子供とあゆむ足跡から


第46集 ふたたびのPTA(その2)波乱の始まり

新体制でのスタート早々につまづくことになりました(’03年7月作成)。


 PTAの役員ともなると、それなりに風当たりの強い立場となります。 特に一般の委員の大多数が女性であるため、同姓の女性の役員ともなるとなおさらです。 中学校でPTA活動の中心をになう役員さんたちは、だいたいが小学校で同じような役員や委員を経験してきた人たちから選ばれていますから、平均的な保護者像から見れば、ある意味では、より以上に役員という立場に向いた性格の人たちが集まっていることになります。

 この役員向きとは、どんな性格なのでしょうか。 一言でいえば、それなりの強さを持っていることと思われます。 人によっては、表に現れる気の強さの場合もあるでしょうし、当たりは柔らかでも、芯を曲げない強さの場合もあるでしょうが、いやでも、多くの母親に注目される中で、雑多な意向をまとめて活動するだけのパワーが求められるわけです。

 ところが、このような強さを持つ人ばかりが集まった場合、時として互いに相入れず、ぶつかり合いが発生します。 お互いにそれを乗り越えるだけの柔軟性を発揮できない場合、一緒に活動することは、なかなか難しい状況になってしまいます。

 実は、私が会長を引き受けた時には、まさにこのような状況のまっただ中にあったのです。

 前年度の活動の時から、すでにいくつかのぶつかり合いが出ていたようです。 そのこともあって、次の年度の役員を推薦するときも、なかなか引き受け手が見つからずに苦労したようです。 選出期限の間際になって、まったくこれまでの関わりが無かった私の所に、突然の依頼が舞い込んだのも、そんな事情がからんでのことだったようです。
 

 指名総会は型通りに終わり、3月から4月にかけての新旧役員間での引継は、特に議論するような事柄も少なく無難に過ぎました。 問題が発生したのは、各クラスから新年度の委員が選出され、その委員が集まって、新年度の各委員会の正副委員長を選出する場面においてでした。

 選出の仕方をめぐって意見が分かれ、その場は顧問の先生の裁定で収まったものの、その後のうわさ話にいろいろな尾ひれがついて、当事者が辞める辞めないと言い出す騒ぎに発展してしまいました。 直接の原因は、たまたま委員長の選出の仕方でしたが、過去のいろいろないきさつが騒動の下地となって一気に噴出してきたというのが本当のところのようです。

 活動のはじめから、いきなり舵取りとしての私の判断が問われる状況になってしまったわけです。 当然、まず考えたことは、双方が相違点を納得して、元の役員体制での活動を続けていくことが出来ないかどうかです。 しかし、一方からは新たな争点が持ち出されてくるなど、最初の当事者以外にも騒動が広がってしまう状況になり始めていました。

 そのままにはしておけずに、学校側の先生方にも出席していただいて役員会を開き、各自の考え方の溝を埋めるようにと話し合いの場を持ちました。しかし、とてもお互いが納得できるような意見交換には至らなかったのです。

 それでも、見かけだけは元の鞘におさめて、当面の活動を続けることは可能だったかもしれません。 しかし、いずれまた同じような衝突が起こることは、容易に想像できました。 どうするべきか、かなり悩みました。 もっと実績や指導力のある人へ、会長選出をやり直すことも、選択枝として考えましたが、これは、役員全員の選出を初めからやり直すことになるため、さすがに不可能でした。
 

 結局、私が出した結論は、役員皆の合意を得た上で、その時点で辞意を表明していた役員さんに代わるメンバーを再度選出するというものでした。 去るものにとっても、残るものにとっても、決して後味のいい結論では無かったのですが、私の要望としてこの案を提示し、なんとか役員皆の合意をいただくことが出来ました。

 しかし、1度選出された役員を推薦の段階からやり直すということは、学校側にとっても前代未聞のことでした。 規約にも、このような場合を想定してのはっきりした規定は、盛り込まれていません。 推薦を担当された旧役員さんを交えていろいろと相談した結果、まだ前年度の活動報告と今年度の活動方針への承認をいただくための定期総会の開催前であったので、欠員となった分を再度推薦委員会で推薦していただき、総会で承認を得るという手順を踏むことにしたのです。

 

(づづく)
     


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