ぐうたら備ん忘録



   その八 時 代





 この頃ボクはちょいちょい「時代」という言葉を口にする。なぜそうなったのか自分でもよく分からないのだけれども、女房殿によれば酒が入ると頻繁に口にするらしい。確かに酔いがすすむとなぜか「時代」という単語が頭の中を駆け巡る。若い人たちの動機不明な殺人事件の報道に接して「時代なのかなぁ」と呟き、政治家の無責任な言動を見るにつけ「悲しい時代になっちまったなあ」と周囲に同意を求め、官僚たちや特殊法人の不正な所業に腹の立てながら「嫌な時代だぜ」と吐き捨てる。なんでもかんでも「時代」のひと言で片付けているような気がする。しかもボク自身が快く思わないことにこの「時代」という言葉を使っている。いささか気になって広辞苑を引いてみた。
【時代】とは、《@区切られた一定の、かなり長い期間。例=奈良時代。Aその当時。当代。現代。例=時代の趨勢。B時を経て古びた感じ・様子。例=時代がつく。C時代物の略》とあったが、ボクがこの単語に感じているような否定的な説明はない。ボクの感覚に最も近いのは《時代の趨勢》を例に挙げている解釈だろうが、それとても一方的な否定を意味している訳ではない。で、考えてみたら、ボクの頭の中にはどうやら《旧き良き時代》というのがあって、それにそぐわない物事に対して「時代だなぁ」と愚痴を言うのが今のボクの表現のようだ。
 再び広辞苑に目を落すと【時代おくれ=その時の傾向・流行などにおくれていること】とあった。(俺って時代おくれなのかなぁ?)と首を傾げていると、多分もう死語になっている【時代親父】というのがあった。《時代後れの頑固な親父》という意味だそうで、なんだか自分のことを説明されているような気がして苦笑してしまった。【時代がかる】と【時代めく】は《古風な感じに見えること・古色を帯びる》ことで(だからどうした!)と頭の中で叫び、【時代錯誤】は《異なる時代のものを混同する誤り。アナクロニズム。転じて時代後れであること。現代に適合しないこと》ときたから少々不安になってきた時にある言葉がボクの眼を惹いた。
【時代狂言】である。《時代物の歌舞伎狂言。江戸時代およびそれ以前の事跡・人物を題材としたもの。多くは江戸時代の武士を中心とした世相を古い時代に仮託して、悪人の陰謀に対する忠臣の苦衷・辛苦などを描く》と説明してあった。

 ボクは、はたと膝を打った。
(これだ! これが小泉流なんだ!)と妙に興奮した。

『国民という主君にとって忠実な家臣である小泉総理大臣は、抵抗勢力という悪人たちの陰謀を打ち破るために艱難辛苦(かんなんしんく)をしている……』
 そういう図式がふっと頭に浮かんだ。
 誰が考えたか知らないが実に見事な演出である。この勧善懲悪(かんぜんちょうあく)という図式を日本人は最も好む。テレビドラマの『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』などが高い人気を博する長寿番組であることや『忠臣蔵』が役者を替えて繰り返しドラマ化されていることがそれを証明している。さしずめ小泉さんは暴れん坊将軍といった役どころところか。彼の「改革なくして成長なし」「変わらない自民党は私がぶっ壊す」という言葉も就任後三年が経って、中味の伴わない胡散(うさん)臭いものになってきたが、内閣支持率がいまだに高いのはこの図式による目眩ましの成果だろう。

