子供とあゆむ足跡から


第36集 総合評価のむずかしさ

点数化できない能力をどうやって評価するべきなのか(’01年11月作成)。


 中学から高校へ進学することになると、受験は避けて通れません。 まずは、中学校の内申書の点数でだいたいの進学先が絞られてきます。 よほどの難関校では、当日の試験の点数だけという学校もありますが、まあ、そんな学校を受ける子供は、当然学校の成績もいいのでしょうが。

 最近の内申書では、学科の点数以外に、普段の学校生活の態度も評価として記載するという形をとっています。 クラス委員を勤めたとか、クラブを3年間休まず活動したとかが、その対象となるようです。 一年生の入学のころから、この評価点の話をする先生もいるようです。

 学科の成績ばかりでなく、学校生活のいろいろな場面で子供たちを評価するというのは、いいことだと思います。 人をまとめるのが得意という子もいるでしょうし、行事の企画が得意という子もいるでしょう。 なかには、交渉ごとが得意という子もいるかもしれません。 これらの能力は、学科の成績と同程度以上に、社会生活では有用なものです。

 しかし、テストの結果で簡単に点数化できる学科と違って、このような個人の能力を評価する明確な判断基準は作りにくいものです。 いきおい、かたちにあらわれるものが判断の根拠に利用されます。 それが、委員であったり、班長であったりするわけです。

 ところが、ひとたびこのような判断基準が作られると、自分のやりたいことや出来ることは関係なく、その肩書きを得ることだけを目指す風潮が表われるようになります。 仕事があまりなさそうな楽な委員に大勢の生徒が立候補する、そんな状況が現実に起こっています。 内申書に敏感な親の側も、そんな風潮を助長するように、我が子の立候補をけしかけたりします。

 これは、とあるクラブで部長をしていた生徒の親御さんから聞いた話ですが、そのクラブで各パートのリーダを選ぶとき、何人かの立候補があったそうです。 ところが、その家の子供のところに、「だれだれさんは、点数稼ぎで立候補しているだけで、ぜんぜんやるきは無いんだ」、というような中傷の電話が何本もかかってきたそうです。 とうとう、そのお子さんは心労で体調を崩し、学校を休むことになってしまったそうです。

 テストの点数を気にするだけでなく、普段の学校生活全般がこんなギスギスした雰囲気になってしまったら、子供たちは四六時中、緊張を強いられることになります。 学校から疲れた様子で帰ってくる、今時の子供たちをみていると、がんばれというのは酷な気がします。

 評価する側は、表面的な形だけでなく、もっと内容を見る目を養ってほしいものです。 少なくとも、どんな成績の子供であっても、喜んで通えるような学校であってほしいと願っています。
    


第35集へ<<= 第36集 =>>第37集

子供とあゆむ足跡から目次へ  ☆ホームページへもどる