青春譜 1

 黄色い嘴
(くちばし)



 パスカルは言った、「人間は独りで死ぬ」と……。
 それが事実なのだ。

 人は決して他の人間に理解されることはないのだ。たとえ親と子であろうと夫と妻の関係にあっても、どんなに親しい友だちにでも……。
 人間は常に独りなんだ。

 (いにしえ)の時代の僧侶は、不浄(ふじょう)観を養うための修行として、腐乱していく屍(しかばね)を幾日も幾夜も凝視した。こうして不浄な生命の真相を体得したという。これが出来ると、生きた人に接しているときにも相手の中に骸骨を透視するようになり、美人も野草の中に散乱する白骨と赤黒いぶよぶよした肉塊に見えてくるらしい。そうやって生きている迷いを克服したのだそうである。

 生まれる前に私はなかった。死んだ後にも私はない。

 死は眠りとの双生児ではなく、全く別のものである。永遠の休息でもない。
 私の主体は、永劫(えいごう)の中でただ一度だけ成立し、瞬く間に過ぎ去っていく日々を経て臨終まで続く。


 自分が自分である所以(ゆえん)をなす魂の個性は、肉体が死ぬのと同時に立ち消える。これが死の死たる所以であろう。

 私の死とは、あの広い光の海に帆を上げてゆく一つの影を見送りながら、その影とともに波の奥へと消えることに他ならない。


 自殺、あるいは自死。
 それは、肉体を一塊の土くれに帰すにとどまらない。自己を自ら蔑(さげす)んだ不浄な魂の欠片(かけら)を本来豊かな大地と澄み渡った空にぶちまけて汚すことと同義である。


 人は死を恐れる。それは、死が生に対する最も優れた解毒剤であることを知らないから……。

 眠りが快いのは、それが一種死に似た性質を持っているからに他ならない。
 しかし、死は自ら求めるべきものではない。
 自らを一塊の土くれに帰すことは決して勇気ある行為ではない。
 死を心に決めて生きる。それが歩むべき道であろう。

 日々、眠りから目覚め、輝く朝日の眩しさの中で今日の私が誕生する。一日の始まりは一日の人生の始まりでもある。

 死を恐れない訳ではない。
 陽光が生への執着を示唆(しさ)する。死ぬことから逃避するようすすめる。
 生きることから逃避してはならない。自らを殺すことには意味がない。
 一見勇敢な行為に映るが、その実は自己への裏切りに他ならず、周囲の者をも裏切る行為である。

 物知り顔の、「心ある人」と称される偽善者たちが、おのれ自身を飾るために自殺に至る苦境を代弁して見せ、自殺に踏み切った勇気を讃えてくれる。
 が、一回だけである。自殺という行為は本当のあなたを語りはしない。



               *

 社会にとってそれが自明の事であっても、個人にとってそれは自明とは言いがたい物事がある。
もっと大人になれ」と諭(さと)されても耳を貸さず、その自明の事とやらに抵抗し、自己を主張して己の思いを行動に移す。
 そのような者は、往々にして反社会的な人間として葬られる。

 一個の人間を大きな社会に比すると、それは鉛色の冬空からヒラヒラと舞い降りてくる一葉の雪片。
 頬に触れ、冷たいなと感じた時には小さな水滴になって流れ落ち、元の姿はもうそこにはない。

 また、社会に恐れをなして服従すれば、従順で無能なだけの人間として葬られてしまう。自らを抑圧し続け苦しめて、不満足で不幸な一生を送ることになる。

 ことほど左様に、自己を主張するということは難しい。


 自分より大きいものを畏怖(いふ)し、小さいものに同情を催す。
 小さいものの弱さ・醜さ・卑しさを許容することによって自分自身の弱さ・醜さ・卑しさを心の奥に仕舞い込む。
 そうやって安堵を求めようとする誘惑に負けてはならない。
 大きなものを恐れてはならない。

「キリストも仏陀も芭蕉もベートーベンも乃木将軍も、新生の著者も、一皮剥いてみれば唯の人であり、唯の人を支配するのは生活力である。そして、生活力とは動物力の異名に他ならず、人間は元々二脚獣に過ぎない」

 かの芥川龍之介はこう述べた。
 確かに、人としての出発点は皆同じであったはずだ。しかし、
世間と称されるものの顔色を伺いながら生きていかなければならない自分が今ここにいる。

 忌むべきものは虚栄心。

 栄誉という冠を脱ぎ捨て名声という首飾りを捨てて、泥棒・人非人というダイヤモンドを身に纏うのはそんなに難しいことなのか? ……難しい。

 野獣と化して女を襲い、命をつなぐためだけに金品をかっぱらい、世の中を嘲笑い、暗く汚い牢獄へ居所を移すことはそんなに怖いことなのか? ……怖い。

 獄中で次の悪行をより美的に成し遂げるための準備を整え、鉄格子の扉が開くのを待ち、娑婆(しゃば)に戻ればまたもや世の中を嘲笑って再び牢獄に舞い戻り、見るだけで反吐の出そうな利得心や偽善の所産である「法」にいつまでも存在意義を与えない。生きるために喰い、欲望に任せて犯し、奪い、盗み、己の心だけを優しく撫でて安堵させ、他人を省みることはしない。それを己の正義とする。

それがお前に出来るか? ……出来ないよ、多分。

 世間で言う「獣の生き方」を奉じ、おのれが定めた正義を繰り返して、命が尽きる間際に死と向かい合う。
 それこそが最も自分に正直で自然な命の結末ではないのか? お前はそうは思わないか? ……僕には確信が持てない。

 純粋に人間であるということは、一体、どうあることを指しているのだろうか?

