな顔して……」
「ハンペー。お前、今日が何の日か知ってるか?」
「今日は十一月二十三日だから、勤労感謝の日じゃない?」
「そう、その勤労感謝の日さ。『働けど働けど、我が暮らし楽にならず』と言うだろ? でもな、そいつは本当に一所懸命働いている人間の言う言葉でさ、お前なんかが使っちゃいけねー言葉だぞ。よく憶えとけ! それにな、つらつら俺が考えるに、不景気で税収が落ち込んでるのに予算の切り詰めもしねーで国債をポンポン発行してさぁ。国民からの借金で国を運営してる政治家先生たちゃ、自分が国家国民のために働いてると本気で思ってるのかね? 日本はさ。その昔、“経済一流・政治は三流”だってよく言われてただろう? それが今や経済も三流になって、政治は五流六流、もっと下に沈み込んでるんじゃないのかな。『ジャパン・アズ・ナンバーワン』とか言われて世界中からもてはやされた十五年前が懐かしいよなぁ」
 カバはやけに感傷的である。
 放っておくと何時ぞやのように(にわか)評論家に変貌して政治経済批評を延々とやりかねないと、いつも延々と薀蓄うんちく)を語る曲者タヌキが自分のことは棚に上げてあわてた。
「カバさん、勝負は時の運と言うではありませんか。それに、カバさんの絞り込みはますます精度が高くなっておるし、JCダートなんかは忘れて、気を取り直して本番のジャパンカップへ行きましょう」
 顔色を伺いながら持ち上げ腫れ物に触るように持ち上げて、タヌキは話を本筋へ戻した。
 「う〜ん、それじゃ、始めますか」
 渋々うなずいたカバに元気がない。その落ち込みカバの解説はこうだった。
 今年のジャパンカップは外国馬7頭と日本馬9頭の16頭で競われるが、いつものことながら外国馬の実力査定が難しい。日本馬9頭でカバスクリーニング(前3走内G2G1好走馬とG3勝ち馬)をパスするのは、アメリカンボス・エアシャカール・ジャングルポケット・シンボリクリスエス・テイエムオーシャン・ナリタトップロード・ノーリーズン・マグナーテンの8頭がパス。同じ基準で外国馬をみると、ゴーラン・サラファン・ストーミングホーム・ファルブラウ・ブライトスカイの5頭がパス。この13頭を連対条件に照らし合わせていく。
 連対条件はまず、
2000m以上のG1で連対していること。日本馬ではマグナーテンが脱落。外国馬の脱落はなし。次に、年内に重賞を2勝以上していること。日本馬ではアメリカンボス・エアシャカール・ジャングルポケット・テイエムオーシャン・ノーリーズンが脱落し、外国馬はゴーラン・ストーミングホームが脱落する。
「そんな訳でさ、残ったのは日本のシンボリクリスエスとナリタトップロード、それに外国馬のサラファン・ファルブラウ・ブライトスカイの5頭なんだ」
 割合簡単に“カバファィブ”が出揃った。となれば、ここから1頭削って“カバフォー”にしなくてはならない。そのためにカバは年齢別の連対数を挙げた。
「年齢別にみるとさ。四歳10、五歳6、三歳3、六歳1、七歳上なし、なんだな。仮にこの通りになるとするとさ。四歳のファルブラウ、五歳のサラファンの外国馬2頭が優勢で、日本馬は三歳のシンボリクリスエスに期待が持てる程度で六歳のナリタトップロードはほぼ用なしってことになる。でもさ、疑問があるんだ」
 以前はともかく最近の五年間をみると外国馬の連対は2頭に過ぎず、日本馬優位と見るべきではないかと迷っているとカバは言った。
 外国馬の場合、データでは凱旋門賞かBCターフに出走した経験がある馬が有力で四歳のゴーランとファルブラウが該当する。が、ゴーランはすでに脱落、残るはファルブラウ。そして、三歳牝馬の外国馬ブライトスカイを外して日本の四歳牡馬ジャングルポケットを入れたいとカバは言った。

「つまりさ、俺の4頭は日本のシンボリクリスエスとジャングルポケット、それに外国馬のサラファン・ファルブラウということだな」
「それでカバさんは、最終的にはどれを買うつもりなの?」
「俺か? 俺はさぁ、本当は嫌なんだけどさ。日本の2頭とデットーリが騎乗するファルブラウにするよ」
「カバさん、人気はどうなのです?」
「人気はですね、先生。1番シンボリクリスエス、2番ナリタトップロード、3番ジャングルポケットと、人気上位は皆日本馬です」
「そうですか、そうですか。私は何と言っても日本人ですからな。日本の3頭に決めました。シンボリクリスエスにナリタトップロードにジャングルポケット」
 何のことはない。相変わらず人気通りの選択に過ぎない。
「カバさん、オレ、“カバさんフォー”でまたボックス買いするよ」
「僕はどうしようかな? ハンちゃんほど予算がないし、やっぱり関東馬でいきたいし……。カバさん流からしたら邪道だけど、シンボリクリスエスにマグナーテンとアメリカンボスにしたいなぁ」
「ツル。したけりゃそうすりゃいいじゃねーか。遠慮することはないぜ、どうせ毎回邪道なんだから」
「そんな酷いこと言わなくたって……。でも、うん! 決めた! 僕、関東馬3頭にします」
「そうそう、カバさん。今日はまだ展開予想をきいてりませんでしたな」
「そうでしたね。外国馬がよく分かんないから、正直言って自信はありませんけどね。俺、こう思ってるんですよ」
 テイエムオーシャンは引っかかってハナを切る恐れがあるが、引っかかっても抑えるのは間違いない。だから、マグナーテンが落ち着いた流れに持ち込める。外国馬で先行型はストーミングホームだが、行き足は多分そう早くないのでマグナーテンの単騎逃げは濃厚。ということは、マグナーテンの逃げ残りもなきにしもあらずの展開になりそうだ、とカバは予想した。
 前がバラける平均ペースで、ジャングル・トップロードはスタンド前で位置を決めて末脚の切れ味を温存するが、一歩前で折り合いがつくシンボリが展開的に有利であり、外国馬の出方が分からないから何とも言い難いものの、「多分、俺が選んだ4頭の叩きあいになるはずだ」とカバは言い切った。

