つれづれなるままに


第11題 いきなりのハワイ

突然やってきたバカンス島への出張の仕事でした(2003年6月作成)。


○南国行き、はた目にはいいのだが・・・・

 ここのところ、イラク戦争や、続けて起こったSARS流行の影響で、出張から遠ざかっていた。

 会議が行われることは以前から知っていたが、直接の担当ではなかったので出席の予定は無かった。 しかし、私の仕事に関係する話が出るとのことで、急に出席依頼が上司よりあり、3日ほどでバタバタと準備しての出張となった。

 今回も、会議開催日だけ現地に宿泊するという、仕事オンリーの出張なので、別に後ろめたいことは何も無いのだが、どこかと聞かれると答えにくい行き先ある。 そう、ハワイなのである。 すばる天文台もある、ハワイ諸島の一番東南の端の島、ハワイ島のリゾートホテルのオフシーズンを利用してアレンジされた会議であった。

 会社の中では、行って帰るだけで、オフタイムなどほとんど無いことが分かっているのでいいのだが、プライベートの予定をキャンセルするのがなんとも困った。 しかたなく、アメリカ出張だからと説明し、どこ?と聞かれても、ごにょごにょとことばをにごしてなんとかごまかした。 実は、私にとっても、初のハワイの地であるのだが、なんともはやの初体験となってしまった。

 

○別世界の同乗者たち

 久しぶりに利用した箱崎のターミナルだが、昨年出国審査が無くなったのに続き、なんとチェックインカウンターも閉鎖されてしまっていた。 セキュリテーの強化や、赤字運行の航空会社の台所事情もあるんだろうが、もはや単なるバスターミナルにすぎなくなってしまったのは、なんとも寂しい限りである。 日曜夕刻の便であったが、箱崎からのバスはわずか4人の乗客しかおらず、いつもは長蛇の列となる成田のJALチェックインカウンターも閑散としていた。 SARSによる乗客減の影響はかなり深刻なのかもしれない。

 この観光客減の影響で、ハワイ島コナ空港までの直行便は運休となり、オアフ島ホノルル空港での乗り継ぎ便となってしまった。 待ち時間も含めると、3時間も余計にかかることになる。 さらに、もう一つ密かに懸念していたのは、この時期にホノルルに行く人たちのことである。

 閑散とした、手荷物検査所と出国審査を通り、搭乗ゲートの待合い室に向かっていくにつれ、その懸念が現実のものとなっていくことが分かった。 みやげ物屋の奥に、ハネムーン専用待合室の看板が見える。そして、ホノルル行きのロビーのイスは、バカンスを目指すカップルであふれかえっていた。 閑散とした空港ビルの中で、別世界の雰囲気である。そう、まさに今は、ジューンブライド/6月の花嫁のシーズンなのである。 同じような観光地であるアメリカ西海岸行きの便も多くの観光客でにぎわうが、社用での利用もそれなりに多い。 しかし、ホノルル行きの便となると、圧倒的多数が若い観光客であり、社用族は完全に場違いな雰囲気であることをいなめない。 そんな状況で、今回の臨時出張はスタートしたのである。

 JAL便であるが、運行はJALウェイズとなっており、スチュワーデス等の客室乗務員は、まったく別会社の担当のようである。 ハワイと日本の間の便でありながら、スチュワーデスの大部分はアジア系の外国人であり、日本語の発音が聞き取りにくいこともしばしばであった。 スチュワーデス同士の会話は中国語のようで、まるで外国のエアラインを利用しているような感じである。 これも、昨今の会社経営で流行の、人件費削減の為の子会社化の結果なんだろうか。

 

○まるごとリゾートの地

 ホノルルまでの飛行時間は6時間ちょっと、乗り継ぎ時間は2時間だったが、入国審査と米国流の念入りな手荷物検査に、小一時間を費やしてしまった。 結局、成田を発って10時間近くたって、ようやくコナの地に降り立ったのである。

 コナ空港はもちろん日本からの直行便も飛ぶ国際空港である。 しかし、なんとターミナルビルが無い! 切り妻風の平屋立ての屋根の建物が並んでいるだけである。 この建物近くに止まったジャンボジェット機にタラップが横付けされ、乗客は、そのまま地面まで降りて、むこうに見える荷物受け取り所まで歩いていくスタイルだった。 もちろん、屋根も無い青空の下をである。

 ハワイ島は、島の中央に富士山をしのぐ4千m級の山が2つも連なっている。 そのひとつは、すばる天文台もある、天体観測のメッカ、マウナケア山である。 島の東から吹き付ける太平洋を渡った湿った偏西風は、高い山に当たって雲となり、島の東側に大量の雨を降らせる。 一方、島の西側は、山を越えて湿り気を無くした風が吹き抜けるので、乾いた溶岩の大地が広がっている。わずかな灌木や草以外、自然の緑はあまり目にすることが出来ない。 その緑も、山の端から海までつながった真っ黒な溶岩流の爪痕によって、あちこちで寸断されている。 島の西側に位置するコナ空港は、したがって、雨の心配はほとんど無いわけである。

