天高く、外れ馬券舞う秋

18
阪神ジュベナイルフィリーズ
 
121日、阪神芝1600m



 このところのカバの分析と絞り込みは実に客観的であり、極めて的確だった。たまたまそうなったに過ぎないという見方も出来ないではないが、カバ理論が通用することを示唆しているとも言える。
 惜しむらくは、カバの心の中に棲みついている何かがカバに勝利の美酒を飲ませないことだろう。勝負事には禁物の思い込みと欲得が最後の最後でカバの目を曇らせている。もしかすると、「もっと心を磨け!」という、神様がカバに与えた試練なのかも知れない。

 実は、カバは糖尿持ちである。その癖、酒もタバコも一切止めるつもりはない。二ヶ月に一度の定期健診だけは欠かさないが、動脈硬化や失明に至る恐れのある危ない生活習慣病患者である。ならば何故にカバの奥方の恵さんはいつも度を越すカバの飲酒と喫煙をとめないのか?
 答えは簡単である。本人にその気がない。
「好き勝手して死ぬのも男の
本懐ほんかい)」と、達観(たっかん)しているのではなく、居直っている。万一そうなった時の奥方の悲しみも考えず実に身勝手なものだが、恵さんの方は達観している。
(頑固で我が儘なへそ曲がりさんだけど、自分でその気になれば必ず実行する人だから、その時を待てばいいのよ)と、優しく見守っている。
 見守られているカバも恵さんのことをこよなく愛している。夫婦というものは互いを気遣う心さえあればそれだけで十分幸せなのかも知れない。

 抹香まっこう)くさい人生論はさておき、二週連続で“カバフォー”の六点ボックス買いが万馬券をヒットしたという噂が広まったものだから、さあ大変……。居酒屋『やすこ』は足の踏み場がないどころか、寒空の下、店の外まで客がはみ出している。さもしい根性の櫻渓大生たちが大挙して押しかけていた。
 俄然“時の人”となったカバは、口惜しさを噛み締めた唇の痛みも忘れて上機嫌である。落ち込むのも早いが立ち直るのも早い。
「ねえねえ、カバさん。アメリカは何が何でもイラク攻撃をやりたいって本当ですかね?」
「へえーっ! (とうへんぼく)でもたまには世界情勢に関心を持つんだな」
「カバさん、『たまには』じゃなくて、『いつも』と言ってもらえませんかね。僕はこれでも勉強家なんですよ、毎日隅から隅まで新聞と週刊誌を読んでいるんですから。それでですね、その報道によるとですね……。新しい国連決議も出来たことだし、年内に査察を済ませて、イラクは前の国連決議に反して核兵器や生物化学兵器を大量に開発保持していたとかなんとか決めつけて、二月か三月に攻撃開始するらしいですよ」
「ふ〜ん。で、そうなると俺たちに何か影響があるのか?」
「そりゃぁ大有りですよ。中東が戦争になると原油の値段が高くなって……、日本の物価も上がって……、今よりもっと不景気になるんでしょう? それに、イラクが終わるとアメリカの矛先は北朝鮮へ向くらしいから、更に大変なことになるんじゃないですか?」
「朝鮮半島でもドンパチが始まるってか?」
「それはどうでしょうかね。かの金正日総書記もそれだけは勘弁して欲しいのが本音でしょうから……。早く日本との国交正常化交渉に入って、日本を楯にしてアメリカの攻撃を避けようとするんじゃないですかね」
「てえことはつまり、北朝鮮は永住帰国を決めた拉致被害者の家族を日本へ寄こすってことか?」
「そうなるといいですよねー」
 床屋の婿養子の世界情勢解説は、もともと底が浅いからすぐに身近な感情論で終結する。
「カバさんもツルさんも世界の話はそれくらいにしてさ、早くやろうよ!」
 豆腐屋はイレ込んでいた。“もう一丁!”と顔に書いてある。
「そうですな。そろそろ始めませんか?」
 口振りは落ち着いているが、タヌキ先生も相当イレ込んでいる。“二度あることは三度ある”とオデコに文字が浮かんでいる。曲者眼の色がいつもと違った。
「よしっ! それじゃ始めますか」
 パチパチパチパチ! 万雷の拍手が店内から外へと響き出た。

「阪神ジュブ……、ジュベか? それにしても舌を噛みそうだなこの名前は……。JRAも罪作りだぜ、ハンペーみてぇに舌っ足らずが多いてぇのになあ。ま、仕方がねーか。ところで、そのナイルフィリーズだけどさ」

