ぐうたら備ん忘録


    その七 忘れていたもの





 ボクは先だって、六月上旬に女房殿と一緒にカナダへ行ってきた。というのも、一人娘がいま彼の地にいるからである。
 去年の夏が終わる頃、結構名の通った会社で翻訳業務のアシスタントをしていた彼女はちょいちょい「留学」という言葉を口にするようになった。
 涼風が立って薄いベストが欲しくなる頃になると毎晩、夜十時には眼が潰れてしまう女房殿を相手に思いのたけを延々と語るようになり、女房殿の目の周りの隈は我が家の朝の定番になった。
 山や里が黄色く紅く色づく頃になってやっとボクにも相談があり、自分の英語力に限界を感じているのだと告白した。さもありなん。英語がすっと聞けてさっと喋れるためにはやはり海外での生活経験が必要である。
 ボクなんぞは中学から大学までずっと英語を習ってきたが、ボクらの時代の英語教育は読み書きばかりだったものだから実践にはさっぱり役立たない。たまに出会ったアメリカ人がペラペラ話しかけてくるとお手上げである。ゆっくり喋ってくれてもさっぱり聴きとれない。なまじ単語や慣用句をいくつか知っているものだから格好をつけようとしては失敗し、ボクはついに外人恐怖症になった。にも関わらず大学を出てすぐに就職した会社が外資だったのだから笑ってしまう。そこがどういう会社なのかも考えず、雇ってくれるというから入った。そしてボクは英語を使う日々に約三十年間翻弄された。それでもまだネイティヴにはほど遠い。いや、カタコトの域をいまだに脱していないのだから情けない。

 話を本筋に戻そう。
 ボクに比べると娘の方が遥かに英語に馴染んでいる。ちなみにTOEICテストの最高得点はボクが640点なのに娘は760点である。若さと頭の柔らかさには勝てない。その娘が勝ち誇るのでなく「わたし、もっと勉強しないとダメなのよね」と訴えるから、父親としては立つ瀬を失った。
 立つ瀬がないのだから、しかも「アメリカかカナダに語学留学したいの」とすがられれば反対とは言えない。「思ったようにすればいい、もう大人なんだから」と格好をつけるのが精一杯だった。ボクが一つだけ注文をつけたのは「ホームステイする」ことである。いつでも連絡がつけられるのが安心だし、否応なくホストファミリーと英語でコミュニケートしなければならない環境が娘の英語力をブラッシュアップすると思ったからだ。
 しかしこの時点で、ボクはまだ娘の気が変わることを期待していた。が、そこはボクに似たのか、娘は走り出すと止まらない。十二月末で勤め先を辞め、英会話の個人教授を受けて、二月になるとまもなくトロントへの直行便に飛び乗った。
 というのが、ボクと女房殿がカナダを訪れることになったきっかけである。この備ん忘録に『格安傷心パック』として書いた数年前の韓国旅行もそうだったがボクら夫婦の外国旅行はすべて娘に主導されている。「老いては子に従えというがまだまだそうはいかねーぞ」と思っているのに……である。で、なにはともあれ、カナダへ行ってきました。

 トロントで予定のコースを終了した娘は現在、東海岸のハリファックスという人口七万人の小さな都市にいる。
 ボクはそこへ直行するつもりでいたのだが、どうしてもナイアガラを観たい女房殿はトロントに二泊する旅程を組んだ。さらに、ハリファックス滞在中に世界的な名作『赤毛のアン』の舞台であるプリンスエドワード島と世界遺産の町ルーネンバーグを訪れるという、結構ハードなスケジュールを決めた。しかし幸いにボクはこの忙しい旅をしていて、今まで自分が忘れていたものを目の当たりにすることが出来た。

 ボクは、トロントには昔一度仕事で四日ほど滞在したことがある。ナイアガラもその時に観ていたので、正直、新たな感慨はなかった。が、女房殿はアメリカ滝とカナダ滝の二つを轟々と流れ落ちる瀑布の壮大さにいたく感激し、霧の乙女号という遊覧船に乗って滝壺近くまで行った時には飛沫を浴びながら「マイナスイオンがいっぱい発生してるからお肌が潤って綺麗になるんだって」と微笑んで甲板の手摺りから乗り出して首を伸ばした。女性にとって美肌は永遠の課題のようだ。それはさておき、トロントからジェット機で二時間余りのハリファックスである。
 考えてみれば東京から沖縄へ飛ぶのとほぼ同じなのだが、すでに成田からトロントまで十四時間も機内で過ごしている身には短い移動である。あっという間に降り立った真昼の空港ロビーに、ほっそりスラリとして笑顔が愛らしい日本人女性がいた。娘が出迎えに来てくれていた。日本にいる頃は下半身デブだったのに……と、一瞬我が目を疑った。と同時に、細くはなっても変わらず健康そうな姿にひと安堵した。よその国の水を飲み他家の飯を食うことは、心だけでなくからだも磨くものらしい。