 さて、目的地であるリゾートホテルは、西海岸のマウナラニというところにあり、併設されたゴルフ場はそれなりに有名な所だそうだ。 もちろん西海岸であるので、溶岩大地のど真ん中に位置している。車で海岸沿いに走っていくと、忽然と緑と芝生の広がるのゴルフ場が出現する。 海辺に建つホテルの回りには、やしの木や、鮮やかな花を付けた南国の木々が並んでいる。 その根元には、熱帯魚の魚たちが泳ぐ池が巡らしてある。

 ゴルフコースを囲むラフは、雑草でも林でもなく、ごつごつした溶岩の岩肌が残してある。 フェアウェーの真ん中にあるバンカーも、中は砂でなく溶岩という念の入れようである。 私はゴルフをやらないので、詳細はわからないが、この溶岩ラフの中に入ってしまって打ち出せない時は、池ポチャと同じでペナルティー扱いとするらしい。

 もちろん、これらの施設はすべて、人工的にこしらえたものなのである。 山に降った雨が、溶岩大地の中を流れているので、水源は豊富にあるようだ。 しかし、溶岩を削り、土を入れ、芝や木を植え、枯れないように常時散水するという手間は、大変なものであろう。

 ホテルの中も、長期滞在と思われるリゾート客が水着で行き来している。 アメリカでは、もう学校が年度末の休暇に入っているところもあるのか、家族連れの人も多い。 もちろんハワイの観光地の一角であるので、日本人のアベックもあちこちに出没している。 ホテルのメニューも必ず日本語を併記するお得意様である。 ただ、外国の女性に比べて、南国のリゾートにもかかわらず、露出度がいまいちと思われるのは、私の気のせいだろうか。

 そんな中で、数十人の会議出席メンバーだけは、薄暗い会議室にこもっての仕事漬けという状態であった。 夕方、会議が終わって、浜辺のレストランで、沈みゆく夕日を眺めながらのディナータイムが唯一の楽しみとなった。 もちろん、そのままお休みという訳にはいかず、ちょうど午後の就業時間中の会社との連絡に追われることとなってしまった。 まあ、さすがに電話は高いので、もっぱらメール利用ではあったんだが。

 

○仕事のあとは

 さすがに南国だけあって、日の出から日の入りまで、太陽の強さは変わらず、日向に長時間いることは出来ない。 ただ、湿度はあまり高くなく、風も適当に吹いているので、半袖シャツでちょうど快適に過ごせる気候である。 気温は、30度弱とのことだった。 昼間でも日陰に作ったオープンテラスのレストランで十分であった。むしろ、会議室で冷房が効いていて、上着が必要となる状態だった。

 まあ、なにはともあれ仕事はなんとか終わって帰るだけとなった。

 また、ホノルル乗り換えでの帰途なので、朝、ホテルを出て夜自宅に着くまで、丸一日の移動である。 途中日付変更線をまたぐので、カレンダー上は翌日の帰国となる。仕事ばかりの出張だったが、おみやげぐらいは、買っていかないと、せっかく海外出張まで来たかいがない。 といっても、先に述べたように、人里離れた人工のリゾート地で、周りには店も何もない。 結局は、ホテルのみやげ物屋を物色したが、アクセサリーや衣類、置物のたぐいだけで、食べ物類が置いていなかった。

 しかたなく、最後の望みは、コナ空港のみやげ物屋に託すことにして、タクシーをたのんで空港に向かうことにした。

 ホテルのロビーで車を待っていると、上階から白いウェディングドレスとタキシードの日本人カップルが降りてきた。 ハワイで挙式というのは聞いていたが、こんな高級リゾートでも、このようなサービスを日本人向けにするとは、ジャパンマネーの威力もまだまだ捨てたもんじゃないかな。 しばらくして、小型バスほども長さがありそうな、白いリムジンが玄関前に止まった。 これに親戚一同と一緒に乗り込んで、どこぞの教会まで式を挙げに行ったようだ。

 でも、これってある意味、家族監視付きのハネムーンとも見えるんだけど、本人はどうなんだろうか。

 私の頼んだタクシーが来たので、相乗りで空港へと向かった。 行きはあまり見ていなかったが、空港まで道の左右には黒い溶岩の地肌が広がっているが、あちこちに白い石を並べたメッセージが見える。 名前をかたどったものや、ハートマークによるアメリカ版相合い傘のようなものが多い。 もちろん、日本人の名前もあちこちに見られる。 いったい、だれが始めたものなんだろうか。 ここらあたりに、白い石は見あたらないので、海か山の方からわざわざ運んできているのかな。 ご苦労さまなことだ。

 コナの空港は行きにも見たように、田舎の待合室のような建物が並んでいるだけである。 さすがに、日本人が多く来るので、狭い店だがみやげ物屋が一つはあり、名物と聞いていた、コナコーヒーとマカデミアナッツを求めることが出来た。

 帰りの飛行機で聞いた東京の気温は、22度とのことだったが、飛行機を降りたとたん蒸し暑さを感じた。 実は、日本は南国以上に暑い国だったのだ。

  


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