 カバ流スクリーニング・ハードル(前3走内にオープン特別か重賞を勝っているか勝ち馬から0.4秒以内に好走、または500万下で2着を0.4秒以上離して圧勝)をパスするのはオースミハルカ・シーイズトウショウ・ソルティビッド・トーホウアスカ・ピースオブワールド・ブランピュール・メイプルロード・ワナの8頭だった。
「この8頭をさ、過去の連対馬のデータに照らし合わせていくと……」
 デビューして2戦以内に勝っていることは必須条件とのことで、まずメイプルロードが脱落した。次に過去に連対が1頭しかいないキャリア1戦馬と連対ゼロのすでに7戦以上を消化している馬を除くのだが、該当馬がおらず8頭ともパス。三つ目のデータは、前走がオープンなら5着以内で条件戦なら勝っていること。これも8頭パス。
「さぁ、そうなると今度は勝ち鞍の数が判断材料になる。十年間の連対馬のうち16頭が2勝以上してた。1勝馬は4連対なんだよな。だからさ、俺、ここで思い切って1勝馬を外そうと思う」
 というわけでいとも簡単に、自信満々に“カバファィブ”が出揃った。1勝馬のシーイズトウショウとトーホウアスカが除外され、ピースオブワールド(1番人気、馬番5)・オースミハルカ(3番人気、馬番4)・ワナ(5番人気、馬番3)・ブランピュール(6番人気、馬番9)。ソルティビッド(8番人気、馬番1)の5頭がそれである。トーホウアスカは2番人気だが17番という外枠では不利が大きいと、カバは付け加えた。
 阪神の芝1600mは、1コーナー寄りのポケットからスタートし、200mほどで2コーナーに差し掛かるために外枠の馬は大きく外に振られる。だから脚質の関係なく10番より内側でないと苦しいのは事実である。
「もう1頭、もう1頭はどれ外すの?」
「ハンペー、お前な、少しは自分の頭を使えよ。お前だったらどれを外す?」
「オレ? オレが外すとしたらブランピュールかなぁ、三ヶ月の休み明けだから」
「それが“素人の浅はかさ、豆腐屋の朝の早さ”なんだよ。あのな、ハンペー。驚くなよ。このレースに限って言えば、二ヶ月以上の休み明けの馬が6頭も連対してんだ。だからさ、ブランピュールは狙い目なんだよ」
「へえーっ、そうなの? そしたらさ、どれを外すのよ?」
「ソルティビッドだよ。この馬、2勝馬だけど芝は1勝だし、それも1200m戦なんだ。それにさ、逃げ馬だけに阪神のマイルは向かないんだよ。桜花賞と一緒さ」
 カバの説明は成る程と思わせるに十分だった。1400m以上の距離経験とそこでの成績が重要であることも過去の連対馬データは示唆している。そして、残った4頭はそれぞれが芝1400m以上の距離で勝っている。因みに、ワナが新潟芝のマイルを勝ち、そのワナは阪神芝1400mも勝っており、ピースオブワールドとオースミハルカは京都芝1400mを勝ち、ブランピュールは札幌芝1800mを勝っていた。
 果たして“二度あることは三度ある”のか? “カバフォー”には、オースミハルカ・ピースオブワールド・ワナ・ブランピュールの4頭が指名された。
「うふっ、ふふふふっ」
 もう勝ったつもりの極楽トンボの豆腐屋が含み笑いをする後ろで、ぎゅうぎゅう詰めの通路の奥から壁際を伝って店の外へと4頭の馬名がリレーされていく。途中で馬の名前が微妙に変わっていく。店の外で最後に受けたラグビー部の松尾くんは、オースミナノカ・ピースオブタイム・ハナ・フランベルと聴いた。
「そいでさぁ、このレースは前走がファンタジーステークスだった連中が中心になるんだよな。その意味じゃ、1番人気のピースオブワールドが有力だけどさ、ファンタジー優勝馬のこのレースでの成績は今まで4着が最高なんだよ」
 顎鬚(あごひげ)を撫でながら大きな鼻の穴を更に大きく膨らませたカバはファンタジー組では1着のピースオブワールドより4着のワナ方が面白いと言った。カバはオースミハルカ・ブランピュール・ワナの3頭で勝負するつもりらしい。三歳の怪物娘ファインモーションと同等の評価をされているピースオブワールドを切って捨てるところがカバらしいと言えばそうなのだが、またまた墓穴を掘りそうである。 そのカバは展開を次のように予想した。
ハナを切るのはソルティビッド。ブランピュールとマイネラベンダーが続く。その直後にピースオブワールド・トーホウアスカ・シーイズトウショウ。ピースが見える位置にオースミハルカとワナ。平均ペースで流れて4コーナーでは先行グループが固まる。トーホウが動き、オースミとワナが追い出しにかかる。その後ろでピースは直線半ばまで追い出しを我慢する。内から先頭に出たブランにオースミとワナが並びかけるがトーホウは伸びない。ゴール前では前3頭に大外からピースが襲いかかる》
「オレが描いた展開と一緒だ」
 そう嘯(うそぶ)いた豆腐屋ハンペーは、またもや“カバフォー”のボックスで勝負する。

