子供とあゆむ足跡から


第16集 マンガと読書

マンガによる読書について考えてみました(’99年6月作成)。


 私のこどものころ、マンガといえば幼稚で低俗なもの、役に立たないものと言われていました。したがって読書といえば、活字だけが並んでいる本を読むことでした。とはいっても、決してまじめな文学作品を読んでいたわけではありません。ある時期は、コナンドイルや江戸川乱歩などの探偵小説に、あるときはジュールベルヌなどのSFものに、または司馬りょう太郎などの歴史小説に、という具合に面白そうな本を読みあさっていただけでした。そんな読書でも、本を読むスピードや文章の理解力など、それなりに身にはついたように思います。

 ところで、今のはまさにマンガ全盛の時代です。とくに子供向けの本では、書店の棚の大半をマンガやコミックものが占めています。日本の歴史や偉人の伝記もマンガ化されていますし、月刊の学習雑誌でも紙面の多くにマンガが使われています。本ばかりでなく、広告にマニュアルにとあちこちにマンガが利用されています。
 確かに、表現力だけで比べると、活字とマンガでは、ラジオとテレビほども差があるわけで、マンガが多くの情報をわかりやすく伝られることから、このように広まるのは当然の成り行きとも思われます。
 例えば、私たちも、最近のインターネットの普及のよって、電子メールを利用するようになりましたが、活字だけの表現の乏しさをおぎなうため、笑ったり(^^;、泣いたり(;;)、謝ったりm(__)mというような、感情表現をあらわすフェイスマークをよく使います。これもある意味では、マンガ文化の延長線上にあるものともいえましょうか。
 これらの状況を見ると、マンガ=低俗という発想は、すでに博物館入りのものであって、マンガが表現の1つの手段として一般にも認められたように見えます。

 そうなると気になるのは、それまで、活字本を読むことで養ってきた子供の能力が、マンガ本を読むことでも得られるのかどうか、ということです。日本語の文化継承がどうのこうのという議論もあるかもしれません。しかし、そんな高尚な問題は別にして、子供の国語力がマンガによって養われるかどうかということです。
 読書によって養われてきた能力としては、文章の理解力、ストーリーやテーマを捕まえる力、文章を読む早さ、新しい知識、国語の表現力などが考えられ、勉強のためだけでなく、生活する上でも基礎となるものです。
 確かに、試験における文章の理解力は、同じような活字本を読むほうが効果的とおもわれます。しかし、知識を豊かにしたり、ストーリーを把握することに関してはそれほど差があるかどうか、あまり確かな話を私も聞いたことがありません。かえって、表現力があり分かりやすいという点では、マンガの方に軍配があがるのかもしれません。さらに、子供が一心腐乱にマンガを読んでいるのを見ると、集中力を付けるのにはいいんじゃないかと感じたりもします。

 それでも、子供の本棚にマンガ本しか並んでいないのを見ると、なんとなく心配になってしまうのは、私が古い世代の人間だからでしょうか。
 みなさんのご家庭は、いかがでしょう。


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