子供とあゆむ足跡から


第39集 子供の感性を育てるために

ドライと思っていた子供たちが見せた意外な一面です(’02年3月作成)。


  今月、長男が中学校を卒業しました。 幼稚園、小学校、中学校と、早くも11年の歳月が流れたことになります。 体育館の床に届かない足をぶらぶらさせていた、小学校の入学式。 来賓席の親を横目で見ていた、小学校の卒業式。 引っ越し直後で、不安な表情で迎えた中学校の入学式。 私たち夫婦にとっても最初の子供であり、それぞれが初めての新鮮な経験でした。 振り返ってみると、それぞれの節目節目における情景が思い起こされます。

 さて、中学校の卒業式です。 相変わらずの平日の行事のため、直前まで仕事の都合がわからず、ようやく前日になって半日の休暇が確保出来ました。 やはり、仕事をなかなか休めない年代となった父親が多いのでしょうか、式場の体育館には男性の姿はまばらにしか見られません。 カメラの数も少なく、ごくひかえめの撮影となっていました。

 特に新しい演出もなく、従来通りの形式でおこなわれ、卒業生の入場、卒業証書の授与、校長挨拶、来賓挨拶と、次第にそって淡々と式典は進みました。 そして、在校生代表の送辞に続き、卒業生代表の答辞が始まったところで、私にとっては思いがけないことがおこりました。 その代表は、生徒会長も勤めたことのある男子生徒でしたが、話の途中で感極まって、言葉に詰まってしまったのです。 それをきっかけとして、あちこちで卒業生の鼻をすする音が聞こえ始めました。

 すでに式の開始から一時間あまりを経過しており、だまって座っているのに飽きてもおかしくないような時間帯です。 テレビ番組でも、ゲームでも、コミックでも、いつもどぎつい刺激的な場面にさらされており、一般的にはドライだと風潮されている子供たちです。 まして、男の子となると、あまり親とは話したがらない年頃になっており、その気持ちのおし量ることも難しくなってきています。 そんな子供たちの心の中に、意外にも、かなりウエットな一面があることをかいま見たわけです。

 こんな様子を見ていると、子供たちをドライにさせているのは、大人たちの作り出してしまったドライ社会環境によるものではないかと思われてきます。 近所つきあいにしても、親戚つきあいにしても、それにまつわる冠婚葬祭にしても、以前はもっと身近で、もっと濃厚な人と人との交流があったはずです。 自分の心を正直にさらけ出せる環境が無くなっていることが、表面的なドライな関係しか作ることの出来ない原因なのかもしれません。 昔が無条件によかったわけではありませんが、子供たちの感性は環境に左右されるということを、あらためて考えさせられる出来事でした。

 おたくのお子さんが、泣くところって、見たことがありますか?
    


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