子供とあゆむ足跡から


第32集 卒業式の風景

久しぶりに参加した小学校の卒業式のことです(’01年3月作成)。


 近頃の学校の行事は平日に行われることが多いため、我が子の関係するものでないと、なかなか参加することができません。今年はたまたま、連休の谷間の平日で休みが取れたため、久しぶりに引っ越し前の小学校の卒業式を訪れました。今年は、私がPTA役員を始めた時の入学生が、ちょうど卒業する学年となっていたこともあります。

 入学式のころは、パイプいすに座ると足が下まで届かなくて、ぶらぶらさせているのをほほえましくながめていましたが、そんな子供たちも、すっかり大きく成長していました。ひとりひとりが、卒業証書を受け取る姿を見ていると、学校についてほとんどなにも知らなかった、当時の自分も思い出されます。見ること聞くことすべてが新鮮に感じられた初心のころ、日常に流されがちな自分自身を見返るためにも、このような区切りがあるというのは、子供たちにとってもいいことに思われます。

 ところで、今回の卒業式では、いくつかの新しいスタイルが取り入れられていました。一つは、担任の先生が卒業生の名前を呼ぶときに、ひとことずつのコメントが付いていたことです。運動会で活躍した子、クラブのリーダーとして後輩の面倒をみた子、小学校の卒業を寂しく思っている子、それぞれの子供たちの思いや様子が伝って来ます。そしてもう一つは、校長先生が子供たちに卒業証書を手渡すときのことです。これまでは、演台を挟んでその向こう側からの手渡しでしたから、舞台の下からはこどものお尻しか見えませんでした。今回は、演台の手前に左右に並んで、互いに向き合っての手渡しでしたので、保護者席からも子供たちの表情がよく分かりました。いずれも、子供たちが行事の中心であることをちゃんと考えての演出だったように感じられます。後でうかがったところ、手渡しをするときに校長先生からもひとことずつ、子供たちに声をかけていたそうです。壇上で、とまどったような表情や、照れくさそうな表情をうかべていた子供たちがいた理由も、それで納得出来ました。単にリハーサル通りの進行では、こうはならなかったでしょうから。

 個性を育てる教育とか、ゆとりの教育とが、いろいろと改革の必要性が問われている学校教育です。でも、理念や方法論よりもっと大切なことは、ひとりひとりの子供たちと向き合って教育をしているか、ということのように思います。型にはめようとしたり、あたまごなしに怒ったりせず、まわりの大人たちが、ちゃんと自分をみてくれている。そのことを子供たちが自覚できていれば、多少の困難やつらいことも乗り越えていってくれるのでしょう。そして、そのことは学校の先生以上に、自分たち大人が求められていることでもあるわけです。

 いろいろ偉そうなことを並べている自分も、子供たちとちゃんと向き合う機会がだんだんと減ってきています。いちばんに反省をしなければいけないのですけれど・・・。
   


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