子供とあゆむ足跡から


第31集 学びの心

中学から高校への進学についてです(’01年2月作成)。


  しばらく前から、我が家の新聞に折り込まれるミニコミ紙に、私の高校時代の同級生がコラムを書いています。パソコンの話題やPTAの話題など、同年代であるだけに、やっぱり同じようなことを感じているんだなあと、共感を抱くことが多い内容となっています。
 最近のコラムにこんなことが載っていました。中学3年生になった息子が、勉強もせずに家の中でごろごろしているのを見て、こう言ったそうです。「中学までは義務教育だから親が面倒を見るのはしかたがないが、高校へ行きたいのなら、両親にお願いしますと、たのまなければいけないんじゃないのか」、と。

 我が家でも最近、まったく同じような話を中学生の息子にしました。「中学校までは、勉強をしたくなくても、義務教育だから通わなきゃいけない。だが、高校は勉強をしたい人が行くところだ。勉強をする気もないのに、無理にお金を払って進学をするのは無駄なだけだ。それなら、高校に行かないでもいい。ただし我が家は、遊んでいる人を養うほど裕福な家庭ではないから、進学しないのなら資格を取るなど、仕事をすることを考えろ」、と。
 本人がそれを聞いてどう感じたのかはよくわかりませんが、そのときは高校に行くという返事でした。でも、その後もあいかわらず、ゲームやコミックにばかり熱中していて、勉強する時間がとくに増えたこともないようですから、どこまで理解したのかは疑問ですが。

 小学生以下の子供にとっては、自ら勉強をすることの意味や面白さを見出すことは、なかなか難しいことです。どちらかといえば、親の教育方針に従って塾に通い、難関校の受験に挑むという場合が多いと思います。でも、中学から高校へと進学する時には、そろそろ自分の人生設計を意識することが必要です。もちろん、考えたら答えがすぐ出るような簡単な問題ではありません。最後は、親の意向にそってとりあえず進学するということに落ち着くかもしれません。それでも、自ら考えてみるということは、その後の人生にとっても大切なことです。

 まあ、えらそうに書いている自分自身は、振り返って思い出してみても、ここまでまじめに考えて高校進学を決めたわけではありません。「そこに山があるから登る」というように、そこに高校があって、まわりの人も行くのがあたりまえという雰囲気だったから、という程度の理由です。私の時代は、日本の高度成長神話の全盛期で、学歴がすべてを決めると思われていたころですから、進学しない理由を探すほうが難しかったかもしれません。
 でもその反動で、いまごろになって押し寄せてきた、実力主義、リストラ、自己責任などの荒波に翻弄されてしまっています。自分でまじめに考えてこなかったつけが回ってきているような気がしています。

 これからの時代、一度社会に出てから、勉強の必要性を痛感して学びに学校へ戻るというルートがあってもいいわけです。親の役割は、できるだけ多くの可能性を提示してやり、本人の意思を尊重しながら手助けをしていくことでしょうか。少なくとも、自分の時代の価値観を今の子供に押し付けても、通用しなくなっていることは、わかっていなければいけません。

 さて、おたくの進学事情はいかがでしょうか。
 


第30集へ<<= 第31集 =>>第32集へ

子供とあゆむ足跡から目次へ  ☆ホームページへもどる