子供とあゆむ足跡から


第4集 私がPTA会長になったわけ(その3)

PTAのいろいろな活動について書いてみました(’98年2月作成)。


【あいさつのこころえ】

 会長という肩書きについてまわるのが、ごあいさつ。PTA関係の会議では、開会のことばと同じよう形式的なもので、特別に考えることもありませんが、公式行事となるとそうはいきません。年間の大きな行事としては、入学式、卒業式、運動会の3つがあります。これらは、こどもたちの前でのあいさつとなることも、気を使う理由の一つです。たいがいは、校長先生が話を終えた後、来賓代表としてのあいさつになります。当然、先生は子供の前で話をするのが本職ですから、そつなくまとめられます。ただ、話好きな方が多く、多少長めになる傾向はありますが。その後にずぶの素人が出ていくわけですから、とてもぶっつけ本番というわけにはいきません。

 それで、例によって例のごとくに、まずは本屋での情報収集から始めました。これは、スピーチ集とか、人前での話方とか、結構な種類の本が棚に並んでいます。しかし、例としてのっている内容は、「朝はあいさつをしましょう」とか「ともだちをつくりましょう」とか道徳の教科書のようで、校長先生でもなければとても使えないような内容ばかりでした。

 しかたなく、1週間ぐらいかけて無い知恵をしぼって原稿をつくり、2日前ぐらいから一生懸命暗記して、本番を迎えるという、まるで学生のテスト直前状態のようになりました。とにかく3分以内の短い時間におさめること、そのために言いたいことは1つに絞っておくことを心がけました。

 それでも初めの頃はドキドキもので、子供たちの反応を見るような余裕は、まるでありません。あの、一段高い壇上に上がることが結構くせもので、見慣れないおじさんが階段をのぼるのを、子供たちが好奇の目で見ているのを感じると、なおさら緊張するという状況でした。あるときは、直前に同じような内容の話を校長先生にされてしまい、しどろもどろでごまかしたこともありました。

 でも、おかげさまで、評判はそれほど悪くは無かったようです。結果的には、自分の考えた言葉で話をしたことも、先生の話とは違ったおもむきで、新鮮な印象があったようです。まあ、一番の理由は、校長先生の話より、ずっとずっと短かかったからなのですが...。


【学校を支える人たち】

 個々の学校に関係した組織で、PTAが参加しなければならないものがかなりありました。

<学校施設利用運営委員会>
 週末や夜、スポーツの同好会など一般利用者に体育館や校庭を貸し出す組織。

<学校5日制支援事業推進協議会>
 平成6年度より導入された学校の土曜休日化に対応する行事の実施。

上記2委員会は、平成8年度より学校開放運営委員会として一本化されています。

<スクールゾーン対策協議会>
 通学との安全対策の検討会。実際には、役所や警察などに対する、PTAからの改善依頼の会議となっています

<学校、家庭、地域連携事業実行委員会>
 中学校区単位で設けられており、実務は中学校と中学のPTAが担当。地域ぐるみの子どもの育成を考えるところ。

 いくつもの組織がありますが、そのメンバーは学校代表、PTA代表、町内会・自治会などの地元代表と大部分が同じ人であり、残りはその会議の目的に応じたメンバーということになります。会議以外でも、学校の主要行事である卒業式や運動会などの来賓は、地元の町内会・自治会会長となります。つまり、町内会関係者に協力をしていただくことが不可欠となります。

 私のいた学校は、5つの町内会自治会が含まれるところでした。昔と違って学校の先生に地元の人は皆無ですので、PTAがそのつなぎ役となることを期待されます。幸い、地元の組織がしっかりしており、私自身が自治会役員でもあったため、特に困ることはありませんでしたが、町内会組織が無かったりすると、依頼先がはっきりせず困ることが多いようです。

 保護者や先生ばかりでなく、いろいろな人たちに支えられて、はじめて子供たちの学校生活が成り立っていることを学びました。神戸の事件の後、「地域ぐるみの教育」と盛んに言われるようになりましたが、このニュータウンの中でもまだまだ考えていかなければならない大きな課題です。


【父親とPTA】

 初年度は、2学期になってから5日制支援事業に関連づけて、ようやく独自の行事を行うことができました。マフラー編み、わらの正月飾りつくり、縄文土器つくりと3つの企画を立てましたが、あとの2つは地元の有志の方に協力をしていただきました。とくに、土器つくりは粘土でかたちを作って乾かした後、近くの空き地で野焼きをするという大がかりなものとなりました。近くの保存林から提供していただいた間伐材を利用し、直径5mものたき火を3つおこして、数十個の土器を一気に焼き上げるという豪快なものでした。あまりにすごい熱気で、顔がたき火やけをしてしまい、しばらくはひりひりとするほどでした。

 昔はどんど焼きなどの地元の行事が盛んだったようですが、最近の子供達は大きなたき火を直接目にすることなどほとんどないようですので、土器と一緒につくったやきいもを大喜びで食べていました。

 このような大がかりな行事を実施するとなると、やはり頼りになるのは男手です。しかし、前にも述べたように、普段の平日のPTA活動に父親が参加することはおよそ不可能に近いことです。私のいた学校でも、役員をのぞけば、いまだかつて男性がPTAの委員となったことは皆無でした。しかたなく、初年度は役員の個人的なつてを頼って、手伝いをお願いしてなんとかしのぎました。このときの反省をふまえて、翌年より年度始めにお手伝いを募り、その人たちが中心となって企画運営を行うという試みを始めました。委員とは異なり週末のみの活動が可能ですので、その中には父親もぽつぽつと参加してもらえるようになりました。父親が中心となってドッジボールなどのスポーツ大会が、母親が中心となってクリスマスリースなどのもの作り教室が開かれています。

 このような行事をきっかけとして、父親もPTA活動へ関心を持ってもらえたらと思いますし、積極的に協力していただける方も増えています。しかし、活動時間の問題はいかんともしがたく、なかなかそれ以上先には進めません。学校によっては「親父の会」のような男性の組織を、別に設けているところもあるようです。まずは、顔を合わせて本音の話し合いが出来るような場を作ることが、一つの方法かと思いますが、残念ながら私の任期中には実現しませんでした。

 わが子の受験面接となれば会社は休めても、PTAの活動に休みをくれる会社は、まだまだ多くはありませんから。

(その4へつづく)


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