 
自分がしたいと思い、そうすべきだと魂が叫んでいるにもかかわらず、世間の目を慮(おもんばか)ってそれを実行しないのは自分に対する裏切りだ。
 自分に誠実でありえない人間が他人に誠実でありえるはずがない。
 自らの心に誠実に、損得など歯牙(しが)にもかけず、理に則って、進むべき道を選択しなければならない。


              *

 背伸びしたところでどうしようもないのに意地を張って背伸びする。それが癖になって、そのうち何がなにやら判らなくなった。

今日の俺は背伸びしている俺なのか、それとも本当の俺なのか?)

 津々浦々(つづうらうら)至るところから色々な人が集まってきて『料簡(りょうけん)の狭さコンクール』があった。
 数ヶ月にわたる追跡調査と厳しい審査の結果、優勝したのは俺だった……。

 一人の人間をおのれの狭い心で受け容れるには、その相手にそれ相当の価値を見出せることが必要となる。
 逆に、己を受け容れてもらうには相手からそれ相当の価値を認めてもらえるだけのものが己に必要なのは自明の理だ。
 漠然として取り留めのない甘い思いで己を過信してはならない。

 常に自由でありたいと考えている自分が他人を拘束したがる。
 その矛盾を、「よくあることだ」と、サッサと片付けてしまう怠惰(たいだ)な自分を見つけて驚く。
 たまたま運が強ければ、その陰で泣くものが大勢出る。自分が気づかぬうちに他人の運を踏みにじっていることはままある。
 そのようなこともよくよく心しておこう。


 徹頭徹尾俳優であろう。
 時に応じて共産主義者にもなれば、情勢次第で右翼にもなる。
 時が移れば双方を攻撃して自由主義者になり、その間にカネを貯めよう。
 その身が危くなりそうなときは足を止めて休もう。
 転向に転向を重ね、無節操の限りを尽くして、しかも、そのことに平然とし明朗でなくてはならない。
 いやしくも政治情勢に処するに神経など使ってはならない。
 一党派一思想をもって死をも恐れず牢獄をも恐れぬ殉教者にならねばならない。

 もしも、かかる一流の人物になりうる見込みがないならば、第二流の代議士を目指そう。
 それが不可能ならば第三流のジャーナリストになろう。
 それも見込みがないならば、せめて第四流の大学教授となり、誠意を持って一思想を奉じ、最後まで人類の進歩を信じて革命の列の最後に連なっていこう。


              *

 俄(にわか)芝居しか出来ない男が、それさえも出来なくなった。

 立ち止まっていることも出来ず、ただオロオロと走り回る姿がおかしく面白く、また、よく似合う。
 そのぎこちなさも芝居のうちだと思っている観客は、腹を抱えて笑いこけた。

 拍手と爆笑の渦の中で、男は大きな目を白黒させながら何とかその場を取り繕おうとするが、いかにもぎこちなく、またまた爆笑を誘った。

 そのうち男は何もかもが嫌になって、その場にうずくまった。

 座り込んだあとで男は自分が役者であったことを思い出し、思い直して芝居を続けようとした、懸命に……。
 しかし、思うようには演じられない。
 いよいよダメだと考え込んだ。
 
役者になりきれず、かといって本当の姿をさらけだす勇気もない。そんな自分に男は戸惑いを隠せない。

 舞台が広すぎるんだ、俄芝居しか出来ない役者には……。
 荷が重すぎるんだ、俄役者には……。


 その男にも夢はあった。一人前の舞台俳優になって、後々は脚本と演出も手がけたいと思っていた。
 しかし、この頃、男は思う。
 所詮、俺には俄芝居しか出来ないのだと……。


 男は、自分には何がいちばん似合っているのだろうかと悩んでいた。
 芝居の幕が下りて暗くじめじめした部屋に戻り、破れ畳の上に大の字になって天井を見ている時がいちばん落ち着けた。

 天井の節穴を数えながら旅をする。
「それが楽しいんだ」といつも呟いた。
 「一人旅が好きなんだ」

 男は生まれて間もなく一人旅を始めた、独りになってしまったから……。

 旅に出て以来ずっと芝居を演じてきた。
 色々な芝居を見て覚え、真似をして演じてきた。
 しかし、どれ一つとして満足に演じられるものはない。いや、なかった。
 すべては俄芝居。それしか出来なかった。
 恋をしている時でさえそうだった。


「もともと芝居は好きじゃなかった。けど、俺、止められないんだ」
 男はそう言った。
「芝居をやめた生身の自分自身は、もっと好きじゃないんだ」とも言った。

「へたくそな、俄仕立ての俺の芝居を笑ってくれよ。広い舞台が笑いで埋まれば安心できるんだ。折角の舞台を狭くしちゃいけねーから」


 そう言って、男は初めて笑みを浮かべた。


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