「やすこさんはどうするの?」
 尋ねたカバの目が、自分の選んだ馬を女将も選んでくれと言っている。
 その泰子だが、今回も閃きは降りてこない。そこで考えた。国際協調が叫ばれる今日である。泰子は日本の馬と外国の馬を1頭ずつ選ぶことにした。
「わたし、日本のシンホリクリスエスと外国馬は樺山さんがおっしゃったファルブラウしたいと思うの」
「女将さん、閃いたんですか?」
 貧乏トリオが声を揃えて訊くと、泰子は微笑んだ。
「さぁ、どうかしら?」                [1123日土曜日]

 16頭がほぼ揃ったスタート。外からマグナーテンが先頭に立って1コーナーへ飛び込むが大逃げにはならない。その後ろにイリジスティブルジュエルとゴーラン。差がなくアメリカンボスとアグネスフライトが追い、中団にファルブラウ。シンボリクリスエスは中団の後ろ。サラファン・ナリタトップロード・ストーミングホームが並走し、ノーリーズン・ブライトスカイも続く。テイエムオーシャンはエアシャカールとともにその後ろを追走し、ジャングルポケットが最後方から行く隊列。奥深い2コーナーから3コーナーへ。マグナーテンの直後にアメリカン・インジ・ゴーランと続いて隊列の丁度真ん中にシンボリ。テイエムとナリタが上がってきて4コーナーへ。直線を向くとマグナーテンの後ろは横一線に大きく拡がる。ゴーラン・シンボリがマグナーテンを捕まえに行き、中からファルブラウが抜け出す。その内から伸びたサラファンが並べかけ、外からシンボリが迫るが、ファルブラウが先頭でゴールインした。

1着@ファルブラウ    2.12.2  9人気
2着Gサラファン     2.12.2 11人気
3着Fシンボリクリスエス 2.12.3  1人気

払戻金 馬連@G 25,600円/馬単@G45,850円/三連複@FG35,730
      ワイド@F 1,360円、@G 7,220円、FG 3,040

ジャパンカップは、人気薄の外国馬がワンツーフィニッシュを決める万馬券決着で幕を閉じた。しかも、カバが絞り込んだ4頭のうち3頭が上位を独占し、あとの1頭も5着に入るという、カバ予想の快挙となった。またもや“カバフォー”を五百円券でボックス買いしたハンペーは、十二万円余の棚からボタ餅をパックンチョである。
 老舗豆腐屋四代目当主の白壁凡平はいまだかつてこのような運に恵まれたことはない。それだけに怖くなった。(これで運がすっかり尽きてしまったに違いない、大きな不幸が襲ってくるのではなかろうか……)と考えると、唇が震え、膝がガクガクする。仕事も手に着かない。その癖四角くて生白い豆腐顔を天井へ向けて福沢諭吉先生のご尊顔を幾つも重ねて思い浮かべている。恋女房の鴇子さんに「どうしたのよ、あなた?」と声をかけられても心ここにあらずの体で虚ろな視線を漂わせている。
 その豆腐屋ハンペーは、少なくとも向こう一ヶ月、朝の仕込みが終わり次第に出来立てホヤホヤの木綿豆腐を樺山家に届けることにした。

 一方、豆腐なら冷奴も湯豆腐も、味噌汁の具にしても大好きなカバだが、最後に馬券対象から外した馬がまたも2着にきたものだから、口惜しいのはとっくに通り越して“わからん地獄”の奈落で唇を噛み締めている。勝利の女神はとことんカバに冷たい。
「それにしてもカバさんは何でこうなっちゃうのかなぁ?」
 みんなは首を傾げながら、豆腐屋と同じ4頭ボックスの六点買いをすすめた。が、しかし、それがカバには出来ない。
 競馬は三点以内の予想で当てるものだという、信念というか、思い込みがカバにはある。
せつ)を曲げれば「男の沽券(こけん)にかかわる」「男の矜持きょうじ)が保てない」というこだわりがある。そのこだわりにある時は欲得が絡み、またある時は弱気の虫が絡んで、勝利を逃している。旧い教育が身に染みついている男ゆえの哀しさなのかも知れない。
 蛇足になるが、貧乏トリオはワイド1,360円を手にしてニンマリしていた。


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