子供とあゆむ足跡から


第45集 ふたたびのPTA(その1)始まりは突然に

今度は中学校のPTAの現場へ復帰することとなりました(’03年5月作成)。


 今の住所に引っ越して4年が過ぎ、ごく普通のサラリーマン生活になじんでいたつもりだったが、それは、1本の電話によってくつがえされることになりました。2月も半ばのある日、中学校の次年度のPTA役員を選出する推薦委員会より、我が家に電話がかかってきたのです。ご主人=私と、話しをしたいと。

 妻は、この年のPTAの委員会の一つで副委員長をつとめており、普段の活動や懇親会の場で役員とも話す機会があったことから、私が過去にPTA活動を経験していることは推薦委員会にも伝わっていたようです。 ただ、それは引越し前の他の地域での経験であり、この地域の小学校でのPTA経験者や地域の子ども会の関係者など、他にも男性会長候補が多くいる状況では、はるかに低い優先順位だったはずです。

 普段の年であれば、新年早々には会長候補が固まって、それから順次役員メンバーをつめていく手順で推薦委員会は動いていたようです。 ところが、この年は2月に入ってもまだ会長候補が決まらずに、かなり焦っているという噂が流れていました。 実は、なかなか決まらなかった理由がそれなりにあったことを、後になって知ることになったのですが。

 電話で約束した次の日曜日に、近くのファミリーレストランで推薦委員長でもあり現会長でもある方と会って話をしました。 先方からの依頼は、引き受け手が見つかっていない会長職をお願いしたいとのことでした。 私自身、、引っ越してから地域活動との接点がまるでなくなってしまっていたことに、一抹の寂しさを感じでいたこともあり、依頼があれば引き受けるつもりで話の場に出向いていました。 ただ、以前に比べて会社での役職の肩書きも重くなり、平日の休みは取りずらくなっていましたので、定例会議は土曜日にしてもらうなどの、ある程度の配慮をしていただきたいとの要望は出させてもらいました。

 学校側とも相談して、返事をいただけるとのことで、その場の話は終わりましたが、週明け早速連絡があり、学校側の了解も取れたので、お願いしたいとのことで、会長候補となることが、本決まりとなりました。

 後からよくよく考えてみると、他のPTA役員にも、学校にも、周辺の地域町内会にも、まるで知り合いがいない状況で、会長の役を引き受けるというのは、かなり無謀な話だったように思えます。 わずかにあるのは、妻が数年間の委員経験で得た母親同士のつながりから耳に入ってくる情報だけでした。

 雇用による上下関係がはっきりしている会社組織と違い、PTAという組織はいわばボランティア団体ですから、長といえども、ほとんど権限を持っていません。 基本的には、個々の人間関係に基づいて、成り立っている組織ともいえます。 従って、なにか活動しようとすると、お互いの信頼関係がないと、なかなかうまくいかないところです。 一部の会社のように、強権社長のワンマン経営のようなことをすれば、あっというまに空中分解してしまいます。

 旧態依然としたPTAの組織改革を目指し、会長として頑張っている話がインターネットからも時々伝わってきますが、自分の持つ会社人としての感覚で物事を進めようとしても、なかなかうまくいかない理由の1つには、基本的な組織の成り立ちに違いがあるためとも考えられます。

 何はともあれ、ほとんど何も知らない、白紙状態からのスタートと思い、3月半ばの役員の指名総会に望むこととなりました。

 

補足:今回のPTA関係のコラムは、前回が経験後、数年たっての記載であったのとは違い、現役の活動とほぼ同時進行での記載となります。 明確に書けない内容もあり、文章からは理解しにくいこともありますことをご容赦下さい。

(づづく)
     


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