 床屋のツルは、1番人気ピースオブワールドに関東の先行馬ソルティビッド・マイネラベンダーを絡めることにし、珍しくも、逃げる2頭をピースが好位から差すという展開予想をした。
 今度だけは豆腐屋ハンペーと同じように“カバフォー”を五百円券で六点買うに違いないと思われたタヌキ先生は、あにはからんや、いつも通りに1〜3人気(ピースオブワールド、トーホウアスカ、オースミハルカ)を選択した。強いから人気になるのだし人気になる馬は強いという、信念というか、カバと似たような思い込みがあるらしい。
 残るは閃きの泰子だが、どうしたのか以前の閃きが来ないらしい。安田カメの不遇な死のショックがまだ尾を引いているかも知れない。
 泰子の選択は、カバの一押しのブランピュールに平和な世界(ピースオブワールド)だった。                     
[1130日土曜日]

 逃げると思われたソルティビッドが抑え、控えると思われたトーホウアスカが飛び出した。二番手にブランピュール、ホワイトカーニバルが三番手。リリーキャスケード・ヤマカツリリー・トウセンリリーと続き、直後にピースオブワールド。その外にシーイズトウショウ、1馬身後ろにオースミハルカとワナ。外にメイプルロード・テイエムトキメキ。遅れてユキノスイトピー・プラントパラダイス・アドマイヤテレサ、最後方にマイネラベンダー。向正面半ばでトーホウに代わってホワイトが先頭に立ち、3コーナーにかかる。ピースは七番手、その前にソルティ。ホワイト・ヤマカツ・トーセンが並び、外からメイプルが差をつめピースは一番外に出して4コーナーを廻り直線へ。ホワイトを外からピースとシーズが捕まえ、中でヤマカツとブランが粘る。ユキノとオースミが末脚を伸ばし、さらにプラントが迫るが、一番外から矢のように伸びたピースが差し切った。内で粘ったヤマカツがブランを首差抑えて2着に残った。

1着Dピースオブワールド 1.34.7  1人気
2着Lヤマカツリリー   1.34.9 11人気
3着Hブランピュール   1.34.9  6人気

払戻金 馬 連DL 4,880円/馬 単DL 5,570円/三連複DHL19,720
      ワイドDH 790円、DL 1,790円、HL 6,270


 二度あっても三度目はない? 1勝馬ヤマカツリリーが豆腐屋の連勝を阻んだ。
 阪神ジュベナイルフィリーズは、単勝1.5倍のダントツ1番人気のピースオブワールドがデビュー戦から4連勝を飾って二歳牝馬女王に輝いた。中団の後ろでジッと我慢して4コーナー手前で大外に出るとすぐに先頭集団にとりつき、残り200mからグイグイ伸びてあっと言う間に前を交わした。その瞬発力の凄さはまさに三歳女王のファインモーションを髣髴(ほうふつ)とさせる強さだった。
“カバフォー”からは1着と3着が出たが、泰子も四天王も敗退した。例によって泰子馬券を馬連とワイドで買った貧乏トリオだけがワイド790円をゲットした。
「カバさん、2着のヤマカツリリーはどうしてカバさんフォーにもカバさんファィブにも残らなかったんだっけ」
「前走の500万下を3着に負けてる1勝馬だからだよ。大体、条件戦でも連対できなかった馬が来るなんてさ、例外中の例外だから仕方がねーよ。ヤマカツリリーの場合は豪腕アンカツ(安藤勝巳騎手)のファインプレーに尽きるな。敢えて好走要因を探すとさ。ピースもヤマカツもブランもキャリア3戦なんだよな。しかも出走馬の中でキャリア3戦はこの3頭だけでさ、来年はこのデータも考えなきゃいけないな。それからさ、ヤマカツは抽選をくぐり抜けて出走にこぎつけた運もあったな、皐月賞のノーリーズンみたいにさ」
 大抵の勝負事は後になって勝因・敗因が判明するものだが、何が起こるか分からないところが面白い競馬の場合にそれらは多分に推測の域を出ない。“勝てばこじつけ、負ければ気休め”と相場は決まっている。


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