 この夜、ボクら夫婦は娘のステイ先であるマリンズ家に泊めてもらうことになった。当初の予定ではブロックハウスヒルにある、日本でいえば民宿のようなB&B(Bed & Breakfast)に泊まることになっていたのだが、是非にとのことでお受けした。娘によるとトロントのステイ先では、ステューデントルームに家族を泊めることは出来ても、一人一泊いくらと料金が決まっていたという。それに比べれば鷹揚というか、余りに親切な扱いにこちらが戸惑ってしまった。どこの国にもある大都会と田舎の違いだろうが、心がぽっと温まったことは言うまでもない。
 しかもである。ハリファックスの街を散策した後で港の魚屋で買った活きのいいロブスターをぶら下げて帰った夕食時には、ご主人のセシルさんの弟さん夫婦と奥さんのジーナさんのご両親に、折角紹介してくれたのに忘れてしまったが、確かセシルさんの親友を含む総勢七人がボクらを待ち受けていた。皆さんなんと、車で五時間もかかるところからやって来たという。知らないうちにボクらはマリンズ家の親戚になっていた。恐縮して、久し振りに親しく英語を喋るボクの舌はもつれた。

 セシルさんがロブスターを茹でてくれて、ジーナさんが大量のシシカバブを支度してくれて、ワインとビールを呑みながらの賑やかな夕食がはじまった。
 トルコ料理のシシカバブは羊の肉を串刺しにして焼いたもので、ボクらが日本で食べているシシカバブは体脂肪をしこたま増やす肉主体のものだが、マリンズ家のシシカバブは「肉一野菜二」の割合の至ってヘルシーなものだった。それがメインディッシュであり、あとはベイクドポテトが添えられているだけである。ほかの料理はない。
 しかし、遠来の客をもてなすご馳走なのである。何の気負いもてらいもなく、自分たちの日常そのままに心を尽くす、その素朴で温かい気遣いにボクは少なからず感動を覚えた。高価な食材を使った贅沢な料理は目と舌を喜ばせるが、心に染みわたる味であるかどうかは疑わしい。ボクは、タダで泊めてもらうお礼の意味もあったのだが、見栄を張ってロブスターを五匹も買ってきた自分を恥ずかしく思った。お陰で帰国した今も、ジーナさんの父上が自ら製ったというワインのまろやかだったことや親しく言葉を交わさせていただいた母上の笑顔を思い起こすと、ボクの心はいまだにぽっと温まってくる。

 翌日。ボクらは娘と三人でプリンスエドワード島へ向った。
 ハリファックス発シャーロットタウン行き始発便のフライト時刻は七時三十分である。朝六時にはマリンズ家を出なくてはならない。ボクらは五時に起きた。すると台所から物音が聞こえてくる。看護婦をしているジーナさんは遅番の日とのことで、セシルさんがボクらのためにフレンチトーストとスクランブルエッグを作ってくれていた。それを美味しくいただき、ボクら三人はセシルさんの車で空港まで送ってもらった。
 見知らぬ外国人をタダで泊めてご馳走し、しかも早朝の出勤前に空港まで約四十分の道のりを車で送り届ける。これは親切などではない。真心の発露なのだ。ボクなんぞにはとても真似ができない。しかもプリンスエドワード島から戻ってきた日はジーナさんが迎えに来てB&Bまで送り届けてくれ、ボクら夫婦がハリファックスを発つ日の早朝もセシルさんがB&Bから空港まで送ってくれたのだから、もはや形容のしようがない。ボクは被っていた野球帽を脱いで、まさに脱帽した。


 マリンズ家ではボクら夫婦を泊めてくれた翌日からキッチンのリフォームをはじめた。
 プリンスエドワード島から戻ってきた夜に挨拶に立ち寄ると、セシルさんが広い庭の先の林の入り口で廃材を燃やしていた。彼は「今、キッチンを燃やしているところなんだ」とウイットに富んだ言葉を返した。
 友人がひとり手伝いに来ていたが、キッチンリフォームも自分の手でやるらしい。
 仕事が終わった後の時間と休日を利用してコツコツやるので完了するのは一週間後かな、と言って彼は微笑んだ。フレックスタイム制度で働く彼は午後四時には帰宅できるらしい。
 そうそう、書き忘れるところだったが、ボクらが立ち寄ったのが午後九時前。それでもあたりは明るく日本の午後五時頃と変わらない。緯度が高いところでは陽が沈むのが遅い、つまり昼が長いというが、その通りだった。昼の長さとフレックスタイムがセシルさんの作業を可能にしていることは間違いないが、それ以上に生活に対する心構えがボクらとは違う。
 共稼ぎであるマリンズ家では、夫のセシルさんと妻のジーナさんの役割分担が実に明確になっている。その約束事を守りながらお互いを労わり、仲睦まじく暮らしている。裕福とは見えないが現状への不満も少ないようだった。ムダを省き、あくせくせずに日々を楽しんでいるように、ボクには見えた。システムエンジニアのセシルさんと看護婦のジーナさんは四十歳前後のご夫婦だが、家庭を大切にしながらそれぞれの道を真っ直ぐに歩いている。それをそばで見ることの出来る娘は、英語だけではなく、さらに大切なものを学んでいると、ボクは確信できた。ハリファックス空港でセシルさんと別れる時、ボクは手を振りながら、心の中で深々と感謝のお辞儀をした。


 カナダから帰ってきてしばらくの間はジェットラグに悩まされたが、ようやくそれも癒えた。先日ボクと女房殿は、セシルさんとジーナさんに、値段は安いが柄のいい夏の浴衣をそれぞれ一枚ずつ航空便で贈った。でも、その浴衣はユニクロで買ったものだとは書けなかった。いくつになってもつまらぬ見栄が抜け切らない。恥ずかしい限りである。



今回のカナダ旅行で撮ってきた写真「6月のカナダ」へ


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