子供とあゆむ足跡から
母親と娘の関係、そして父親の立場についてのおはなしです(’00年7月作成)。
父親にとって娘というものは、なんとも難しい存在です。あどけない子供から、次第に一人前の女性へと成長するのどうやって見守ってゆけばよいのか、とまどうことばかりです。それに比べて、母親と娘とはお互いに良く話もしますし、買い物にもそろって出かけますし、なんとも仲むつまじく見え、うらやましいかぎりです。自分が経験したのと同じように成長し、楽しい話し相手となり、そしてある程度大きくなれば相談相手にもなれるような娘の存在は、母親にとって頼もしいものなのでしょう。皇后美智子様と実家のお母様の例を上げるまでもなく、母と娘の仲というのは、それそのものが一遍の小説といえるような、濃厚な関係がはぐくまれてゆくもののようです。そのものがたりの中で父親といえば、せいぜい花嫁の父として、場面を盛り上げるためにちょこっと登場する程度であり、まことに影の薄い存在です。
世の中には、いろいろな事情から、父親一人で子育てをされている方も多くいらっしゃるのでしょう。それでも、母親にべったりと甘えている娘の姿を見ていると、残念ながらこの役割を父親が代わってつとめるのは、とても難しいことに思えます。女性の方にいろいろと聞いてみると、ある時期にべったりと母親に甘えたがるのは、ごく普通のことのようです。母親が小さいころに不在がちでこのような機会が持てなかったりすると、かなり大きくなってからも、無性に甘えてみたくなったりするそうです。男性が女性に対して感じるような包容力のある母性というのは、こんな甘えの中で身に付いてくるものなのでしょうか。このような機会が少ないと、逆にさっぱりと男性っぽい性格になりやすいのかもしれません。
そして、父親にとってさらにわからないのが、年頃の娘の下着などの洋服選び。残念ながら、ほとんどはいりこめない部分です。
では、父親の役割はというと、はて、と首をかしげてしまいます。父親と良く話をする娘さんというのもなかにはいるようですが、我が家ではもっぱら母親と話をするばかりで、父親と話をすることはあまりありません。ときには、夫婦の会話に割り込んで、母親と話したがったりもします。
まあ、大きくなって社会に出るようになれば、直接アドバイスを出来ることも出てくるのかもしれませんが、思春期はもっぱら母親の黒子とお財布の補充係りというのが順当な役割なんでしょうか。