つれづれなるままに


第5題 怨親平等の祈りへ

人の道を見極めるのは、難しいことですが。(2001年10月作成)。


 今月も海外出張旅行記を書けるはずでした、が、予定はお流れになってしまいました。 そう、10月に起こった同時多発テロ事件の影響です。 このような行為で亡くなった方々には、なんともお悔やみの言いようがありません。 これ以上の犠牲者が生まれるようなテロや戦争は、何としても回避して欲しいと思います。

 しかし、その後、身のまわりで起こり始めた大小さまざまな変化に対して、どう考え、どう対処していけばよいのか、よくわからない状況が続いています。 ひとつには、今回のテロ被害とは直接のかかわりはないにもかかわらず、仕事にも、じわりじわりと影響が表れていることです。 先に述べたような出張の中止もその一つですが、いまひとつだった経済状況の悪さが、より鮮明になってしまいました。 部門によっては赤字予測が拡大し、月に1度の一斉休業日を定めたところもあります。

 ここまで経済的に世界と、特に米国とつながっていると、日本だけ、ことがすぎるのを首をすくめて待っているようなことはできません。 だからといって、戦争に積極的に荷担することがいいことだとは、とうてい思えません。 恨みに対して、復讐で対応しても、新たな恨み生み出すだけです。

 しかし、飛び込んでくる飛行機を素手では止められないことも事実です。 どこまで武力を使うことが正しいといえるのか、たいへん難しいところです。 それでも、罪もないのに亡くなる人々が、これ以上増えないことを切に祈るばかりです。

 この文章を考えている間に、とうとう空爆が始まりました。 もうこの流れは、止められないのでしょうか。

 怨親平等、という仏教語があります。 キリスト教では、汝の敵を愛せといいます。 宗教というのは、利己的な心を静め、人々の争いを除くための知恵でもあったはずです。 伝統的な知恵の資産が、不毛な戦争を克服することを切に望むばかりです。
 


第4題へ<= 第5題 =>第6題へ

つれづれなるままに目次へ  ☆ホームページへもどる