 小泉総理は【時代の寵児=時代の波に乗って世人にもてはやされる人。流行児】を気取ってきた。また、彼が主唱する構造改革路線は、バブル崩壊以来もう十五年も続いている経済の逼塞状態から抜け出したい国民の【時代思潮=一つの時代に主流をなす思想傾向】に合致している。惜しむらくは【時代精神=その時代の社会・人心を支配する精神。また、その時代を特徴づけている精神】になるまでの具体性と信憑(しんぴょう)性がない。小泉総理と彼のブレーンによるパフォーマンス政治は【時代考証=映画・演劇などで、服飾・調度などが設定された時代に適合するかどうかを考証すること】が浅く、【次代】を見つめていない。ここに我々国民のというか、庶民の不幸がある。と同時に、ボクに「時代」という言葉を否定的に使わせる原因がある。ま、政治がらみの話はここまでにしておこう。
 ひと月半前にボクは、なんと卒業以来三十数年ぶりに大学時代の友人と会った。彼は今、中国地方のとある県で児童相談所の所長をしている。羽田空港の出発ロビー脇にあるビアホールで二時間ほど往時を懐かしんだのだか、そのY君の口からも「時代」という言葉が飛び出した。そして彼もまた、ボクと同様に否定的な意味合いで使った。
 ここ数年、児童が虐待される事件があとを絶たない。しかもその加害者が実の母親であることが多いのには驚かされる。父親であったり内縁の夫だったりもするが、実の母というところにボクは怖れを懐く。人の心の荒廃がそこに見えるからだ。Y君も、児童相談所を訪れる親たちが昔と今では様変わりしていると話していた。二十年ぐらいまでは「うちの子はピーマンが食べられなくて困ってるんです。どうしたらいいでしょうか?」といった類いの他愛ない相談が大半だったらしいが、学校でのイジメが問題にされはじめた頃から相談の内容に深刻さが増し、現在はほとんどすべての相談が切羽詰ったものになっていると、Y君は眉をひそめた。対応するのが大変らしい。一例として彼はこんな話をしてくれた。若い母親が幼い子供の手を引いて現れ、「この子を預かってください」と言う。理由を尋ねると、不登校だの引き籠もりだの自閉症だのと新聞やテレビの報道に出てくる言葉を駆使してもっともらしい説明をする。しかしよくよく訊いてみると、子供がいると自分が遊べないから、同棲相手が嫌がるからだと白状した。「ここは託児所じゃないのだから」とやんわり断ると、市民が困っているのに何もしないのは行政の怠慢だと怒りはじめ、挙句の果てに連れて来た子供を相談所に置いてさっと逃げ出してしまった。彼女は相談所に捨て子をしに来たに他ならない。母としての心は失われている。
 また、相談員の方も様変わりしているとY君は嘆いた。有名大学の心理学科を卒業してくる彼らの中にも、まともに相談に応じられない者がかなりいるらしい。人間心理のエキスパートであってもおかしくない彼らなのに、相談の場での適切な判断と臨機応変な対応が出来ない、マニュアルがないと仕事がこなせないのだという。物事が複雑化しているし予想すらしないことが頻発する世の中だから、若い相談員が戸惑うのは致し方ない面もある。しかも先に挙げたような事例が多いのだから、真面目に取り組もうとすればするほどストレスが高まる。逃げ出したい気持ちに心が傾いていく。そうはいっても今の世の中、転職は容易ではない。結果、ノイローゼ状態の相談員が少なくない。「相談員のための相談員が必要な時代になってしまったんだよな」とY君は苦笑した。なんとも心許ない笑い話のようだが、実は深刻な話なのだ。相談する方もされる方も心に柔らかさがない。自分のことだけに汲々としている。
 いつ頃から日本人はこんな風になってしまったのだろうか?
 と、平家物語の「奢るもの久しからず」という一節がボクの頭をよぎった。
 高度経済成長の時代から二度の石油危機を経て逞しく育ってきた日本の国民は、それが泡沫(うたかた)とは気づかずに未曾有の好景気に浮かれ、バブルが崩壊した途端にシュンとして、今は長引く不況から抜け出るための情け容赦ないリストラの嵐に晒されている。いい時期を知らなければともなく、恵まれた体験をしてきているだけに心もすさぶ。現在五十代半ばの団塊世代は特にそうかも知れない。親の心がすさべばこの心もすさぶ。団塊世代の親から生まれた子供たちが今は親になり、すさんだ心で自分の子供に接しているのかと思うと身震いが出る。大袈裟だが、なんだか日本人は世代が交代するに連れて卑屈になっていくように思えてならない。それが「時代」というものなのだろうか?

 そんなこんなを考えていた先ほど。オリンピック競泳の平泳ぎ200mで北島康介選手が二つ目の金メダルを獲得した。圧倒的な強さで他を寄せつけなかった。
 北島選手は「勝つ!」と公言して憚らない。一昔前なら自信はあっても「頑張ります」としか言わないのが日本人選手だったが、この世代はどうも違う。ふた昔前に流行した【新人類】という言葉の意味は《大人から見て理解できない言動をする若者たち》だった。しかし、北島選手たちの世代は綿密な研究に基づいてやるべきことをやっているので年寄りにも理解しやすい。そして力強い。彼らの世代が社会の中心を占めるようになれば、日本も再び活力を取り戻せるような気がする。ボクはこの世代の人たちに【新日本人】という前向きな称号を贈って眠ることにした。おやすみなさい。

                           [平成十六年八月]



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