子供とあゆむ足跡から
なにをやるにも、手本のない手探りの教育問題です(’02年12月作成)。
ここのところの新聞記事を見ていると、子供たちの学ぶ意識の低さや、勉強時間の少なさが、世界規模での調査結果と並べて、しきりと論議されています。 それによれば、自宅での学習時間が、先進諸国のなかでも、最下位となるほど少ないことや、学年が上がるほど、勉強が楽しいと思う子供の割合が減っていくということが示されています。
それらの調査結果に対する、各種記事の論調やコメントでは、”昔のように親がちゃんと勉強をさせなきゃいけない、ゆとり学習は子供をダメにするだけだ”という、しつけ推進派から、”一生懸命勉強をやっても将来どうなるのか、今の社会情勢では、子供に夢を与えられない、まずは社会を立て直さなければいけない”という、社会改革派まで、実に様々な意見が出されています。 どれもこれも、それなりにうなずける根拠のある意見です。
でも、おなじ現状に対して、これは白にすべきたいう人もいれば、いや黒にすべきだという人もいる中で、じゃあ現実の問題として、自分たち親はいったいどうすりゃいいのだろうと、なってしまうわけです。
価値の多様化とか、個人の尊重とか、選択肢の拡大とか、さまざまに表現される教育環境の変化の最先端に立たされているのは、実は子供たちの側ではなく、親の側なのかもしれません。 勉強をして良い成績をとり、良い学校に入り、一流企業に入るという、ほとんど唯一の価値観があれば事足りた時代では、なくなってしまったのですね。
何回か前に書いたように、わが家では、勉強に対してはどちらかというと放任主義で来ています。 つい最近あった高校受験も、無理をして塾に通わせることもなく、その時の成績で間違いなく入れそうなところを選んで進学しました。
高校生になっても、相変わらず家ではほとんど勉強をしませんし、親もうるさくいいません。 でも、自分の今のレベルに合った学校を選んでいるので、教科によってばらつきは大きいものの、全体に中学校よりもいい成績が取れるようになったようです。 それがためか、毎朝ちゃんと起きて学校にも通ってますし、まじめに授業にとりくんでいるようです。 学期末の個人面談でも、なんの問題もない生徒だといわれました。
いやがらずに通えるような学校で、自分の好きな教科とか、それにそった将来の方向がぼんやりとでも見ることができるなら、落ちこぼれないようにようやく授業についていっているよりは、はるかにいい状況かなと思っています。 いまのところ、本人からの相談でもなければ、黙って様子をみている方がよさそうです。
まあ、親の希望としては、毎日TVゲームに熱中している時間の一部でも、勉強にまわして欲しいなとも思いますが。