子供とあゆむ足跡から
子供たちの学校教育について書いてみました(’98年3月作成)。
【男女の区別と差別と】
その事件が起こったのは、卒業式をまじかにひかえた、3学期のことでした。高学年のあるクラスにおいて、男の子たちが校舎のベランダを段ボールで仕切り、クラスからの分離独立を宣言するというものでした。クラス内で、男の子と女の子が仲たがいをした結果、男の子が実力行使に出たのでした。男の子は高学年になると、親とあまり話をしなくなってきますが、女の子は母親とけっこう話をします。女の子が親に男の子の悪さをはなし、それが男の子の親に伝わってしかられたと言うのが、直接のきっかけとなったようです。口喧嘩では、女の子にはかなわないし、暴力に訴えればまたしかられるので、苦肉の行動だったというわけです。このときは、先生が話をしておさめたようですが、なにかあると、男子対女子との図式になることが結構あるようです。これは、一般世間でも同じなのかもしれません。
そんなことへの対策として、最近の学校では、男女混合名簿を採用し始めています。名簿順でも背の順でも、男女の違いなくいっしょに並べるものです。また、運動会の競技なども、出来るだけ男女を分けずに行うようにしています。確かに、男女の差別の意識というものは、まず学校教育の中で植えつけられることが多いのかもしれません。朝礼で並ぶのも、教室ですわるのも男女別となると、先生の側も無意識に比べて、男の子がどうの女の子がどうのと言ったりします。個性の重視といいながら、男の子らしさ、女の子らしさという枠におしこめてしまうこともあるでしょう。大人になれば、体力的な面で明らかな違いが生じます。でも、男女の区別をつけることと、差別をすることとは違うことです。この違いは、一般社会でもなかなか認識出来ていないことだと思います。それどころか、差別があってあたりまえと思っている人も少なくありません。一度植えつけられた認識を変えるのは、そうそう簡単ではありません。そんな意識を変えるためにも、運動会の徒競争も男女混合で行うような試みは、小学校では効果のある方法でしょう。ぜひ今後も続けてほしいと思います。
【ハンディを持った友達とともに】
私のいた小学校には、障害をもつ子供たちのためのクラスが設けられていました。よく世間では特殊学級といいますが、まわりの子供と少し違うだけで「特殊」というのもおかしな表現です。それで、最近ではあおぞら学級とか、特別な意味を持たない学級名が使われています。できれば、他の子供と同じ教室で机を並べられるのがいいのでしょうが、すべて同じ学習課程というのも無理があるかと思います。けれども、同じ学校に通うということだけでも、本人やまわりの子供たちにとっては意義のあることと思います。
身近に障害を持つ子がいることを、子供たちはごく普通に受け入れています。いろいろな面で垣根をつくってしまうのは、むしろ大人の方なのかもしれません。私も、学校へいくたびに顔を合わせるそんな子に、違和感を感じることはなくなりました。世の中にはいろいろなハンディを持った人がいること、そしてそんな人をだれでもが手助けしてあげられること。こんなことを小さい時から身近で感じられる環境にあれば、ハンディを「特殊なこと」として差別することもなくなるのでしょう。運動会では、他の子供たちといっしょに不自由な足で一生懸命走る子を、みんなが大きな声で応援していました。なんとなく、親の意識の方が遅れていると感じたのは私だけでしょうか。
残念ながら、障害児のためのクラスがすべての学校に設けられているわけではありません。せめて、小学校だけでも、同じ地域の子供たちと一緒の学校に通えるようになればいいのでしょうけれど。
【運動会のメーンエベント】
学校での大きな行事の一つが運動会です。この日ばかりは、普段学校にこられないお父さんたちもおおぜいやってきます。朝早くから見物場所を確保するために並んだり、ビデオカメラを抱えて走り回ったり、昼食場所の準備をしたりと大活躍をします。用意周到なお父さんは、人垣の後ろからでも撮影できるように小さな脚立まで持ってきます。でも、ズームレンズがついたそのカメラのファインダーがとらえているのは、ほとんどが我が子の姿だけです。
一日の運動会を行うために、先生たちは早くから演目を選んだり、振りつけを考えたりしています。子供たちも、1ヶ月近い練習をこなしたり、係りの準備をしたりして当日を迎えています。そんな小学校の運動会のメーンイベントは、実は紅白リレーや騎馬戦などの競技種目ではなく、学年ごとに行われる団体演技であることを、PTAに参加するようになってから知りました。残念ながら、正面のスペースは来賓や係りのテントで占領されてしまうため、一般の保護者の方はなかなか良いアングルで団体演技を見ることが出来ません。いきおい遠目から、我が子の姿ばかり探し求めることが、多くなってしまいます。でもちょっと視野を広げて、じっくりと全体を見ていると、それぞれの学年がどこを工夫してどこをがんばっているのかが、よくわかります。練習ではなかなかうまくいかなかったピラミッドが、本番では全部きれいに立ち上がったのを見て、担任の先生は私のそばでヤッターとガッツポーズ。低学年の先生は、本番中には近くで手助けが出来ないので、そわそわと落ち着かずに心配そうな顔をしていましたが、子供達はのびのびと演技をして満面の笑みで戻ってきました。そんな学年ごとの成長の跡をじっくり見ていると、これが小学校の運動会の華なんだなということが、よくわかります。
せっかく見に来た保護者の方にも、ぜひズームばかりでなく、ワイド画面で鑑賞してほしいなと思います。
(その6へつづく)