子供とあゆむ足跡から


第15集 隻眼(せきがん)から見えた社会

片目で気付いた体験談を書いてみました(’99年6月作成)。


 結局、何が原因なのかはっきりしなかったが、左の目が炎症を起こしたため、しばらくの間、眼帯を付けて生活することになってしまった。眼帯をつけていると、メガネがかけられない。幸い、右目は近視ではあるがそれほど度が強くない方だったので、たいがいのことは何とかなった。それでも、不自由を余儀なくされる場面が多くあった。

 メガネなしで視力が低下すると同時に、片眼になると距離感覚があやしくなる。簡単に言えば、風景がテレビ画面を見るようにのっぺりとした平面に感じられるのである。例えば食事の時、なにげなく食器や箸を口元に運んでいるが、片目になるとその位置が微妙にずれる。自分の口は直接見えないので、普段私たちは両目で見た食べ物との距離感によって無意識にその位置を調整しているのであろうか。
 まあ、それでも家の中の生活では、多少の違和感はあっても不自由をするというほどの大げさな場面は無かった。

 一番の問題は、街中を歩くことであった。
 片目になったとは言っても仕事を休むほどのことでは無かったので、会社への通勤の往復が必要となる。これが、なかなかの大仕事。明るい朝方はまだしも、日が落ちて薄暗くなった帰り道は、まさに危険と隣り合わせであることを感じずにはいられなかった。
 歩道と車道の段差、道端の側溝や電柱、あちこちの歩道のつなぎ目にある数段の階段、街路樹に根が張り出し不規則に波打った舗装、手すりのない駅の階段の下り、渡りきる前に信号が変ってしまう広い通りの横断歩道。
 つぎはぎだらけで造られてきた街中は、意図したわけではなくても、健康な人や車の利用者のみが自由に行き来できる街になってしまっている。お年寄りや体の不自由な人にやさしい街づくりを、と最近よく聞く話ではあったが、まさに実感として体験することになってしまった。

 人は元来勝手な生き物であり、自分が直接感じたり困ったりしないと、なかなか他人の困っている状況を真剣に受け止めることができないものらしい。阪神大震災直後はあれだけ騒がれた地域の防災対策も、不景気の風に吹き飛ばされたようにあまり聞かれなくなってしまった。そして、忘れた頃に災害はやってきて、歴史は繰り返す・・・・。いやいや、賢い人間には学習効果はあるはずだから、少しずづは良い方向に向かってほしいと思う。

 自分の周りをゆっくり見回してみて、少しでも他人の不自由さに気付き、手助けをできるようになりたいものである。

 


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