つれづれなるままに
出張旅行記を並べるつもりではなかったのですが・・・(2001年4月作成)。
海外出張が続くときにはこうなるものなのか。前回とはまったく異なる仕事であるが、なぜか昨年末に続いて、またまたのソウル出張となった。ただし今回は、仕事のあったホテルと空港を往復しただけで、街中に出る時間もなかったので、手間のかかる国内出張をしたのと同じようなもので、あまり多く記憶に残る出来事は無かった。それでも、いくつか印象に残ることがあったので書きしるしてみる。
この4月から首都の空の玄関口である国際空港が、ソウル郊外のGimpo空港から、海岸のIcheon空港に移転した。まだ、あちこちが建築途中であるが、Gimpoでは2ヶ所に別れていた建物が1つに統合され、端から端まで1kmもあるような巨大なターミナルビルとなっている。さらにそこから搭乗口までの連絡通路が長くはり出しているので、チェックインから搭乗までに延々と巨大な建物の中を歩くことになる。成田に代わるアジアのハブ空港を目指すそうであるが、大きいことは必ずしも利用者にとって、便利なことばかりではないように思える。
Gimpoは漢字で書けば金浦であり、日本語読みではKinpoとなるが、どちらの発音でも通じる。一方、Incheonの漢字表記は仁川であることを、現地に到着してからはじめて知った。この地名は、朝鮮戦争当時に、南へ押された連合軍が反抗のため上陸した場所として、歴史で学んだ記憶がある。しかし、日本語読みしか知らなかったので、ここまで発音が違っていると漢字を見るまで想像もしなかった。
日本のニュースでも、韓国語の発音が使われるようになったのは、比較的最近のことだったように思う。それまで、朴大統領はBokuと呼ばれ、Pakuではなかった。ちなみに、英語表記はParkである。考えてみれば、Mr.グリーンをみどりさんといいかえてしまうようなもので、相手から見ればえらく失礼な話である。これは、日本の東アジア諸国に対する、戦争当時からの奇妙な優越感のなごりなのかもしれない。今、騒がれている教科書問題も、あんがい根っこは同じなのではないだろうか。
この教科書問題は、韓国内での抗議行動の様子などが、連日現地の新聞やTVに登場しており、関心の高さがうかがえた。幸いにして、私の滞在中に、仕事相手の韓国人からこの問題を直接問われることは無かったが、考えさせられる話である。
ちなみに、私の場合は、なぜか現地では、韓国語で話しかけられることが多かった。同行の日本人に聞いた限りでは、そんなことはほとんど無かったと言っていた。私はハンドルばかりでなく、外見も韓国人似であるということなんだろか。
今回の往復には大韓航空を利用した。便数も多いし、現地空港での利便性は、やはり現地の航空会社が一番だからである。当然、新しいIncheon空港においても、大韓航空のカウンターは、ターミナルのほぼ中央の広いスペースを占めており、迷うこと無くチェックインをすますことができる。預ける荷物がない場合の窓口が別に設けられており、カート持ちの人たちの長い列に並ぶ必要が無いのは、なかなか便利であった。
機内サービスもまあまあであり、特に他の航空会社と遜色はない。前回は日本の航空会社であったためか、戻り便はツアー帰国客が多く、飲んでテンションが上がったりして騒々しいこともあった。しかし、今回は帰り便もこれからお出かけという韓国人が多いためか、穏やかなフライトとなった。ただ、相変わらず話かけてくるスチュワーデスの第一声は韓国語が多い。いちいち聞き返すのも面倒で、日本語の新聞をひろげて予防線を張っておくはめになったのは、多少なりとも異国情緒を楽しみたい国際線としては、ちょっぴり残念だったのだが。