子供とあゆむ足跡から
不本意な結果を受けた子供とどう向き合っていくのか考えてみました(’00年9月作成)。
テレビが華やかなシドニーオリンピックの開会式の模様をつたえています。晴れやかで誇らしげな顔をした選手たちが、次々と入場してきます。オリンピックが近づくにつれて、数多くのテレビ番組がメダル候補といわれる選手たちの練習風景を伝えたり、代表選考にいたるドキュメンタリー番組を特集したりしてきました。その結果として、期待を一身に背負わされる選手のみなさんも、さぞかし大変なことでしょう。でもそれ以上に、その親御さん気持ちはどんなものかと思われます。無事に期待通りの結果を出せれば言うことはありませんが、自分のベストにほど遠く、なかなか思った結果が出せない場合も多くあります。体力を競う場でありながら4年に一度の大会となると、次の出場機会があるのかどうかすらわかりません。残念だったけど、次には頑張りましょうとはいえないわけです。このような状況は、オリンピックほど極端ではなくても、学校の入学テストなんかにも当てはまることです。
一生懸命準備をしてきたのに、その場では上がってしまってうまく実力を出せなかった。これは、大なり小なり誰しもが経験する事です。大人になってからでもなかなかつらいことですから、子供の時にひとりでその失敗を乗り越えるのはかなり難しいことと思われます。そのとき、そばにいる親は、どうしてやればいいのでしょう。
まずは結果に関わらず、いや、結果が出る前から、努力している過程を認めやることが大切なんでしょうか。努力している時に、頑張っているねと声をかけてやることです。そうすれば、ちゃんと自分の努力を見てくれている、ということを子供も実感ができます。親としてはともすると、そばにいて子供のダメな部分、足りない部分ばかりが目に付いてしまうため、つい、いろいろと口を出してしまうことが多くなります。それで失敗すると、ああ言われたのに、と否定的な方へ気持ちが行ってしまがちです。どんな状況になっても、ちゃんと自分を見ていてくれる親がいることが、子供にとっては失敗から立ち上がる時の大きな支えとなるはずです。
息子の小学校での最後の冬に、子供たちから希望者をつのって市の駅伝大会に参加することになりました。場所は新装まもない横浜国際競技場ということで、走るのは遅い方の息子も競技場に入りたいためか、希望して毎日の朝練に通っていました。ほかはみんな走るのが得意な子供たちですので、練習でも一番最後を走っていたようです。途中で練習を見に行ってみましたが、やっぱり速い子と比べると見劣りがしました。特にタイム制限もなかったので、どんな遅い子でも大会には参加できたのですが、4人1組の駅伝では人数が余ってしまい残念ながら補欠参加となりました。
本人は残念そうにしていましたが、練習でのタイムは日々良くなっていたことをほめてやると、最後のタイム取り練習ではビリでなかったとうれしそうに言いました。幸い当日になって欠席があったため、駅伝メンバーとして走ることができました。タイムが良い子供たちをそろえた組は、なんとゴール前の競り合いに勝って優勝してしまいました。息子が参加した組も、順位は後半ではありましたが、まだまだいっぱいうしろの組がありましたから、そこそこ実力は出せたようです。本人に聞くと、十何人かに抜かれたけれど、十人ぐらいは追い抜いたと自慢していました。
たとえ駅伝に出られなかったとしても、息子はちゃんと友達の応援が出来たのではないかと思っています。
リストラの嵐が吹き荒れる中で、親自身の将来設計すら不透明になってしまっています。なかなか子供の進路についても、適切なアドバイスをすることができません。でも、親が不安定な心になると、子供はもっと不安定な状態となってしまいます。たとえその場で答えは出せなくても、一緒に子供の気持ちに寄り添ってあげることが出来る親でありたいものです。